2010/12/4(土)

 

今日は晴れ。

 アンコールワットへの旅行へ出発する。3泊5日、帰りの飛行機にて1泊。日本からアンコールワットのあるシェリムアップへの直行便はない。日本の航空会社ならバンコクにて乗り継ぎなるのだが、我々は格安ツアーの為か? 大韓航空利用で、一旦仁川(チュンチョン)にて乗り継ぎ。4日中移動し、2時間の時間差(遅い)の夜10時くらいに到着。

 チュンチョンまでの飛行機は大きく最新の設備で映画など自由に見られて良かったが、6時間近く乗るシェリムアップまでの飛行機はそれは小さく、大変退屈だった。日本の航空会社利用の旅立ったらどうなっていたのだろうか?気になるところだ。

 アンコールワットはポルポト派による内乱があった世情も不安定で貧しいカンボジアにある。シェリムアップは観光地の為、治安も良く、安心して歩ける町だ。ホテルも今まで泊まったどのホテルにも引けをとらない立派なホテルだった。

 行きのチュンチョンの免税店で3万円のフェンディーの財布をしげしげ眺め、帰りのトランジットの時に買おうかなあ〜 と思っていた。しかしこの旅行で考えさせられることも多く、行く時は「アンコールワットに行って来ま〜す。」といって出かけたが、「カンボジアに行ってきました。」と戻ってくる旅になった。





成田上空から見た千葉一帯は、米の借り入れも終わった茶色い田んぼ。





遠く富士山を望み、





どうやら日本列島を、雪を頂く日本アルプスあたりで横断したらしい。





チュンチョンの免税店街ではこんなサービスがあった。
ここは到着点ではないのだ、韓国ってなんて近いんだ!






 2010/12/5(日)

 

今日は晴れ。

 昨日は移動だけで、ホテルについたのが11時ぐらいだったので、今日から観光。ホテルは綺麗で朝食も美味しい。ホテルに限って言えば、今迄行ったどのホテルにも引けはとらない。

 アンコールワットというのはアンコール遺跡群の中の一つである。実は沢山の遺跡が点在しているのだ。この旅行の一番面白い所は、この点在する遺跡を、近い順ではなく、おおよそ歴史の順番に訪れるのだった。そりゃあもう行ったり来たりだ。

   


 番号の順番に訪れる。全部で18遺跡行ったことになる。
○で囲まれた所は有名な所。






入場券はこの入場券売り場で一括購入する。




 


3デイズパスで40ドルの約3500円なり。使いまわしされないよう顔写真付き。(瞬時に作製)





@ロレイの塔堂

 893年、ヤショヴァルマン一世によって建てられたヒンズー教寺院で、アンコールでは最も古い寺院遺跡のひとつである。かつては貯水池の中央島に建てられていたロレイ。建てられた当時、未だ技術が未熟の為、赤レンガで造ったので弱く、傷みが激しい。







壁面の像





ヒンズー教の寺院であったが、隣接して仏教寺院があり、お坊さんの住居もある。





祠堂入口上の立派なリンテル(2つの支柱の上に水平に渡されたブロック)





祠堂の入口枠に刻まれた碑文。









Aプリア・コー

 879年、インドラヴァルマン一世によって祖先の菩提を弔うために建てられたヒンズー教寺院。現在見ることができるのは遺跡の核心部のみだが、その周囲には東西500メートル、南北400メートルの環濠に囲まれた広大な寺域があり、寺院の背後にはかつてインドラヴァルマン一世の王宮が存在したという。現在観光の対象になっているのは、中心部にあるレンガ作りの祠堂群のみだ。年号が判明している遺跡で最も古いため、それだけに損壊が目立つ。現在一部で修復作業中。





聖なる牛、「ナンディン」





6つの祠堂から構成されている。





壁面に残るレリーフは漆喰を加工したもの。





内部(聖水の取り口を望む)









Bバコン

 881年にインドラヴァルマン一世によってロリュオス都城の中心寺院として建てられた。アンコール期における寺院建築の進化の過程において、砂岩でつくられた大型の山岳型寺院として最初のもの。





 ナーガ (インド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは蛇神のこと。頭頂に5匹の蛇を飾る人間で、下半身は蛇(インドコブラ)という姿をしている。)の欄干





ブーゲンビリアの咲く道





ピラミッド寺院といわれるバコンの全景





バコンより、来た道を振り返る。





靴も履いていない小さな子供たちが物売りをしている、これは何処でも。





「ここから写すと良い。」といわれた中央祠堂の頂部。





中央祠堂下から東側参道を見る。左手には仏教寺院が見える。





鮮明に残っている阿修羅のレリーフ









Cプラサット・クラヴァン

 レンガと紅色砂岩で造られた小寺院、プラサット・クラヴァンはヒンズー教の三主神の一つであるヴィシュヌ神が祀られている。5つの祠堂が一線に並ぶ。中央の祠堂だけがやや原型に近く復元されている。





中央の祠堂を裏側(西側)から見る。基壇部にあがる石段がある。





八本腕のヴィシュヌ神









ここまでが午前中、田んぼの中を車は走る!







 


Dバンテアイ・スレイ

   967年に作られたヒンズー寺院で、ラージェンドラヴァルマン二世の時代に建設が開始され、次のジャヤヴァルマン五世の時代に完成した。アンコール・ワット、アンコール・トムを中心とする遺跡の集中地域から離れており、この遺跡に行くには片道1時間ほどかかる為、素晴らしいわりに訪問者が少なかった。  





 東楼門

 遺跡の規模は大きくないが、鮮やかな紅色砂岩に彫り込まれた彫刻の美しさはアンコール遺跡群の中でも特に優美といわれている。 





東楼門の壁画





東楼門から中を望む。





参道

両側には境界石が並ぶ。境界石の形状は蓮のつぼみを模しているという。





拝殿と中央祠堂  おさるさんの表情が可愛い。





南経蔵





中央祠堂





「バンテアイ・スレイ-デヴァター」が遠くに見える。(立ち入り禁止で側には寄れない。)
デヴァター(女神)、「東洋のモナリザ」いう呼び名で余りにも有名。









E東メボン

 952年に、ラージェンドラヴァルマン王によって建設されたヒンズー教寺院遺跡である。ロレイ(インドラタターカの中)などと同様、巨大な貯水池である東バライの中央に建設された。





基壇部はブロックを積んで造られている。この部分はかつては水の中。





中央祠堂群、いずれもレンガで造られている。





周りは森。





撮影する私を撮影するモモパパ















Fプレ・ループ

 961年にラージェンドラヴァルマン王によって作られたヒンズー教寺院遺跡。都がコー・ケーからアンコールに戻って最初に作られた国家寺院である。主材料はレンガだが、砂岩が次第に多用されはじめる時期。そしてこれ以降、建築材料(外装材)は砂岩へと移行していく。





ここから夕日を見るはずだったのに、曇り空。





基壇の上からの眺め





死者を荼毘に付したとされる石そう






 2010/12/6(月)

 

今日は晴れ。

 さあ、今日はいよいよ本命のアンコールワットの見学。12月上旬は雨季も終わって、カンボジアでは一番寒い(ガイドのビ・チェット君 24歳曰く)季節だそうで、一番観光に適している時期だとか。年間の最高気温が40℃を超えるこの地では、家の作りは簡単で、風通しが良い為、この時期の最低気温20度は寒いのだそうだ。しかしながら連日最高気温は30℃を超え、日向では暑い。帽子は必須。日傘は足場が悪い為さして歩くには不便。水分を沢山取って歩かねばならない。

 朝は真っ暗いうちから起き、アンコールワットの後方からの日の出を見に行く。昨日の夕日のように曇っていたらアウト。日の出あたりは雲が薄く広がり、なかなかお日様が出てこない。先を急ぐツアーの人たち(日本人)はもう少しで日が差しそうなのに、「時間なので行きま〜す。」と帰っていった。私たちのガイドは24歳の若いガイドなので、「もう少し待ってよ〜」とおばさんが言うと、万端繰り合わせて待ってくれた。    





G アンコールワットの朝日

 そのお陰で、美しいお日様が姿を現した。おお、ビュ〜ティフル! 冬至に近いこの季節は右寄りから日が昇るが、春分や秋分は建物の真ん中の先から日が昇るよう設計されているのだそうだ。







尼さんたちが朝のお勤めに行くところか?





西側入り口より外を見る。



 日の出を見ると一旦ホテルに戻り、朝食をとって再出発。シェリムアップの町では小店に立ち寄ることが出来ない。昨日のお昼は香辛料が効いていて食べる物が少なかった。いけないこととは知っていたが、朝食のバイキングのデニッシュを少々頂く。





H ベンメリア  シェリムアップから北東へ約80km陸路1時間ちょっと

 アンコール・ワットの建設前の、11世紀末から12世紀初頭にかけて作られたヒンズー教寺院である。アンコール・ワット様式の建築で、アンコール・ワットよりも多少小さいが、それでも有数の大規模遺跡である。環濠は幅45メートル、周囲4200メートルもあり、その内部にアンコール・ワット同様、三重の回廊と十字回廊を持つ。





参道





南参道途中にある「ナーガ」(蛇の精霊) 余程大事な物らしく、ビ・チェット君が一生懸命説明する。





 ベン・メリアは失われた古代都市とでもいうような雰囲気の漂う魅力的な遺跡。遺跡の大半は森に飲み込まれていて歩くこともままならない。繁茂する樹木のために、あたりは暗く重々しい雰囲気が漂う。訪れる人もそんなに多くなく、時の流れを感じさせる。





 亜熱帯の植物は成長が早い、あっという間に大木に育つ。この木は「役立たずの木」といわれ、建築材料にも燃料にもならないそうだ。





回廊の連子窓を構成する連子












 観光客のために歩道が作られたのは最近とか、遺跡の崩壊がはげしく、歩くのも難儀だったと思われる。歩道はあっても上り下りが激しいこの遺跡では、「手を引いてあげよう。」と側によってくる子がたくさんいる。「学校はどうしたか?」と聞くと、「昼から」という。カンボジアの学校はは午前と午後の2部制。でも学校に行かない子も多いそうだ。この子達は物売りはせず、最後にチップをせがむ。





















ベンメリアから戻って、「オールドマーケット」 日本で言う所の市場に行く。





 他のツアーと違って、土産物屋に連れて行かれることが少ないので、ここで何か買わねば。シェリムアップの店は定価はない。「言い値」を値切らないから疲れる。大体3分の1から4分の1まで値切るのが適正らしい。「貧しい国なのでえげつなく値切らないで下さい。」とガイドのビ・チェット君からお願いされる、確かに。

 ここで、パシュミナと書かれたストール2本、シルクのクッションカバー2枚、線香のセット2組み、(実は日本に戻って近所のスーパーのアジア特集で、ここで見たものが売られていた。なんだか変な感じ。)冷蔵庫につける革製のマグネット、日本語で書かれたガイドブックなど購入する。値段は勿論安い。





繁華街



   カンボジアではお昼は休まなければならない。午前中の見学を終え、一旦ホテルに戻って休憩するのも暑い国だからだろう。のんびりした国だと少し呆れたが、疲れず1日2万歩歩き通せたのはこの休憩お陰だった。朝貰っておいたデニッシュを頂く。午後は3時に出発だから冬至に近いこの時期、5時には真っ暗になるり、午後からが忙しい。午後はアンコールワットを見学。



 さて、いよいよ本格的にアンコールワットの見学

サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味する。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。

 12世紀前半、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教寺院として建立。王の死後は霊廟となり、後に仏教寺院に衣替えした。敷地は東西1500メートル、南北1300メートル、幅200メートルの堀で囲まれている。1992年にアンコール遺跡として世界遺産に登録。





アンコールワットの図 建物に対して敷地はそれは広い。





@から見た西塔門

アンコールワット西塔門は、アンコールワットをおとずれる人が環濠を渡って最初にくぐる、いわば正門。





環濠を越える陸橋を歩いて行くと、正面に西楼門の中央の塔門がある。





A 参道の左右にはナーガの胴体である欄干が続く。





B 左右両翼を形成する幅230メートルの回廊を見る。





塔門の回廊に安置された8本の腕を持つ後世のヴィシュヌ神立像





西塔門のデヴァター(女神を意味する)





Cからアンコールワット中心部を望む。 





D参道から右側を見る。





E西参道脇の経蔵





O 境内の聖池に映えたアンコールワットのたたずまい。(緑のシートが惜しいねえ)





第一回廊のレリーフ





第一回廊





G十字回廊
十字回廊はその名のとおり、東西・南北の回廊とそれらで区切られた4つの沐浴池で構成されている。





十字回廊の中央通路。





H 第2回廊からの第3回廊へ





I 第3回廊 修理中で中は見学できない。





第1回廊のデヴァター(女神)
デヴァターは何体もあるが同じ物は一つとしてないそうだ。

















J 第一回廊まで出て、見えた夕日。 朝日と夕日を見たことになる。





K 第一回廊のレリーフ





L 東よりアンコールワットを後にする。





M 森を抜けて 写真では明るいが、この頃は暗くなってきている。





「アンコールワット」 さようなら  この後バスに乗って直ぐ雷雨!






 2010/12/7(火)

 

今日は晴れ。

 観光最終日、今日は先ず、「バンテアイ・クデイ」を見学する。





I バンテアイ・クデイの塔門 観世音菩薩が彫られている。
左端に見えるのが、チケットを確認する人。囲まれた入り口などない。子供は入り放題。

 「僧房の砦」を意味している。元々ヒンズー教の寺院でだったが、後に仏教寺院として改造されてる。上智大学の石澤先生の指導の下、発掘された仏像が発見されている。





参道





東塔門前のテラス





レリーフ





内部

















中央祠堂















J タ・プローム

 タ・プロームとは「梵天の古老」を意味し、ジャヤバルマン七世が母のために建てた仏教寺院。この遺跡は発見当初の姿に近い状態にされている。長年放置されていた遺跡にはジャングルの樹木、スポアン(ガジュマルの一種で燃料にも建築資材にもならない木)が絡みつき、成長するに従って遺跡は完全に覆い尽くさた。しかし、そのお陰で沢山の観光客が訪れている。























K プリア・カンの西塔門

 プリア・カンは「聖なる剣」という意味で、チャンパ軍との戦いで勝利を記念して建設されたもの。碑文には、当時は10万人近くの人々がここで働き、踊り子も数千人いたと記されている。欄干にはナーガを引き合う神々(神々の像は崩壊している)





壁面に彫られた巨大なガルーダ像





北楼門 巨大な守門神が入口両側に立っていた。





回廊の窓






 プリア・カンの真ん中で青年が絵を描きながら売っている。この観光地で見たどの絵より上手だったが、先に行っているモモパパがお金を持っているし、一緒に行ったおばさんがこの絵を気に入って買おうとしていたので、諦めた。すると絵の10ドルを値切ったそのおばさんが、「ボクは芸術家だからダンピングはしない。というので買わなかった。」と戻ってきたではないか! 私は「芸術家だから値引きしない。」という言葉がたいそう気に入り、モモパパがら10ドル受け取り、ガイドに待ってくれるよう頼んで引き返す。  





サインも貰った。結構上手い。額縁をオーダーして飾っていることを彼は知るまい。
残念なのは、季節柄この風景は見ていないこと。





ギリシャ神殿のような2層の建物





通路に沿って設置されているナーガ像





 ここまでが午前中。最終日のこの日は、お昼の休憩時間にホテルの前の道を散策してみる。やってみたかったのは、小店を覗くことと椰子の実のジュースを飲むこと。生水は絶対口にしてはならないといわれたが、椰子の実は大丈夫だろう。お腹は壊さず来ている。





学校帰りの子供達。
上は白、下は紺色と決まっているが、貧しい子はその限りでない。




 シェリムアップの交通事情。バスはない、つまり公共の乗り物は未だないのだ。貧しい住民は値段交渉して、バイクタクシー(バイクの後部座席に乗る)で移動する。「雨が降ったらどうするのか?」という、私のつまらない質問に「濡れて行きます。」との返事。大雨のスコールが降ってきても、かまわず濡れていくのだ。しかも乗れるだけ乗るので1台のバイクに4人位乗っていた。

 もう少しお金のある人や観光客は、日本の人力車の、人の部分にバイクをくっ付けて引っ張るタクシーに乗るが、これも規定料金はなく交渉次第らしい。ガイドのビ・チェット君は交渉がヘタなので、買い物はお母さんに任せているそうだ。シェリムアップではお金はすべて交渉次第らしい。

 





 屋台を撮ろうとすると、子供がポーズを取るので一緒に撮影する。魚の燻製にはハエがブンブンたかっているが、客が次々来て買っていく。我々が食べたら絶対に下すに違いない。





隣の小店
 「なになに?何を売っているのか?」スナック菓子、ラックスのシャンプーは外国客向けか? 儲かるのか?脇に日本車の「カムリ」(何故だか日本車はカムリだらけ)が駐車している。この店で冷えた椰子の実ジュースを頂く。





 「ハウマッチ?」と聞くと、伯母さん、少し考えて「2ドル」と答える。私は少し値切ろうと思い、「1ドル?」と聞くと1ドルにしてくれた。他にスナック菓子も買ったが、高く売りつけられたと思われる。冷えてはいたが、ちょっと甘いくらいで期待した味ではなかった。勿論お腹は大丈夫だった。



 午後からは2番目に大きい遺跡のアンクルトムを見学。





L アンコール・トムの入り口「南大門」
大きな観光バスは通れないので、電気自動車に乗り換える。

 アンコール・トムとは「大きな街」という意味で、まさにその名のとおり一辺3kmの城壁に囲まれた大型の城塞都市。アンコール・トムの内部は中央にバイヨン寺院、そのバイヨン寺院の北に王宮や美しいテラスなどの遺跡群がある。12世紀後半、時の王、ジャヤヴァルマン七世はベトナムのチャンパ軍によって破壊された王都を再建し、仏教による「神都」として再生させた。とここでジャヤヴァルマン七世と書いたが、王は世襲制でなく、7世とは「七番目のジャヤヴァルマンさん」という意味なのだそうだ。じゃあ一体どうやって王様を決めたのか?興味深い。





南大門へと続く陸橋に並んだ神々の像





アンコール・トム南門脇の城壁。





M バイヨン

 バイヨンは、都城アンコール・トムの中心に位置する。その都城における位置や、周壁を持たない(正確にはアンコール・トムの城壁がバイヨンの周壁でもある)ことなどからも、バイヨンが特別な寺院であることがわかる。12世紀後半から13世紀にかけて、ジャヤヴァルマン七世からジャヤヴァルマン八世に至る3人の王の在位中に建設され、改変と増築が重ねられた。アンコールワットと同じ砂岩で作られているが、材料が少なくなり質の悪い砂岩で作られた為、痛みがひどいらしい。











尖塔の壁面に描かれているアプサラ





回廊に描かれた壁画





第二回廊





四方を見渡す観世音菩薩 観世音菩薩が彫られた尖塔は全部で49基ある。





微笑んだ優しいお顔





もう暗くなって来たバイヨンを後にする。





N パプーオン  ここからは王宮とその周辺

















O ピミヤナカス











P 象のテラス





 「象のテラス」は王宮前広場に面して南北方向に延々と続く長大なテラスの呼び名である。十二世紀後半、ジャヤヴァルマン七世によって作られ、王族の閲兵などに使われた。高さ三メートル、長さは三百メートル以上もある。





Q ライ王のテラス



 夕食は、伝統舞踊を見ながらバイキングを頂く。





民族楽器の演奏











 夕食をとって、そのまま飛行場に向かい、23時15分発の大韓航空機で先ずはインチョンに向かう。





inserted by FC2 system

 2010/12/8(水)

 

今日は晴れ。

 インチョンに6時10分到着。9時20分に成田に飛び立ち、11時25分到着。

 私は枕が替わると良く寝られないので、今度の旅から、夜、睡眠導入剤を飲むことにした。しかし、規定量では翌日まで持ち越し1日中眠いので、半分だけ飲むと丁度良く、疲れも癒せた。帰りの飛行機は規定量飲んでみたが、熟睡は出来なかった。今度はモモママババに貰った睡眠薬にしてみようか?考え中。

 この旅では観光以外でも思い出深いことがあった。全員で11人だったが夫婦が3組、女性2人が1組、男性2人が1組、そして女性の1人だけの人がいた。やたら明るい人で、一人でも皆に打ち解け、むしろ誰より明るく騒がしいくらいだった。その彼女と帰りの飛行機で隣り合わせになった。

 「よく一人旅されるんですか?」と聞いたところ、「初めてです。」という。「一人でこなければならない旅だったんです。」何やら意味慎重な感じ。聞くとこの旅は昨年なくなったご主人と一緒に来るはずだったのだそうだ。難病で未だ52歳だったそうだ。思わず眼が潤んでしまった。いかん、ここで私が泣いたら彼女も泣いて旅の仕上げが台無しになってしまう。

 「友達や息子は一人で行ってはダメだ。一緒に行こうか?」といってくれたが、一人で来なければならない旅だったのだそうだ。信じる人はいないと思うが、この旅では不思議なことが度々あった。アンコールワットでは最後が夕方遅くなって、空は晴れているのにゴロゴロ雷が鳴り出した。皆がバスに乗り込み、走り出した途端、バケツをひっくり返したような大雨が降ってきた。

 バイヨンでは「雨が降りますから傘をお願いします。」とビ・チェット君(ガイド)に言われて傘を持って歩いたが、結局パラット降っただけで傘はいらなかった。「雨は降らなかったんだわ。」と思っていたら、ちょっと走った所で大雨の降った跡。「いやいや今度も天気に恵まれた旅だった。お寺でお布施をした心掛けの賜物か?と思っていた。しかし、彼女の話で分った。彼女のご主人が彼女を濡らさない為に傘になってくれたのだ。ああそうに違いない。


 男性二人は高校、大学、職場まで一緒で、先のリーマンショックの折に早期退職した同級生、よく2人で旅しているそうだが、これがノッポトとちょっと太ったオチビさんが、まさに「弥次喜多道中記」を思わせ楽しかった。旅なれた人たちばかりで、「何処がよかったですか?」と聞いたところ「北イタリア!」という返事だった。是非訪れたい。


 最後に書いておかねばならないことはカンボジアのこと。ガイドの24歳のビ・チェット君(どこかに写っている)のお母さんは私の1歳年上。悲しいことに家族全員をポルポト軍に殺され、たった一人の生き残りだそうだ。この国はこんな人が沢山いる。字が読めるだけで殺された人もいるそうだ。だから年寄りは少なく、30歳以下の若い人が沢山いる。(カンボジアは子沢山 ついでに書けば男性がお婿さんに行くのだそうだ。女の子が沢山いるほうが豊かになれるのだそうだ。では女の子がいない家は? 末息子がお嫁さんを貰うのだそうだ。)

 米を作る以外に産業は少ない。これから観光に力を入れて、もっと沢山稼ぐといい。公共の乗り物も未だない。子供は学校に行かず、靴も履かず、観光地で絵葉書など売り(親が仕切ってさせているらしい) どぶ池の水を飲んで暮らす人もいるのに、カメラつきの携帯電話でガイドは話す。アンバランスな国だ。話を聞くたびに「不公平だなあ〜」と口をついて出る。


 実は行きのトランジットの時、インチョン空港で30パーセント引きのフェンディーの財布を見て、帰りに買って帰ろうか?と思っていたが、買えずに帰った。これが買えなくても、同じ地球に生まれて私はなんと幸せなことだ。


 ビ・チェット君はよく勉強している。そして平家物語など諳んじる。日本語の話せないお坊さんに日本語を習い、NHKの海外放送で勉強しているという。だからか?日本がやたらに丁寧だ。聞けば未だ日本に来たことがないそうだ。彼は大学で経済を学んでいる。いつか日本の企業がカンボジアにきたら就職したいと思っているのだそうだ。えらい! 日本のよわっちい若者とは大違い。「ビ・チェット君、これより悪くなることはないから頑張ってね。早くガイドで表彰されて日本に来ることが出来ればいいね。お母さんの家族の人のお供えを買ってね」と10ドル渡した。「ありがとうございます。」と彼は涙ぐんだ。よく勉強していて、熱心に説明して、今迄で一番のガイドだった。





泊ったホテル 「エンプレス アンコール ホテル」





裏庭にはプールも





2004年に空港近くにオープンした大型ホテル





ロビー、お部屋ともに木を贅沢に使っている。





可愛い女の子が民族楽器を弾いている。











お湯も豊富に出てくるし、何の問題なし。