2011/9/10(土)

 

今日は晴れ。

 いよいよ中欧ヨーロッパに出発! 中欧ヨーロッパとは、正しくヨーロッパの中央部。中立国だったオーストリアを除き、以前は社会主義の国であった為、簡単に訪れることが出来なかったところ。

 あいも変わらずの格安旅行。評判の余り良くないロシアの航空会社「アエロフロート」使用の為、一度モスクワで乗り継ぐ。モスクワまで10時間ちょっと、モスクワからチェコのプラハまで2時間半。さて体調を崩すことなく無事プラハまでたどり着けるか?





 成田を12時に出発の飛行機なのに、何故か?朝6時過ぎの成田エキスプレスに乗っている。話は2日前にさかのぼる。 ツアーコンダクターのナカヤさん(以降ナカヤさんと書けばツアーコンダクターのこと)から電話が掛かってきた。「アエロフロートは早い者順ですから集合時間の10時に来られても席はございません!」 「えっ?席がないんですか?」これが面白い旅行の始まりだった。席がないのではなく、『良い席』がないということだった。この旅行総勢30名。








 8時過ぎに成田に到着したのは、恐らく私たちが一番だったのでは? チェックインカウンターも未だ開いていなかった。地上係員のミーティングを眺め、一番にチェックインするが、何故だか?窓側でない席を取られる。ナカヤさんは言っていた。「自分で窓側の席にしてくださいと言ってくださいよ!」 国内の会社なら「どちらの席似なさいますか?」と聞かれるので、まさか1番でこんな席にされるとは思っていもしなかった。

 2時間程度のフライトなら我慢するのだが、10時間となるとねえ〜 「窓側の席に替えてください!」と勇気を出して言って見る。すると、そんなに綺麗でもない女性の係員は「チッ!」という表情を浮かべ、それでも未だ羽の上(乗ってみて分った)の窓側に席を変えた。どうやら格安ツアーの客には良い席を与えてはならないということになっているらしい。だからこそナカヤさんはあえて忠告していたのだった。








 昨年アンコールワットに行ったときも、韓国で乗換えだったが、韓国からシェリムアップまでの飛行機(6時間)が余りに小さく、モニターもなかった為随分退屈だった。今回はどうか?と心配したがエアバスの大きな飛行機だったのでモニターが付いていて一安心。

 しかしながら、日本の映画3本を除くと、いかなる外国の映画にも日本語の字幕はなく、見られる映画が限られる。フライトアテンダントも日本語の分る人が少なく、「旅行するなら日本の航空会社ね。」と実感する。








 行きの機内食は日本で作られている為か?お寿司など付き、そこそこ美味しく頂いた。なかなか良い感じじゃないと話していた。(アエロフロートはアルコールは有料の上、持ち込み禁止で、モモパパはご機嫌が悪かった。ビール1缶2ユーロ)しかしながら反対側の窓際の席から、2人の男性の話し声が聞こえてくる。それは大きな声で、何時までも止まない。「近所の席の人はお気の毒ね。」とモモパパと話した。それが、帰りの飛行機に乗る際話題に上がるとはこの時は思いもしなかった。








こんなにいっぱい乗ったのに未だこの辺。しかし、着いたら夜なので寝てもいけない。
 








 15年位前にヨーロッパに行った時はソ連上空を飛行出来なかったのでちょっと遠回りだった。今回はモスクワ経由でも直線コースか? 








モスクワはシェレメチェボ空港にて乗り換え








 サマータイムで時差7時間のチェコの首都プラハ、ルズィニエ空港。着いたのが夕方7時半くらい。チェコはソ連から独立した時はチェコスロバキアだったが、後、民族の関係でチェコとスロバキアに分かれる。ああ、やっと着いた。しかしスーツケースがが2個行方不明になる。「旅のしおり」にロストバゲージは間々あると書かれており、荷物が手元に届くまで、1日分の衣類は機内持ち込みが望ましいと書かれてあったが、この方たちは皆スーツケースに入れていたようだ。(しかし翌日ホテルに届いて大事なかった。)






 2011/9/11(日)

 

今日は晴れ。

 今日は、@ドレスデンの観光からスタート。プラハからバスで3時間位走っただろうか? 





 








 プラハのホテルは、隣のスポーツセンターの為の宿泊施設らしいが、ドライヤーは壊れ、「やっぱり格安ツアーだからね」と思わせるホテルだった。







バスでドレスデンに向かう。こういった風景がズ〜ッと続く。








ドイツはビールで有名な国。お昼はビアレストランで頂く。
 








クラリネットの生演奏が雰囲気を盛り上げる。
 








どの食事も必ずサラダとデザートが付いた。
   








メインの、ソーセージ、ザワークラウト、ドイツではなくてなならないジャガイモ
そお言っちゃあ何だが、旅行中の食事の中で一番口に合った。
 








こんな感じの店のたたずまい、ドイツな感じ。






   ドイツの古都ドレスデン。ドイツ北東部の大地を潤し、北海と注ぐエルベ川の流れに沿って、バロック建築が建ち並ぶ美しい町並み。ドイツのフィレンツェとも呼ばれる美と芸術の都。16世紀から19世紀にかけてザクセン公国の中心として栄えた。この町が出来たのは17世紀、華麗なベルサイユ宮殿に憧れた君主アウグスト2世が町をバロックの町として生まれ変わらせた。ザクセン公国の銀山がもたらした豊富な資金が、それを支えたのだ。






「ゼンパー・オペラ座」 この日は年に1度内部が開放される日だった。ラッキー!
   








オペラ座内部
 








オペラ座内部
 








オペラ座内部
 








 ドレスデンのなかでも、このツインガー宮殿はバロック建築の最高峰とたたえられている。アウグスト2世の居城としておよそ17年の歳月をかけられて建設。この宮殿の中に美術館や博物館、マイセン磁器の収集館がある。  








 忙しい時間の関係上、私が行ったのは「古典絵画館」のみ。14世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ中の名画が納められている。先のアウグスト2世とその息子3世が集めた物である。館内は撮影禁止!








 ドレスデン美術館の至宝と呼ばれるのは、イタリアルネサンスを代表するラファエロの祭壇画「システィーナの聖母」。(ラファエロ最後の聖母像) しかしドイツ人にとって聖母より親しみを込められているのが、下方に描かれる天使ちゃん2人。近所の御土産物屋ではこの天使ちゃんを描いたグッズが沢山売られているらしいが、私は買えなかった。








 たまたまこの時期、バチカン美術館より、同じくラファエロの祭壇画「フォリーノの聖母」が貸し出されていた。2つの聖母像を見られてラッキーだった。絵の良さが十分分らない勉強不足が悔やまれる。   








ドレスデン旧市街地
   








ドレスデン旧市街地
 








ツインガー宮殿中庭から宮殿を望む
 








ツインガー宮殿中庭から宮殿を望む
 








ドレスデン旧市街地




 ドレスデンは2度の破壊を受けている。最初は1756年、アウグスト2世、3世の時代、プロイセンの攻め入られ、戦いは7年間続いた。砲撃で人口は半分近くなったと言われる。戦いが終わってこの地に王が戻るも半年で不思議な死を迎え、繁栄は終わりを告げた。破壊される前、18世紀中期の姿がベルナルド・ベッロットによる絵画としてドレスデン美術館に残されている。(戦後の姿も残されている)

 もっとも大きい被害を受けたのは第2次世界大戦で、1945年2月13日〜15日のドレスデン爆撃で町の85パーセントが崩壊し、ツインガー宮殿も壊れてしまった。同じ対戦で日本は京都が空襲から免れたのとは対照的なことだ。当時ドイツ、ナチスの配下だった為容赦されなかったのだろう。 (ツインガー宮殿は1988年より1992年に修復される)  








ドレスデン旧市街地の模型
 








観光用に日の差す屋根が取り付けられている。
 








因ってこれらの建物は皆新しいものである。故に世界遺産ではない。
   








ブリュールのテラスからの風景
ドレスデン、ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都、人口は約51万人。エルベ川が真ん中を流れる。
   








観光用に馬車が行きかう。
 








フラウエン・キルへ聖母教会 (前にあるのがルター像)

 プロテスタントであるルター派の大聖堂として建築された。 ドレスデン爆撃で崩壊し、そのまま長い間放って置かれるも、1989年に東西ドイツ統合の記念として再建の運動が起き、つい最近、2004年に外装が完成した。空襲に参加したイギリス人パイロットの息子が、建物ドームの上にあり、今は焦げて捻れてしまった十字架を新しく寄付したと言う話がある。なるほどね〜

 建物の色がまだらのは、使える古い石を、コンピューターで調べて組み込んだため。ガイドさんの話によると、この石は鉄分が多く、酸化しやすいので、新しい石も直ぐに黒ずみ、古いものと区別がつかなくなる日もそんなに遠くは無いだろうということだった。中は撮影禁止だった為写真はないが、以降見たどんな教会より感銘を受けた。  








 長い外壁に描かれた「君主の行列」。100メートルの壁に1123年から1904年までのザクセンの君主と芸術家、総勢93名が描かれている。戦渦に見舞われたドレスデンで奇跡的に戦災を免れた。  








ドレスデン近郊の町マイセンで作られたタイルを2万5千枚も使っている。
   








アウグスト2世と3世
 








今日は本当に暑い一日だった。最初の観光地、ドレスデンを後にし、プラハに戻る。
   








プラハでの夕食は、ストラスホフ修道院の敷地内にあるビアレストラン。
 








中からはミサの賛美歌が聞こえてくる。








聖フランシス セラファン教会
 








趣のある建物 チェコビールはとても有名らしい。
 








中では民謡を歌ってくれる。

 チェコの民謡はもとより、日本の歌もサービスしてくれる。後から到着のドイツ人のグループは、やはりドイツの歌を歌って貰った時、一緒に合唱し楽しそうで、此方も嬉しくなった。  








しょっぱいスープ








白身魚のフライ、タルタルソース添え
 








チョコバナナ 基本デザートは必ず付く。水は無いのでノンアルコールの飲み物も買わねばならない。
 








小高い場所に店があって、そこからちょっと行った所からプラハの市街地を望む。(月も見える)
 








この日ドレスデンで会ったキャバリア





マルチーズ





お土産のフェラーのハンドタオル、日本円で1000円くらい。
フェイラーのハンドタオルは、日本のキティーちゃんみたいに御当地タオルがあるのだった。






 2011/9/12(月)

 

今日も晴れてそれは暑い!

 今日は、A世界遺産プラは歴史地区を観光し、プラハから約175km離れたやはりB世界遺産チェスキー・クルムロフ歴史地区を散策する。それから一路国境を越え約71kmのCリンツで宿泊。





   6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に集落が形成された。9世紀後半にはプラハ城、10世紀頃にヴィシェフラト城が建てられ、両城に挟まれたこの地に街が発達した。1346年にボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カレル4世となると、神聖ローマ帝国の首都がプラハに移され、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展。「黄金のプラハ」と形容されるほどだった。

 14世紀、ヨーロッパに吹き荒れた宗教対立、プラハでも激しい対立があり戦乱で廃墟とかすも、この後オーストリア、ハプスブルク家の支配下入る。第一次世界大戦でハプスブルク家は崩壊、その後第二次大戦後は社会主義国チェコスロヴァキアの首都となった。1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こリ弾圧されるが、1989年に共産党政権は崩壊、1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となった。(元々民族が異なる為)








 プラハは「千年の町」と言われ、ボヘミア王朝の面影を残す古都である。ヴルタヴァ川の左岸にはプラハ城がそびえ、右岸には旧市街が広がっている。先ず、プラハ城見学の為、バスで小高い所にある(あ)のプラハ城に行く。  






プラハ城 第二中庭 コール噴水が見える。








聖ヴィート大聖堂

 大聖堂が現在ある場所に最初の教会が建てられたのは925年のことで、ボヘミア公のヴァーツラフ1世によって初期ロマネスク様式が建設された。14世紀前半から改築が開始され、1929年に完成。








正面








 長さ124m、高さ33mの身廊、ヴォールト[アーチを平行に押し出した形状(かまぼこ型)を特徴とする天井様式および建築構造]のジグザグ模様が美しい。側廊には礼拝堂が並ぶ。


 この旅行、その地、その地でガイドが変わるが、イヤホンが貸し出され、マイクを付けたガイドから離れても声は聞こえる。聞こえなくなったらかなり遠いってことで慌てて走る!そんな中、事件(大袈裟)が起きる。聖ヴィート大聖堂は内部のステンドグラスが有名で、その中でも入り口を入って左の手前から3番目にあるミュシャの「聖キリルと聖メトヴィス」を是非良く見るよう話していた。離れて聞いていた私は






これがミュシャのステンドグラスと勘違いして撮影。
 








ミュシャのはこれだった。悔しいので借りた画像をそのままの大きさで、
やはり独創的で素晴らしい。直に見るより綺麗だワン!(負け惜しみ) 
 








第三中庭 左に写っている赤い屋根の部分が旧王宮。

 12世紀の建造以降、ハプスブルク家の支配に入るまで歴代のボヘミア王が居住した場所。完成当時のロマネスク様式に、度重なる改築によりゴシック、ルネッサンスの建物を増築し、更にバロック様式の装飾が加わりこのような形になった。








聖ヴィート大聖堂を右側より見る。右側が旧王宮。旧王宮は思いの他小さい。
















聖ヴィート大聖堂を裏から望む、美しい!








聖イジー教会

920年に創建、12世紀に再建された大変古い教会で、今は美術館。








聖イジー教会の右側からプラハ城を後にする。

左に行けば有名な黄金小道(伝説が残る可愛い町並みの小道が有名)なのに、時間が無いのか?割愛。
 








(い) 下る道すがらプラハの町並みを望む。
 








(う) カレル橋

 ヴルタヴァ川左側のマラー・ストラナ地区(17〜18世紀に建てられた貴族の館が残る)を歩いて、余りに有名なカレル橋に。1342年に洪水で破壊された橋の後に建設されるカレル橋は、1357年にカレル4世の命令で建設がはじまり、60年の歳月を費やし、完成。(全長約520m、幅約10m) 当時はヴルタヴァ川の東西を結ぶ唯一の橋であり、プラハの公式行事の場として利用。裁判や馬上試合の他、歴代の王の戴冠式の行進が行われた為「王の道」とも呼ばれた。








橋の両側に30の聖像彫刻が置かれている。これは日本でもお馴染みの「ザビエル像」。








触ると幸せになると言われる「聖ヤン・ネポムツキー像」








カレル橋よりプラハ城を望む。ガイドブックで見たのと同じだ!








振り返ってカレル橋全体を望む。








(え) 橋のたもとからプラハ城を望む。








旧市街広場に続く町並み。左に旧市庁舎、真正面が広場なのだが・・・








旧市庁舎

   旧市街広場にある旧市庁舎は1338年に建築され、塔は1364年に建てられた。その後、数世紀にわたって増築、隣接する建物の買収などを繰り返し現在のゴシック様式の建物となった。そのシンボルともなっている天文時計は1490年頃造らた。








 縦に並ぶ2つの時計の上の方は、建設当時に信じられていた天動説に基づく地球の周りを回る太陽と月を表していて、現在の時刻を表示している。下の方はカレンダーになっていて内円には12星座が描かれ、現在何月かを表示している。その上がからくり時計で、9:00〜21:00の毎正時に窓が開き、死に神の鳴らす鐘の音とともにキリストの12使徒が窓の奥を通り、時計の上に現れる鶏が鳴いて終わり。








おや? ジャストタイミング! いいや、ガイドの腕が良いのか? カラクリが動き出した。
しかし、何時なのかは分らない。昼食前だったから11時。



 しかしながら問題はこの後起こったのだ! このカラクリ時計台の後、直ぐ後ろにあるお土産物店に導かれた。お土産店に行くのは悪くない。以前15年前にヨーロッパに行った時は、これでもかと土産物店に連れて行かれ、観光する時間も少なくなってしまった記憶があるが、この度は1国1店の割合で、自由行動が少ないこのツアーではお店を紹介してもらわないとお土産が買えない。

 だからお土産店に行くのは良いのだ。しかし、この後、当然、余りにも有名な旧市街広場に連れて行ってくれると思っていたのに(時計台の直ぐ脇)、土産物店を出たら直ぐに反対方向のレストランに出発するではないか! 「広場には行かないんですか?」と聞くと、お店に居る自由時間に行って来れば良かったのに。」とツアーコンダクターが言うもんでちょっとムッとするも、「行かせて下さい!」という勇気もない。ついにあの有名な旧市街広場を見ることは叶わなかった。(夕食の時、他の人も文句を行っていた)なって事だ!出発前9月9日に他人の写真を嬉しそうに使ったからバチが当たったのか?






昼食はチェコの伝統料理の「ローストポーク」と「クネードリーキ」
(小麦粉と卵、牛乳。水をこねて生地を作り、フランスパンの形にして茹でる。)








しかし、その後こんな素晴らしい景色が待っていた。(か)の橋の上からカレル橋とプラハ城を撮影。








プラハの町にはトラムが走り、観光客はもとより、住人の大切な足になっている。



 これでプラハとはお別れ、ああん、もっと色んな所に行きたかった。しかし、時間がないのだよ。次のところに行くよ次に!








で、次に行ったのが、チェコから南下すること175q B 世界遺産「チェスキー・クルムロフ」

 クルムロフ城を含む優れた建築物と歴史的文化財で知られる。クルムロフは「ねじれた形の川辺の草地」を意味し、チェスキーは、チェコ語で「チェコの」で、「チェコのねじれた形の川辺の草地」という意味。クルムロフ城はプラハ城に次ぐ、チェコで2番目に大きな城である。

 13世紀前半に領主クルムロフにより最初の城が建てられる。14世紀にボヘミアの大貴族ロジェンベルグ家の所有になると、城は西へ西へと建て増しされ、陸橋まで作って隣の丘まで延びていった。最終的には5つの中庭からなる大宮殿になった。






(ア) 城の敷地内をつなぐ石で出来た陸橋を左に見ながら








どんどん上に上っていって








(イ)より眺める景色。 ヴルタヴァ川に抱かれるように赤茶けた屋根と白壁の家々が並び、中世の趣がタップリ。








左に見えるのがクルムロフ城の塔








石橋を渡るところ








(エ) 第三の中庭は壁がペイントされている。
ルネサンス様式 スグラフィット(イタリアからもたらされただまし絵)








(オ) 第二の中庭まで下りてくる。








やはりペイントされた壁には日時計が








冬は寒いのだろう、二重窓になっているが、お洒落!








第一の中庭 赤い門をくぐると








(カ) 城下町に出る

 いやいや、ここはステキなところだった。小さな店は何処もセンスが良く。時間があったらもっとゆっくりしてお茶でもしたかった。ここでワンコの模様のマグカップとホーローのコップを購入。プラハに比べて観光客も少なめ。








(キ)の橋より塔を望む。








(ク) 何処の町にも広場があって、皆が集まるのだろう。
プラハで広場が見られなかったが、「ここを大きくした物だろう」と思い直し我慢する。




 


街中をブラブラ歩いて(ケ)の橋に到着。



 明るい内にここを出発し、本日宿泊のオーストリアはCリンツに向かう。夕食はホテルで頂いた。パスタのビーフストロガノフはお口に合わず、食べる物がなく困ってしまった。モモパパはモリモリと私の分まで食べた。なかなかハイカラな綺麗なホテルだったが、お湯が出ない。中谷さんに言おうと思ったが、ぬるま湯で我慢した。やっぱり格安ツアーは駄目だなあ〜と思った次第。それにしてもモモパパ、昼食の時も夕食も、おまけに寝るときにも美味しいビールを飲み続け。







チェコのプラハ 旧市街広場から昼食のレストランに行く道すがら
アメリカンコッカーかイングリッシュコッカー 可愛い!





プラハ ヴルタヴァ川 (ドイツ語でモルダウ)に掛かる橋のたもとの自然食品のお店の番犬
恐らくジャックラッセルテリア





チェスキー・クルムロフのカフェにて





チェスキー・クルムロフにて、ゼラニウムのスタンド仕上げ





可愛いワンコの模様のマグカップ(チェスキー・クルムロフで購入)





チェコの名産のホーローのコップ(チェスキー・クルムロフで購入)





何故だかチェスキー・クルムロフで購入。






 2011/9/13(火)

 

今日も晴れ。ああ暑い!

 今日はツアーコンダクターの中谷さんが言うには一番忙しい日なんだそうだ。Cリンツを出発し、先ず15キロ離れたDザンクトフローリアンに行き、それから78キロ東にバスを走らせEメルク修道院に行って、そこから「世界遺産ヴァッハウ渓谷ドナウクルーズ(約1時間)」で船でドナウ川をさかのぼり、デルシュタインで下り、一路G今夜の宿ウィーンへ。











空は抜けるような青空



 


今日は一番忙しい日だって言うのに・・・

 バスのエンジンが掛からない! 無口な運転手のヴァーツラフさんは何処かに行ってしまう。慌てる様子でもないが、中谷さんは困った顔で彼方此方に連絡している。ホテルの前にあった自動車のディーラーの修理工場の人がタダで直してくれ(バッテリーが上がっていただけと判明!)、35分遅れで出発。





D聖フローリアン修道院 ここはブルックナーゆかりの地である。

 聖フローリアン修道院は皇帝も宿泊したらしく、外観も内部もそれは立派で美しい!本当は教会でパイプオルガンの演奏を聞いて、ブルックナーのお墓を見学するだけのはずだったが、この日はミサが行われていると言うのでそれが終わるまでの間、内部をガイドさんに案内してもらう。





白く美しいたたずまい





中庭





オーストリア1の蔵書を誇るバロック式の図書館 16万冊の本がある。きれい〜





皇帝の間 

皇帝の間は謁見の間であり、カール6世とオイゲン公爵がトルコ軍に勝利した図が描かれている。






 ピンクの色合い(大好き!)も優しく、あまりの豪華さに驚く。こんな素晴らしい所なのに、ガイドブックにも載ってないなんて、どういう訳か?





皇帝の泊まる部屋にあった暖炉 
暖まるのに凄い時間が掛かると話していた。何時間だったっけ? 何日だったっけ?





一番最近泊った皇帝は女帝マリア・テレジア

 ミニ情報として、この時代のベットはサイズが小さめだそうで、それは昔の人は真っ直ぐに寝るのは死人だけで、普段は枕にもたれかかって眠っていたから。だからベットは大きくなくてよかったのだそうだ。映画で見るヨーロッパの時代劇ではそんな風に寝ていて、かねてから不思議だった。なるほどね〜 この後アントン・ブルックナーのお墓参りをする。不遜なので写真はなし。



 


 ブルックナーは13歳の時、父を亡くし、この修道院の聖歌隊と附属学校に入校した。途中、リンツの学校に入ったり、ヴィンドハーグで教鞭を執ったりするが、この地で音楽の基礎を学び、また後にこの修道院のオルガニストとなった。最後はこの地でとの希望でここで暮らし、修道院内にブルックナーの部屋もある。





ブルックナーも演奏したパイプオルガン  演奏の曲目は

          1:バッハ作「前奏曲とフーガ ロ単調」
          2:バッハ作「我等悩みの極みにありて」
          3:ブラームス作「前奏曲とフーガ ト短調」
          4:オルガン奏者アンドレアス・エトリンゲルによる即興曲」
          5:ブルックナー作「前奏曲ハ長調《ペルゲ前奏曲》」
          6:フランツ・シュミット作「前奏曲ニ短調《ハレルヤ》」

           音楽に興味のある人の為に

 私たち30人の為だけに演奏してくれ、教会内にオルガンの音が響き渡る。意味の分らぬ私もたいそう感動する。30人の大きな拍手が、やはり響き渡った。





この旅で教会を見て何時も思うこと・・・

 それは余りに豪華なこと。平民はこの寒い地で貧しい暮らしをしていたに違いない。権力を見せ付ける豪華絢爛さ。宗教とは、神とは、本来民衆を助ける物であろう。「納得いかないなあ〜 だから宗教のある国は戦争もするんだ!」と納得してしまった。これだけの物を作ったから後世で観光客を呼び込み、後の平民が潤うって事か?と思うより納得できない私であった。





と、バスで東に78km、次はもっと豪華絢爛なEメルク修道院に到着





修道院内のレストランで昼食を頂く。
結構美味しいサラダに





マスのムニエル





ザッハ・トルテ (こりゃあ甘い!生クリームには砂糖なし))





抜けるような青空! メルク修道院を見学。





11世紀に創設されたベネディクト派の修道院。
196mも続く長い廊下や、聖フローリアン修道院にも似た図書館(此方は10万冊)

 しかしながら朝のバスのトラブルで予定は押せ押せ。ハイライトだけをパパッと見て回る。若い可愛いガイドさんが説明してくれるのを中谷さんが通訳。





マリー・アントワネットがフランスに輿入れした際にも宿泊したというではないか!
皇帝の間の天井はベランダの模様から上はまっ平らで、精巧な騙し絵になっているのだそうだ。





メルク修道院はドナウの岸壁の上にそびえている。





そこから見た景色





教会内の豪華さには目を見張る物がある。









 メルク修道院からバスで下り、「世界遺産ヴァッハウ渓谷ドナウクルーズ(約1時間)」の船着場メルクから船に乗る。何故中谷さんは焦ったか?それは船の予約があったから。これに間に合わねば大変! 湿度は低いが、暑い暑い!





 左最前列のおばあちゃまだが、暑すぎる日差しの下真っ白な肌が真っ赤に日焼けして、明日になったらどんなにヒリヒリ痛くなるだろうと心配になる。





シェーンビューエル城





アックシュタイン城





メルクからデュルンシュタインへ上る。





こんな船に乗って











ゆったり流れるドナウ川





Fデュルンシュタインの到着! 別名「ヴァッハウの真珠」





デュルンシュタインを後にして86kmバスで走りウィーンへ
ここで免税店に連れて行かれるが、モーツアルトチョコレートしか購入しなかった。

 自由時間はトイレ休憩も含めて30分。その短い時間で、ザッハホテルのザッハトルテを購入しに走った2人が居る。その熱意と元気に敬意を表したい。我々夫婦は近所のスーパーでお土産のチョコなど購入するのみ。ヨーロッパ土産で有名なドイツのメルシーのチョコ、日本で購入すると1,000円だが、スーパーでは250円だった。お土産はスーパーに限る。





ウィーン国立歌劇場 (オペラ座) 世界三大歌劇場のひとつ(パリ、ミラノ)





ウィーン市内を走るトラム





夕食はホイリゲで(オーストリア東部に見られるワイン酒場のこと)





コンソメのスープに、しょっぱいミートローフ、アップルパイを頂いた。





アコーデオンとバイオリンの生演奏
テーブルごと回ってくる、私は「エーデルワイス」を頼んだ。1曲日本円で500円位



 忙しい、忙しいと言うが、この旅でホテル出発が8時より前だったことはない。バスの運転手の労働時間は厳しく、途中運転手が交代することもあった。だけど、出発前にエンジンくらい掛けて待ってても良かったと思う。チェコの運転手は、社会主義だった事もあり、余り仕事熱心でない。困ったことだが仕方がない。「郷に入れば郷に従え」だ。





世界遺産 ヴァッハウ渓谷ドナウクルーズの船上にて 
ウエストハイランド・ホワイトテリア





このワンコはウィーンの街中で遭遇。シーズーの男の子
どうやら地元の人ではなく、観光客のようだ。





ウィーンのお土産の『モーツァルトチョコレート』 普通に売られているのは人へのお土産用に、
「これはコンクールで1等賞だから自分用に買って帰ってください。」といわれる。甘味控えめで美味しい!






 2011/9/14(水)

 

今日も晴れ後時々雨。

 今日はG「世界遺産ウィーン歴史地区観光」にてシェーンブルン宮殿、市立公園、美術史博物館を観光の後、65km東に走りスロバキアの首都Hプラチスラバを散策。ここからまた194kmバスを走らせIブダペストでチャーター船によるドナウ川イルミネーションクルーズをする。











ウィーンではドライヤーも壊れてなかったし、お湯も出たし内装もなかなかステキなホテルだった。





最初に行ったのがマリア・テレジア・イエローの「シェーンブルン宮殿」。 





入って直ぐ中心部、ウィーン会議にも使われた大ギャラリー
実は撮影禁止だった。(後からついて行くから聞いてない。)以後、宮殿内の写真は無い。

 ウィーン会議はフランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々と進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された。この度は、ヨーロッパの歴史の勉強になる旅になった。学生時代もっと世界史を勉強しておけば良かった。



 「フランスのベルサイユ宮殿に匹敵する宮殿を」という時の皇帝レオポルト1世の命により、1696年に着工。しかし、スペイン継承戦争や皇帝の急逝により中断。あとを継いだマリア・テレジアの時代に大規模な改築が行われ、1749年、バロックとロココ様式を持つ美しい宮殿が完成! その後王家の夏の離宮として使われる。公開されているのは2階部分。

 写真も撮らず、ず〜っと後ろから付いて歩くので、何が何処やら覚えていない。戻ってガイドブックを見て思い出す。フランツ・ヨーゼフ1世の執務室、エリザベートとの寝室、漆の間、マリア・テレジアと娘達の肖像が並ぶ子供部屋など豪華な部屋を見て回る。父カール6世が後継者問題で悩んだため、マリア・テレジアはできるかぎり子を産もうと考えた。そして子供を政略結婚させた。マリー・アントワネットは、16人の子供の15番目の末娘。





宮殿ベランダから庭園を望む。向こうに見えるのがグロリエッテ。





庭園に下りて右側を見る。





花はベゴニアが使われている。
ベゴニアは丈夫で、色鮮やか、花の寿命も長い。合理的と感心する。





「ネプチューンの泉」





ネプチューンの泉の上から シェーンブルン宮殿を望む。





最高の天気! 美しすぎる宮殿 旅の醍醐味を実感する。





「マリア・テレジア像」(今から行く美術史博物館の前)





美術史博物館内部は大理石をふんだんに使いそれは豪華!

 ハプスブルグ家の膨大なコレクションを収蔵するヨーロッパ屈指の博物館で、フェルメール、ルーベンス、レンブラント、ラファエロの名画などが展示されている。





正面に見えるのが「聖イグナチオの奇跡」 ルーベンス作





「四大陸」 ルーベンス作 

 ヨーロッパ、アフリカ、アジア、そしてアメリカ大陸の四大陸と、その代表的な河川を一対の河神と女神によって表現しているところにルーベンスの創意が示される。中央の黒人の女神と麦の穂の冠の河神はナイル河とアフリカ大陸を、右手前の虎とその一組の河神と女神ははアジアとガンジス河を、アジアの隣に配される唐辛子の冠を付けた河神と女神は、秘境の地アメリカとラ・プラタ河(又はアマゾン河)を、画面左の舵を手にする河神と女神はヨーロッパとドナウ河を意味しているとされている。(調べて今知った)





「薔薇色の衣裳のマルガリータ王女」 ベラスケス作


 成長を記録するかのように晩年にかけて連続的に制作したスペイン皇女≪マルガリータ・テレサ≫が3歳の頃の姿である。マルガリータ王女は、1651年に当時のスペイン国王フェリペ4世と後妻(2番目の妻)であるマリアーナ・デ・アウストリア(マリアーナは皇帝フェルディナント3世の子供)の間に生まれた最初の娘で、幼い頃から当時スペインにとって脅威となっていたルイ14世が統治するフランスに対抗するために、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世との政略的婚姻(※この婚姻によってスペインとオーストリアの同盟が成立した)が定められていた(その後、マルガリータは22歳で没した)。本作はマドリッドの王室からオーストリアのハプスブルク家(王室)へ贈られた贈呈画の最初の作品であり、本作以外にもマルガリータ王女が5歳の時と8歳の時の肖像画もウィーンへと贈られている。いわゆる見合い写真の代わり。

 この時代このように先に肖像画を送っていたが、実物と余りに異なり、ガッカリしたケースも多々あったそうだ、なるほど。    





館内で模写している人がいる。ガイドさんの友達だった。





「バベルの塔」 ブリューゲル作

 ピーテル・ブリューゲルの最も世に知られる代表作『バベルの塔』。旧約聖書創世記 第11章に記されている伝説の塔で、ノアの洪水後、人間が天にも届くような高い塔≪バベルの塔≫を築き始めたのを神が見て、その驕りを怒り、人々の言葉を混乱させ建設を中止させたとされる逸話中、塔の建設場面を描いた本作は、内部まで細密に描かれている建設途中の塔の形態、色彩、人物・風景描写など各部分において特筆に値する秀逸の出来栄えを示している。





アンチボルド作 四季の中の「夏」(左)と四大元素「火」

 野菜や果物などで構成された独特の肖像画が有名。アンチンボルドはその才能をハプスブルク家の皇帝に気に入られ、ウィーンやプラハの宮廷画家として活躍した。「奇想の画家」とも呼ばれる。いわゆる「騙し絵」。





「草原の聖母」 ラファエロ作





「絵画芸術」 フェルメール作

 17世紀オランダ絵画黄金期の巨匠フェルメール中期を代表する大作『絵画芸術』。画家の作品の中でも特に大きな画面で制作された本作は、右手に名声を象徴するトランペットを、左手に歴史を象徴する書物を、そして頭に月桂樹の冠を被るというチェーザレ・リーバ著≪イコノロギア≫に記される歴史の女神クリオに扮した女性を画家がアトリエで描く場面という、いわゆる≪画家のアトリエ≫を題材にした作品。





ウィーン 「国会議事堂」





「市立公園内」  本物は貸し出されていた「ヨハン・シュトラウス像」





お昼はウィーン名物「ウィンナー・シュニッツエル」ポークカツレツを頂く。
本当はわらじ位の大きさだそうだが、日本人は残すので小さめ。

 ここでまた事件が起こる! いつでもゆっくりで最後の私は、レストランでもトイレも最期に行って、出てきたら誰もいない! 店の外に出てキョロキョロしていると、テラス席の客が「あっちに行ったよ。」と指差してくれた。モモパパも一緒に行っちゃってどうするんだ! 「だってみんなの後を付いて行かなきゃはぐれるでしょ。」とモモパパ。「奥さんがトイレにいます〜」といえば良いのに、迷子になるところだった、モ〜


 ウィーンを後にして65km、スロバキアの首都Hプラチスラバに向かう。もっとゆっくり観光したかったよ〜 今まで暑いくらいの晴天続きだったが、バスに乗ってしばらくしてポツポツ雨が降り出す。





プラチスラバのシンボル「ブラチスラバ城」 (行っていない)
到着と同時にバケツをひっくり返したような大雨になった。





市街地に下りる。私はカッパがあったが傘もない人がいた。
大事なカメラが濡れては嫌なので、ここの町はモモパパの撮影した写真を使用。





「ミハエル門」
旧市街地を囲む城壁と門が一部残っていて、唯一残る門がミハエル門。





「旧市街広場」 日本他各国の大使館が面している。





ユニークなブロンズ像が彼方此方に置かれている。





「オペラ座」







 プラチスラバはハンガリーの首都ブタペストがオスマン・トルコの征服されていた1536年〜1784年までハンガリーの首都だった。雨はこの地だけで、「雨なら此処で良かった。」と負け惜しみを言いながら、1時間の短い観光を終え、197kmバスを走らせハンガリーの首都Iブダペストに向かう。一旦ホテルに入り、夕食を頂き(サーモン料理が、やはりショッパイだけで口に合わず、ほとんど頂かなかった。ハンガリー名物の貴腐ワイン、甘いトカイワインを頂く)、チャーター船にてドナウ川イルミネーションクルーズに向かう。





「国会議事堂」  満月が・・・

 この旅は連日天が抜けるような晴天の日が多く、暑かった。ツアーコンダクターの中谷さんから「船の上は寒いですから上着を持って行ってください。」と言われたにもかかわらず、何も持っていかない人が多かった。私は真面目なので軽いダウンジャケット(ユニクロ製)を着ていて(あともう一人)、「大袈裟〜」と笑われた。しかし、川の上は思いの他風が強く寒かった。そして「あったか〜い!」と自慢した。





「セーチェーニ鎖橋」

 ハンガリーの首都・ブダペストを流れるドナウ川に架かる吊り橋。全長375メートル。ブダペストのドナウ川で最初に架かった橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペスト地区を結んでいる。夜間ライトアップされ、連なる電球が鎖のように見えることから鎖橋と呼ばれる。



 


「ブダ城」


 この地に初めて王宮が建てられたのは13世紀半ば頃。。しかし、1686年のハプスブルク軍とトルコの戦いにおいて、完全に破壊されてしまう。その後、バロック様式で新たに建てられたものの、大火災や二度の世界大戦で破壊され、現在見られる姿は1950年代に入ってから完成したもの。





ひや〜 美しい〜 「国会議事堂」

 既存の建物にライトを当てただけなんだから、大したことはないだろうと思っていたが、「この旅も最終地に来て、今まで見た中で一番綺麗な景色だねえ〜」とモモパパと話す。







雨のプラチスラバで出会ったゴールデン





プラチスラバで拾った大きな葉っぱ






 2011/9/15(木)

 

今日も晴れ。

 今日はI世界遺産ブダペスト観光の後、北に50kmバスを走らせJドナウベント地方観光し、またブダペストに戻る道すがらセンテンドレを散策し、ウィシュグラードの要塞を麓から望む。これで今回の観光全工程はお終い。











この旅で一番立派なホテル、毎日がこんなホテルだったら言うことなし。





ブダペスト ドナウ川を挟んで左がブダ地区、右がペスト地区



 ハンガリーはドナウとティサ、2本の大河が流れ東部に大平原が広がる。896年にアジア系騎馬民族が定住、(故に他の2国と人々の雰囲気が異なる)1000年にハンガリー大国を建国。18世紀にハプスブルク家の配下に。1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国が誕生、第1次世界大戦により崩壊、第2次世界大戦ではドイツ軍の占領下に、戦後人民共和国が成立するも、1989年に自由主義国家になる。





(あ)ブダ地区で一番の高台「ゲッレールトの丘」標高235mからの眺め。

 「ドナウの真珠」 ドナウ川河畔で最も美しい眺めと言われる。 あの〜 書いておくと、手前の赤い服を着た人がツアコン。(偶然写っていた)





(い)「漁夫の砦」
漁夫と言う名前は、此処は昔魚市場があったからとも、漁夫ギルドの漁師達が守っていたからともいわれる。





砦としては使われなかった。





(う)綺麗な町並み





連れて行かれた土産物屋の店頭 可愛らしい!(此処でブラウスを購入)





何だったか記憶になし。





(う)「マーチャーシュ教会」 13世紀に王宮の建設と同時に建てられた。





トルコ軍の侵略時にはモスクに改築されたが、軍の撤退とともにカトリック教会にもどされる。
(ミサ中で残念ながら中は見学出来なかった。)





対岸の(え)国会議事堂を望む。



 と此処で「王宮の丘」を下りる。何故だか? 並びにある王宮には行かなかった。(大して見るところはないのか?) 王宮にも行きたかったよ〜 (忙しいのだ、時間がない!) ツアーコンダクターの中谷さんが言うには、ツアー客は皆この様に忙しい旅に文句を言うが、結局またこのような詰め込みのツアーを選ぶのだそうだ。戻ってみると分らんでもないが。





(お)「聖イシュトバーン大聖堂」 聖人となったハンガリー王を祭る大聖堂





内部天井





左右にある祭壇





中央ドーム  直径22m、高さ96mの威容を誇る。





ハンガリー国立歌劇場 オペラ座





「アンドラージ通り」
パリのシャンゼリゼ通りをモデルに作られたんだって。





昼食はハンガリー名物「グヤーシュ」(パプリカ入りのスープ)を頂く。具が少ない。





「自由橋」





昼間に見る、余りに有名な「鎖橋」。 ペスト地区から入る一方通行だったような。



 と此処でブダペスト市内の観光はお終い。ああん、もっと良い所あっただろうに。ブダペストはプラハやウィーンに比べ質素な感じ。行きかう車もちょっとボロで、バスも未だ社会主義の匂いがする。未だ少し貧しいのだろう。しかし、私的には町並みなどは一番好きかも知れない。ブダペストを後にして、北西に60km、ドナウ川沿いにバスを進めJドナウベントに向かう。





「エステルゴム大聖堂」 カトリックの総本山で、エステルゴムの高台にそびえる。



 エステルゴムにマジャル族が9世紀に定住し、息子のイシュトバーンが997年に初代ハンガリー王となる。以降ハンガリーの都として栄える。13世紀にモンゴルの襲来(こんな所まで来たんだねえ〜) 打撃を受け、ブダへ遷都が行われた。しかし、1715年からカトリックの総本山が置かれ宗教上重要な町になっている。





エステルゴム大聖堂のマリア様王冠をかぶっている。











パイプオルガンも素晴らしい!





脇の祭壇 

 イシュトバーン1世は跡継ぎが亡くなり悲しみに暮れた。マリア様に、王冠を預け、その職を託した話しを表している。このことからハンガリーにあるマリア像の多くは王冠をかぶっている。





主祭壇「聖母マリアの昇天」はヨーロッパにある1枚絵画で最大の物。





対岸はスロバキア

 ウィーンからスロバキアを通って東に流れてきたドナウ川は、ハンガリーに入ると急に向きを南に変えてブダペストに向かう。このドナウ川が弧を描く辺りがドナウベント。つまり、「ドナウの曲がり角」の意味。





Kウィシェグラード
ドナウ川の曲がり角にある、かっての要塞





Lセンテンドレはブダペストの北20kmにある小さな美しい町。





なだらかな丘陵地の民家や店が建ち並ぶ。





14世紀オスマン・トルコから逃れてセルビア人やギリシャ人がやってきたのが始まり。人種が異なる感じ。





お洒落な町並み





独自の文化に魅了され、多くの芸術家が移り住む。(上手い、似ている!)

と散策を終え、観光の全工程の終了。





プダペストに戻り夕食を頂く。





生演奏も良い雰囲気!





ポークとポテトとキャベツはよく食べた。





ホテルの近くにあったショッピングモール





ショッピングモールの中にあったスーパーでお土産を買う。





ブダペストで購入の刺繍のブラウス





センテンドレで購入の800円のクリスタル






 2011/9/16(金)

 

今日も晴れ。

 昨日で観光は全部終わり、今日はハンガリーのブダペストから途中モスクワで乗り換え帰国。昨日1日ハンガリーを案内してくださった「けい子」さんがサポートしてくれてスムーズに運んだ。と言うのも大袈裟な話。

 ハンガリーという国は、未だ社会主義が抜け切れていないのか? 空港職員が横柄だそうで、「ご機嫌を伺ってください。」といわれた。間違っても作業が遅くて「チッ!」なんて言ってはいけない。どんどん意地悪されて遅くなるそうだ。私は要領が良いので、にこやかに「グッドモーニング!」(ハンガリー語じゃあわざとらしいでしょ)と挨拶して難なく出国できた。

 「割り込みも気をつけて。」といわれていたが、太ったおばちゃんがいつの間にか列の中ほどに割り込んでいて、中谷さんが追い出した。日本人は大人しいのでやられ放題になる。

 




 モスクワでちょっとした騒動が起こった。行きの飛行機で一緒だった他のツアーの客が居たのだ。この客は行きの飛行機の中で酒を飲んで、何時までも大声で騒いで周りに迷惑をかけていたおじいさん。また近所になったら、帰りは日本に着いたら朝で、寝て帰らなければならないのに如何しよう〜 と一同騒然となった訳。しかし、搭乗して見たらずっと離れた所で一安心。

 と思ったのもつかの間、私の前後はそれは太ったロシア人で、立って集まっては喋り、座っては喋り、それは騒々しかった。勇気を出して「シ〜」っと言って見たが、にこやかに頷くが喋りずくめ。腹も立ったが、根性が悪くなった私は、「こんなに太った人たちはそんなに長生き出来まい。可哀想だから大目に見よう。」と心を入れ替え、持って行っていたUSBプレーヤーで癒しの音楽を聴いて眠りに付いた。今度のたびで学んだこと、アイマスクと耳栓は必需品!なんなら睡眠薬も飲んだ方がよい。(導入剤では効かない)



 とこれが旅の締めくくりでは寂しいので、思いついた話をひとつ二つ。





 この旅は総勢30名。地味めな土地柄からか? 新婚さんは一組も居なかった。私たちより年長の夫婦が2組、私達夫婦、私たちより10歳くらい若い夫婦(よく行くホームセンターの近くのマンションにお住まいだった)が1組。女性2人組が5組、双子の兄弟が1組、母娘連れが3組、珍しい所で母息子連れが1組、女はたくましい、女の一人旅が2人(60歳超えのおばさんと、若いお嬢さん)。食事の度に席を入れ替えたり、入れ替えなかったりで、多くの人と話した。

 一人旅は人と話をするのが苦手な人は余り向かない。今回は若いお嬢さんがおばちゃんに良く付き合って感心だった。息子連れも息子さんと何を話したら良いか戸惑ったが、最後はオバタリアン丸出しで大笑い。母娘連れは、大体娘が偉そうに母を誘導している姿が目に付いた。双子は仲が良い。女二人は、職場の同僚、幼なじみ、おばあさん仲間とそれぞれだが、長い旅ではともすれば喧嘩になる。今回はそんな組もなかった。女二人は適度な距離が望ましい。長い旅では、無二の親友でもなければ、経済が許せば別室が良かろう。

 では問題の夫婦連れは如何かと言うと、まあ大まかに言うと皆さん夫婦仲は良かったように思う。(一緒にい旅に出るのだから当たり前といえば当たり前) しかし、無口なご主人と食事で同席した時、「うちのは、家に帰ると近所の誰それが如何やらこうやらと聞きたくもない話を聞かされてかないません。」と口を滑らせ、内心を始めて聞いた奥様が「あら、あなた、そんな風に思っていたの?」と驚かれるなど、夫婦関係を垣間見ることが出来た。年長夫婦になるほど亭主関白の匂いがする。





 このツアーのコンダクターはベテランの女性で、あらゆるアクシデントになるであろう事も、難なく乗り越えた。音楽や歴史に造詣が深く、説明は大変勉強になった。以前の写真の中にチョロッと写った写真があるが、それは個性的な人だ。大勢に人間を迷子にせず移動するには、先生のような物言いになり、高齢の男性に「こんな添乗員は初めてだ。」と言わしめたが、彼女のユーモアが理解できないなら仕方ない。>

 ヨーロッパの歴史に詳しく、このたび、ハプスブルク家の勉強を沢山した。学生の時、世界史を一生懸命勉強しなかったので、一般常識もないのが判明。この国々は有名な音楽家を生んでいるが、国を移動するバスの中で、次の国の音楽家の曲を流してそれはアカデミックな感じだった。私的には、チェコのチェスキー・クルムロフからオーストリアのリンツに向かう間に聞いた「サウンド・オブ・ミュージック」には涙が出そうになった。そう、今回の旅では「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台ザルツブルグには行けなかった。これは心残り。












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 2011/9/17(土)

 

今日も晴れ。

 連日ヨーロッパとは思えぬ暑さだったが、日本に戻っていてもなんて暑いこと! 中谷さんが一人一人のスーツケースが壊れてないかチェックして、皆さんとお別れ。写真のやりとりをする為に数人とメールのアドレスやでんわ番号を交換し、写真は既に送った。若者たちは国内で飲み会など開くという。  





 壊れそうな腰だったが、シップを張り張り頑張った! 何とか無事に日本までたどり着いた。





 中谷さんのユーモア溢れる話で、一同すっかり馴染んで仲良くなった。楽しい旅になった。次がは何処だ? スペインか? イタリアか? ちょっと近いところで上海あたりか? その前に腰を治して。