2017/6/8(木) |
今日は曇り時々晴れ。
今日から8日間 JTBは「旅物語」『羽田発着フランス大縦断8日間』の旅に出かける。羽田発は空港までの時間も短く、出発も昼過ぎなので、ナナも当日預ければ良かったので助かった。 羽田が国際空港に戻って本当に助かる。 日本の空港のグランドスタッフは本当に親切だ。「そうだ、帰りも指定しよう!」ということで、たまたま搭乗口に移動してきていた先ほどの可愛い女性グランドスタッフさんに相談したところ、無事帰りの飛行機も後方の2人席が確保でき、ひと安心。これで旅の間中、帰りの飛行機の不安が無くなった。そんなに高価ではなく、一人3,000円から7,000円で確保できる、有難いシステムだ。 ツアーでプレミアムエコノミーに格上げしてもらうと6万円余分に掛かるが、空港で自分で手続きしたら4万円で済む。2万円JTBが取るわけで、2万円は取り過ぎだと思う。 飛行機は14時発のエールフランス航空、エールフランスは2度目。 12時間、寝ないで時間をつぶすには映画を見るしかない。日本ではまだ上映されていない映画もたくさんある。 最初に見たのが「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」 ★★★★☆ 「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」を見ている間に、おつまみとドリンク 1回目の機内食が配られる。モモパパは離れているので何を頂いたか知らない。 1本目を観終わってこんなところを飛んでいる。先は長い。 続けて2本目は、日本でも大ヒットの「美女と野獣」 私にはたいして感動もなく ★★☆☆☆ 2本目観終わってロシア上空 はてさて次は何を観ようか?実は日本で日本語の映画を調べていたが、デンゼルワシントンは見逃せない。 「フェンス」 重い作品で ★★★★☆ あとちょっと、あと2時間! 面白い面白い! 話が良くできていて ★★★★★ 映画の途中2回目の機内食が出るが、動いていないので食べられない。映画はぎりぎり見終わった。 @パリはシャルル・ド・ゴール空港でトランジット パリからニースまでの飛行機内のおつまみ 午後10時だというのにまだ少し明るい。 月明りが水面に映って美しい! ニースはコート・ダジュール空港 ホテルは「プロモテル」。清潔感はある。この旅で言えるのはホテルはほぼビジネスホテル。格安だから仕方ない。 |
2017/6/9(金) |
今日は晴れ。
朝食はバイキングスタイル。フランスだからパンが美味しく、食べ過ぎにご用心。 保養地のニースだから、ビジネスホテルにもプールがある。 ホテル正面 ニースの旧市街 「裁判所」 パステルカラーに彩られた建物 カフェで早速ワンちゃんに遭遇! サレヤ広場のマルシェ こんな大きな花束が15ユーロとは安い気がした。 新鮮なお野菜 美味しそうなフルーツ 人に分けたりして随分減った。大粒で甘くてすごく美味しかった! ニースのビーチ 「プロムナード・デ・ザングレ」 お金持ちそうなご婦人が散歩していたポメラニアン 石造りの家々 先ずはプラゴナール香水工場にに連れて行かれる。 歴史を感じさせる多くの建物は、工芸作家や画家のアトリエ、レストランとして使用されている。 熱帯植物園の切符売り場の黒猫 上に上がったらこの絶景! 皆ここで記念写真を撮る。 ニースもそうだが、日本人には会わない。テロのせいだろう。 今回の、気の効いた添乗員のアーさんと話しているところ。 村の小さな教会 内部 変わった毛色のワンちゃんに会う 戻りのバスから見たエズ村 もともとモナコはカジノで国の富を発展させてきた。所得税や相続税がないためお金持ちが好んで住みつき、今では世界中からのVIPによりモナコは裕福な国として成り立っている。モナコグランプリも有名。 大聖堂 内部 内部にあるお墓 大公宮殿 大公宮殿は1215年に建築された大公の家族の住居。宮殿前広場には衛兵の交換式が毎時11時55分行われる。 モナコの中心市街地であり、モナコ経済を支えるモンテカルロ地区 小高い丘を降りて 市街を走るバスに乗る いかにもリッチな広告を載せるバス グレース公妃のバラ園 バラはもう咲き終わっている感じ グレース公妃像 入園は無料 お昼のレストラン モナコ風サラダ 鶏の料理 「海洋博物館」 アルベール1世による海洋動物のコレクション 次の街アビニョンの途中のドライブインで見つけた可愛いジオラマ 良くできている。 あらこんなところにワンコが アメリカンはなく「コッカー・スパニエル」とひとくくりは失礼だろうに 7.5ユーロ(1000円弱は高過ぎ!) プロヴァンス地方の山々 セザンヌはこの山を、若い時から亡くなるまで80点近く描いたそうだ。 まだ明るいので、今日の宿アビニョンの歴史地区の観光もしてしまう。 アビニョンで出会ったジャックラッセルテリアと素敵な飼い主 細い路地を抜けて 「法王庁宮殿」 アビニョンの市街地 「HOTEL」とは役所のことらしい 気の利いた添乗員さんは写真左の、スーパー「カルフール」に連れて行ってくれた。 フランスのお菓子にはずれはないといわれて、沢山のお菓子を買った。 ワイヤーダックスフント 「アヴィニョン橋」 アビニョンの街は城壁で囲まれている 写真スポット 今日の夕食はキャンプ場のレストラン モモパパは地ビールを頂く かぼちゃのスープ 川魚の料理 デザート 今日のホテルはアビニョンの「イビス スタイルズ アヴィニョン シュド」 |
2017/6/10(土) |
今日は晴れ。
ホテル「イビス スタイルズ アヴィニョン シュド」 オールドファッションカーの何かがあるのか? 多数の車がホテルの駐車場にとまっていた。 こちらのホテルにもプールがあった。 朝食 アルルまでの道中ひまわり畑があって、下車して写真を撮る。 先ずは「ゴッホの跳ね橋」へ 「ゴッホの跳ね橋」 跳ね橋から反対側を望む 「アルル」 パン屋さん 「マカロン屋」 チーズ屋 ワンコも来ている 一体何店位出ているのか?大規模な朝市だった。 市街地に入って行く 「円形闘技場」 「古代劇場」 今にもゴッホが出てきそうな素敵な家 共和国広場 中央には古代ローマ遺跡から発掘されたオベリスクがある。 「サン・トロフィーム教会」 残念ながら中は入ってない! 教会正面入口の彫刻「最後の審判」 「エスパース ヴァン・ゴッホ」 今回の添乗員さんは男性だが、美味しいものに目がないようで、このクレープを勧められる。 栗のクリームが美味しかった! 私は15ユーロのバッグと、パンにつけるオイル漬けを購入。 15ユーロのバッグ 先ずは昼食、素敵なレストランへ フランス名物夏野菜の煮込み「ラタトゥイユ」 美味しかった。 肉詰め焼き ローマ期に造られた最大の水道橋 「ポン・デュ・ガール」 全体の高さはガルドン川の最低水位から 49 m。 下層は6つのアーチから成り、長さ 142 m 、幅 6 m 、高さ 22 m。中層は11のアーチから成り、長さ 242 m 、幅 4 m 、高さ 20 m 。導水路がある上層は35のアーチから成り、長さ 275 m 、幅 3 m 、高さ 7 m。 土曜日なので、ガルドン川で水遊びをする人も沢山いた。 脇 「フルヴィエールの丘」の上に建つ「フルヴィエール教会」 1896年、市民の寄進によって建立。ミサ中の中には入ったが撮影禁止。 旧市街に降りてきて「フルヴィエールの丘」を望む。 夕食はリヨン市街地で 夕食のレストラン 卵のサラダ 鶏肉のパスタ チョコのケーキ 「オペラ座」 今日のホテルは「ノボテル リヨン ブロン」 |
2017/6/11(日) |
今日は晴れ。
朝のホテル正面玄関 自前の蜂蜜の為か?蜂の巣箱があった。 日に日に朝食のボリュームが小さくなっていくか? 途中のドライブインで、見晴らし台があった。 見渡す限りの草原! お利口のはずのシェパードだが、少しおバカなのか?パパが店内に入るとすごい勢いで吠えていた。 移動がお昼までかかり、ブールジュで昼食 パテ 魚とライス ブールジュの大聖堂は駐車場の関係から後ろから あまりにも大きく、大聖堂前があまり広くないので、普通の広角レンズでは全部が納まらない。 「最後の審判」 内部に翼廊はなく、側廊が二重になっている。珍しい形式。 祭壇の反対側 中世のステンドグラスを多く有しており、キリストの受難や聖人たちがテーマとなっている。 色合いが鮮やか! 「側廊」 側面 可愛いキャバリアがいた! 暑い暑い! 湿度は低いが、温度は軽く30度を超えている! 帽子は良いが、髪の毛がぺっちゃんこになってしまう。 大聖堂の横にある建物も美しい。 中でも一番有名なのが、歴代のフランス王に愛された「シャンボール城 」 この城の建築家はフランソワ1世が呼び寄せたレオナルド・ダ・ビンチの影響を強く受け、設計の素案を描いたのもダ・ビンチだといわれている。内部のフランス・ルネッサンス様式の二重らせん階段は有名だが、残念ながら内部の見学はしていない。ああ残念! (添乗員は内部に物はなく、時間を割いてみるべきものはないと話していた。) 確かに「るるぶ」にも内部の写真はない。 少し離れたところに、お土産物屋とインフォメーションセンターがある。 ロワール河を挟んで対岸にもお城が 「アンボワーズ城」 こんな感じで撮影中 夕食はステーキ 前菜のサラダ 固くて噛みきれないステーキ デザートはアイスの乗ったドーナツ、甘い! 今日のホテルはトゥールの「キリアド トゥール ガール サン-ピエール デ コー」 |
2017/6/12(月) |
今日は晴れ。
今日はJのモン・サン・ミッシェル。 朝食 泊まったホテルは サン・ピエール・デ・コールのTGV鉄道駅の向かいに位置している。 2重連結のバスが走る。 一路バスを走らせ(約350キロ)モン・サン・ミッシェルへ 到着したらバイクの団体に遭遇! ポルトガルでもそうだったが、ヨーロッパはバイクツーリストが多い。 お昼はかぼちゃのスープ 何処でも出てくるポテトフライ。フランス人はポテトフライが大好きなのか? ガレット(そば粉のクレープ) レストランは今日のホテルのすぐそば モン・サン・ミッシェルと往復するシャトルバス「ル・パッサー」 所要時間は約6分 今日のホテル 「ホテル ガブリエル」 モン・サン・ミッシェルのライトアップが見られるポイントまで徒歩で10分の所に位置している。 「ル・パッサー」 所要時間は約6分 はい、晴天のモン・サン・ミッシェルに到着! ただ今引き潮。 この旅のメインエベント。 やはり絶景! 歴史としては、708年に、司教オベールが大天使ミカエルのお告げにより、海に浮かぶ岩山に聖堂を建立したのが始まり、966年にはベネディクト派の修道院が設立。拡張を繰り返し16世紀に完成。一時期、要塞や牢獄となりながらも、1966年からは修道院として甦り、現在に至っている。 なぜか?カモメに「餌があるよ〜(実は何も持っていない)」と手を高く上げる私。 確かに遊歩道は入口まで作られてない。全体が海水で囲まれるのは年に数回だけとのことだ。 前哨門をくぐるとテロ対策の兵士の姿が。 有名なレストラン「ラ・メール・プラール」横浜にも支店がある。 「王の門」 クッキーなどを売っている「ラ・メール・プラール」のお土産物店。 参道 グランド・リュー 巡礼者が列をなした、修道院まで続く曲がりくねった細い坂道。レストランやみやげもの屋が軒を連る。 グランド・リューから城壁に出る。 イギリス軍に対する要塞として、百年戦争時に建造された城壁を歩く。 来た道を望む、今は引き潮。 城壁からモン・サン・ミッシェル修道院を望む。 いやいや、なんて景色だ! 「哨兵の門」いよいよモン・サン・ミッシェル修道院へ入る。 聖堂につながる唯一の通路90段の大階段。高い壁に挟まれた通路上部の橋から敵を攻撃できた。 岩石の上に修道院を造ったのが良くわかる。 かなり上がってきた。 天を仰ぐミカエル どのように造られてきたか模型があった。 教会正面の西のテラスに出る。 カモメも飛んで、人も歩いている。(ズーム) 実際はこんな感じ。空の青が水面に映る。向こうまでズーッと引き潮。 修道院付属の教会 「列柱廊」 「食堂」 船の底のような丸型天井を採用した食堂。59の小窓から見える美しい光が差し込む。 「聖マルタン礼拝堂」 付属教会の南側交差廊の土台として1000年に建設た、ロマネスク様式の礼拝堂。 「修道院の納骨堂」 引っ張る先はこんな感じ。 「聖エティエンヌ大聖堂」 「修道僧の遊歩道」 「騎士の間」 僧侶たちが写本や彩色を行った仕事部屋。天井まで届く大きな暖炉が設けられている。 小さな園庭に出る。 なんと!カモメが私を?待っていた。 人に慣れた賢いカモメは、人の手から餌を頂く。さっき試食に貰った美味しいクッキーを、惜しいがやる。 園庭を通って 外に出る。 お土産物店が連なるグランド・リューにも沢山のワンコが 名物の「塩キャラメルソフト」を頂く。3ユーロ(390円位) 美味しかった! 来た道、「王の門」を出て めいめい自由にホテルまで戻る。 こう言っちゃあなんだが、やっぱり私は「晴れ女」だと思う。 JTB系列の旅行会社は皆このホテルに宿泊するらしい。 今日のお宿は「ホテル ガブリエル」 年のころは40歳手前位の女性の添乗員さん(フランス人と結婚している)は、お客の指名だそうで、フランス在住なれど、お呼びがかかると世界中ご一緒すると話していた。「お金持ち」はすることが凄い!(おばあ様と中年のお嬢様だったが) 部屋の窓から海が見える。残念ながらモン・サン・ミッシェルは見えない。 夕食まで散歩 夕食のレストラン モン・サン・ミッシェル名物オムレツを頂く。 ムール貝のワイン蒸しは特別に注文した方がご馳走してくださって、美味しかった。 ハムのようなお肉も食べやすかった。 デザート 「この花と一緒に撮影すると感じが良いよ。」と我々より10歳若い夫婦が教えてくれて撮影。確かに良い。 ノルマンディ、ブルターニュ地方はのどか 2014年に出来たばかりの堤防道路に代わる橋は、写真撮影スポットに 日の入りを撮影しに、再び出かける。満ちてきたらヨットを引っ張ろうとスタンバイしている車がいた。 日の入りも美しい! 潮も満ちて来て、バスに乗って戻る。 ホテルのロビーのテレビで、日本のアマゾンのCMを流していてたいそう驚いた!良いCMは世界に通じるのだわ。 聞くところ、このお父さんは役者志望ながらクロネコヤマトで配達していて、「お父さんが来た!」と驚かれるのだそうだ。 ライトアップも見たかったが、寒くて暗くなるまで待てなかった。 この時すでに10時を回っていたと思う。 |
2017/6/13(火) |
今日は晴れ。
この辺りで一番評判が良いというホテルの朝食。 まあ昨日までとそんなに変わりはない。 朝の散歩、少し若い夫婦は日の出を観るため早起きしたそうな。元気だ。 朝日に映えるモン・サン・ミッシェルも美しい! 村はそんなに大きくなく、30分もあればぐるっと一周できる広さ。 午前中だからか?他の観光客の姿もない。 地元アーティストの作品を取り扱うお土産屋さんや雑貨屋、カフェ、ベーカリーショップなどがある。 マカロンも美味しそう! 添乗員が「お土産に安くて良いですよ〜」と勧めるので、皆で買占めてしまった。 お店の看板 17世紀頃に造られた建築と四季折々に咲く美しい花との融合は、良くできたでテーマパークのよう。 ね、私たち以外誰もいない。本当に観光地なのか?不思議な感じ。 「ブブオン・オン・オージュ」を後にして、走ること約210キロ、ベルサイユの街に到着! パリから約20km南西に位置。 お昼のレストランから ベルサイユ宮殿はすぐそこ サラダ パスタ そんなに不味くなかったので、少しは頂けた。 いざベルサイユ宮殿へ 個人で行くとこんなに並ばないと入れないようだ。 団体はこちらの入り口からすんなり入館。 見るべき部屋はすべて2階にある。 当時の最高の職人たちを招いて完成した宮殿とフランス式の庭園は、いずれも高い芸術性を持ち、それぞれの作者の最高傑作と言われている。ルイ16世の時代まで国王の居城として使用された後、ナポレオン1 世の時代に増築され、1837年、ルイ・フィリップ王の時代に、フランス歴史博物館として生まれ変わる。1995年以降は、国の管轄となっている。 フランスの歴史を大きく変えたフランス革命の舞台でもあり、マリー・アントワネットという美しき悲劇の女王を作り出した場所でもある。 「王室礼拝堂」 「ヘラクレスの間」 天井画『ヘラクレスの神格化』 ヴェネツィアからルイ14世送られた『パリサイ人シモン家の宴』 「豊穣の間」 王室の人々や貴族が飲み物や軽食を嗜んだ部屋。 ルイ14世の宝物コレクションがあり、客に壺や宝石を見せ楽しんだ。16世の娯楽室でもあった。 「ヴィーナスの部屋」 「天井画のヴィーナス」 「ディアーヌの間」 ルイ14世時代の夜会において、ビリヤード室として使用された 月と狩りの女王、ディアーヌの天井画 狩りの風景が絵ががれている。 「マルスの間」 儀式が行われる際に衛兵の間として使用されたホール。後に夜会のレセプションや音楽とダンスの空間に変わり「舞踏会の間」とも呼ばれた。 火星と戦いをつかさどる軍神マルスの絵が飾られている。 「メリクリウスの間」の自動振り子時計は今も現役。 「アポロンの間」 ルイ14世が自己を投影した太陽と芸術の紙アポロンに献じられた部屋。 シャルル・トゥ・ラ・フォッス作の天井画 『四季に取り巻かれ凱旋車に乗るアポロン』 ルイ16世の肖像画 「戦争の間」 マンサールとル・ブランが手掛けた大理石とブロンズの間。敵を踏み砕く馬上のルイ14世。 「戦争の間」からのみ庭が望める。 一番有名な「鏡の回廊」 357枚の鏡 丸天井の30枚の絵 日本の兜も描かれている。 「閣議の間」 ルイ14世の執務室と家族などとの語らいに使われた。 「王の寝室」 1701年に宮殿の中心に置かれたこの寝室は、王たちが朝の引見と就寝前の接見式を行った場所。 「牛眼の間」 1701年に作られた控えの間、宮廷人たちはここで王の寝室に入る許可を待っていた。 『ルイ14世とその家族』 王室一家をオリンピアの神々にたとえて描いたジャン・ノクレ1670年作。 で、見学はここまで、本当はあと半分あるが修復中のこと。 その頃、民衆の力が強まり、王制廃止を唱える人々が現れる。生活が困窮しているのは王妃の贅沢が原因だと考えられ、フランス革命が起きた際、マリー・アントワネットは失墜しその命を落とすことになる。ヴェルサイユ宮殿の魅力は建築の美しさもあるが、マリー・アントワネットの数奇でドラマチックな人生も、その人気を支えている一つの要因となっている。今観光客がこんなに押し寄せているのも、当時の豪華な暮らしのお蔭とも言えなくもない。 「大理石の中庭」 庭の見学はなかった。アントワネットの暮らしぶりを垣間見たかったなあ〜 ヴェルサイユ宮殿をあとにする Mパリ市内観光はエッフェル塔から。エッフェル塔の全景が見渡せる「シャイヨー宮」に オウ! テレビでよく見るエッフェル塔! 黒人が大勢土産物を売っている。エッフェル塔のキーホルダー5個で1ユーロ。 ベルサイユ宮殿でのガイドさんと添乗員さんと記念写真。 以降、パリ見学は車上から 向こうに凱旋門 昔に行ったルイヴィトンの本店 前回行った時の添乗員のスケザネさんが、「日本人にはバックを放り投げて売るので、プライドが許せば買に行けば良い。」と話したのを思い出す。当時バブルだったのか?日本人が怒涛を組んでやってきて買いまくっていたころの話。時間に余裕があるはずなのに今回の旅は自由時間が全くと言っていいほどない。 毎週やっているという慰霊 凱旋門も以前は登ったがなあ〜 シャンゼリゼ通り コンコルド広場 1775年にルイ15世の騎馬像を置くために造られた、パリで最も有名な広場。 エジプトから寄贈されたルクソール神殿の塔、オベリスク。 「マドレーヌ寺院」 聖女マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会。 前回中に入ってショーを観た「ムーラン・ルージュ」 真ん中奥に見えるのが「サクレ・クール寺院」 今日の夕食はモンマルトル地区で エスカルゴ お肉とパスタ デザートはエクレア 今日のホテルは「ノボテル パリ ノール エクスポ オルネー ホテル」 パリの郊外にあって、治安が良くないので出歩かないように言われる。 |
2017/6/14(水) |
今日は晴れ。
今日はMルーブル美術館の見学をして帰国。 最後の朝食も、メニューは同じ感じ。 ルーブル美術館はパリの真ん中、セーヌ川沿いに位置する。(私的には大水が出ても大丈夫か?心配する) 小さい反対に造られたピラミッド型の光取りと 入場口の大きなピラミットがる。作られた当時は、似あわないデザインと不評だったとか。 ここもやはり混んでいるが、団体なのでスムーズに入館。 入ってすぐ、12〜13世紀建築城砦跡 「タニスの大スフィンクス」 エジプト国外で保存されているスフィンクス像のうち、最も大きいもの。 7世紀から19世紀中ごろまでの彫刻が年代別に並んでいる。 「アフロディーテ、通称ミロのヴィーナス」 あまりにも有名な大理石で彫刻された女性像。制作者はわかっていない。 王室のコレクションに、ナポレオンの戦利品として持ち帰った美術品が加わり、1803年に「ナポレオン美術館」の名でオープン。1982年にミッテラン大統領の「大ルーブル整備」計画が始まり、1993年に先のガラスのピラミッドが誕生する。 元々王宮なので、内部はこんな感じ。 パリ子午線の印である「アラゴのメダル」 パリ子午線は国が定めたさまざまな子午線とともに200年以上続いたあとに消滅し、かわりにイギリスのグリニッジ子午線が用いられるようになった。現行のグリニッジ子午線を基準にすると東経2度20分14.03秒となる。 1994年、オランダの芸術家ヤン・ディベツは、パリ子午線の印として、直径12センチメートルのブロンズのメダル135個を地面に固定する作業にとりかかり、メダルには天文台の所長を務めた天文学者であり物理学者でもあるフランソワ・アラゴの名と、北と南の方角を示すNとSの文字が刻まれている。トム・ハンクス主演映画「ダ・ビンチ・コード」で取り上げられていたようだが、見たのに忘れてしまった。 「サモトラケのニケ」 ニケとは勝利の女神のこと。 エーゲ海のサモトラケ島で発見されたヘレニズム彫刻の傑作。 「工芸品」の展示室 「アングレーム公爵夫人のブレスレット 」 「王妃マリー=アメリーの装身具 」 「ルイ15世の王冠 」と大きすぎるダイヤモンド 入口のガラスのピラミッドを望む こんなのも良いんじゃなっかと近代美術の天井画が描かれている。 子どもたちも見学している。 さていよいよ13〜17世紀の絵画の秀作ぞろいのドゥノン翼へ 「若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神」 ボッティチェッリ 1445年頃−1510年 フレスコ画 「学芸たちの集いに導かれる青年」 ボッティチェッリ 1483−1485年頃 フレスコ画 「アッシジの聖フランチェスコの聖痕拝受」 ジォット・ディ・ボンドーネ 1295-1300年頃 「六人の天使に囲まれた荘厳の聖母」 チマブーエ 1280年頃 「聖母戴冠」 フラ・アンジェリコ 1430-1432年頃 「洗礼者ヨハネ」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1513年 「岩窟の聖母」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1483年 - 1485年 「ミラノの貴婦人の肖像」 1490年 - 1496年 「聖母子と聖アンナ」 レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452年−アンボワーズ、1519年) 「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」 ラファエッロ(ウルビーノ、1483年−ローマ、1520年) 「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」通称「モナリザの微笑み」 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ、通称レオナルド・ダ・ヴィンチ 1503−1506年 すごい人! この設備は日本テレビの資金で出来たのだそうだ。 「カナの婚礼」 ヴェロネーゼ 1562−1563年 展示室の天井も見事! 「オダリスク」 ジャン=オーギュスト=ドミニック・アングル(モントーバン、1780年−パリ、1867年) 「ナポレオンの戴冠式」 ダヴィット 1805年12月21日〜1807年11月 1804年ノートルダム寺院で行われた戴冠式の一場面。ジョセフィーヌに冠を授けている。 「メデューズ号の筏」 テオドール・ジェリコー(ルーアン、1791年−パリ、1824年) 「7月28日−民衆を導く自由の女神」 ウジェーヌ・ドラクロワ(シャラントン=サン=モーリス、1798年−パリ、1863年) 模写している人もいる 「瀕死の奴隷」 ミケランジェロ 1513〜15年 「抵抗する奴隷」 ミケランジェロ 1513〜15年 「アモルの接吻で蘇るプシュケ 」 アントニオ・カノーヴァ 見学は3時間だったが、あっという間だった。ガイドさんがついて有名な作品を見逃さないよう説明してくれた。 エジプト 紀元前2000年頃の釉薬をかけた陶器 青カバのレプリカ(ヒッポー)。 この青いカバが45ユーロと聞いても買う人がいて驚いたが、実際は15ユーロだったとも話していた。 パリのカフェ 最後の食事は中華料理 お味はまずまず。近くで働く人もたくさん食べに来ていた。 レストランはパリの真ん中に位置していたので 市街を観光 歩いて行ける距離に「オペラ座」があった。 オペラ座から反対側を望む これで8日間の観光がすべて終了!天気にも恵まれて何よりの旅になった。 シャルル・ド・ゴール空港での出国手続きに皆さん大騒動!なかなか難しい。 手続きも無事終了し、いよいよ出国! 男性にしてはなかなか気の利いた添乗員のアーさんとの記念写真。 日本でリザーブしたした席はここ 17時20分発の飛行機に乗り込む。 芸術の国でもあるフランスは農業大国でもあった。食べるには困らなそうだという印象。 日本到着時刻はお昼の12時過ぎの為、絶対に寝て帰らねばならない。見られる映画は1本。 ブルーレイを買おうと思う位面白かった。 ★★★★☆ 機内食は二種類ともカレー味 食が進まない。 |
2017/6/15(木) |
今日は晴れ。
映画を1本観て、機内食を頂いて、寝て起きたら2回目の機内食。動いていないので全然食べられない。皆さんがモリモリ食べているのが不思議なくらい。 2回目の軽い機内食 モン・サン・ミッシェルが一番良かった! |