2017/6/8(木)

 
今日は曇り時々晴れ。

 今日から8日間 JTBは「旅物語」『羽田発着フランス大縦断8日間』の旅に出かける。羽田発は空港までの時間も短く、出発も昼過ぎなので、ナナも当日預ければ良かったので助かった。  





 フランス大縦断の旅はAのニースから、Bエズ、Cモナコ、Dアビニョン、Eアルル、Fポン・デュ・ガール、Gリヨン、Hブールジュ、Iロワール地方、Jモンサンミッシェル、Kブブロン・オン・オージュ、Lベルサイユ宮殿、Mパリ市内観光、と盛りだくさん! 





羽田が国際空港に戻って本当に助かる。

 フライトが12時間と長く、トイレの近い私は通路側の席が必須。モモパパも腰痛から足が伸ばせる席を希望するも、どうやら座席が指定されているようで、どちらの希望も叶わず、仕方がないのでお金を払い、私はプレミアムエコノミーの後ろの「ちょっと前の方にあるエコノミー席」の通路側を確保。モモパパはラッキーにもタダで、前に座席のない非常口の横の席を取ってもらった。必然的に席はバラバラ。

 日本の空港のグランドスタッフは本当に親切だ。「そうだ、帰りも指定しよう!」ということで、たまたま搭乗口に移動してきていた先ほどの可愛い女性グランドスタッフさんに相談したところ、無事帰りの飛行機も後方の2人席が確保でき、ひと安心。これで旅の間中、帰りの飛行機の不安が無くなった。そんなに高価ではなく、一人3,000円から7,000円で確保できる、有難いシステムだ。

 ツアーでプレミアムエコノミーに格上げしてもらうと6万円余分に掛かるが、空港で自分で手続きしたら4万円で済む。2万円JTBが取るわけで、2万円は取り過ぎだと思う。





飛行機は14時発のエールフランス航空、エールフランスは2度目。











12時間、寝ないで時間をつぶすには映画を見るしかない。日本ではまだ上映されていない映画もたくさんある。





最初に見たのが「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」
★★★★☆
 ファーストフードチェーン「マクドナルド」”世界最強のハンバーガー帝国”を築きあげた男、レイ・クロックの物語。実話だそうだが、事実は小説より奇なりで、ちょっと感じ悪い場面もあるが、事実なら仕方がない。





「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」を見ている間に、おつまみとドリンク





1回目の機内食が配られる。モモパパは離れているので何を頂いたか知らない。





1本目を観終わってこんなところを飛んでいる。先は長い。





続けて2本目は、日本でも大ヒットの「美女と野獣」





私にはたいして感動もなく
★★☆☆☆






2本目観終わってロシア上空





はてさて次は何を観ようか?実は日本で日本語の映画を調べていたが、デンゼルワシントンは見逃せない。

 オスカー俳優デンゼル・ワシントンの3作目となる長編映画監督作。1950年代の米ピッツバーグを舞台に、元プロ野球選手で、今はゴミ収集員として働くトロイと妻ローズ、そしてその息子たちと、アメリカに生きる黒人家族の人生や関係を描く。第89回アカデミー賞で作品賞をはじめ4部門でノミネートされ、ビオラ・デイビスが助演女優賞を受賞した。なぜか日本では未公開だったらしい。




「フェンス」
重い作品で
★★★★☆






あとちょっと、あと2時間!





 もう1本ぐらい見られるか? で4本目は「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」 。第2次世界大戦時、ドイツ軍が世界に誇った暗号機エニグマによる暗号の解読に成功し、連合国軍に勝機をもたらしたイギリスの数学者アラン・チューリングの人生を描いたドラマ。第87回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞など計8部門でノミネートされ、脚色賞を受賞した。





面白い面白い! 話が良くできていて
★★★★★






映画の途中2回目の機内食が出るが、動いていないので食べられない。映画はぎりぎり見終わった。





@パリはシャルル・ド・ゴール空港でトランジット





パリからニースまでの飛行機内のおつまみ





午後10時だというのにまだ少し明るい。





月明りが水面に映って美しい!





ニースはコート・ダジュール空港





ホテルは「プロモテル」。清潔感はある。この旅で言えるのはホテルはほぼビジネスホテル。格安だから仕方ない。








 2017/6/9(金)

 
今日は晴れ。




 今日は、Aのニース、Bエズ、Cモナコの予定だったが夏至間近のこの時期、なかなか暗くならないので、明日の予定のDアビニョンまで一気に観光する。今回の添乗員さんは、年は40歳は過ぎている男性のベテランさんなので、予定表にないことをドンドンやってくれて、忙しいながらもお得な旅になった。





朝食はバイキングスタイル。フランスだからパンが美味しく、食べ過ぎにご用心。





保養地のニースだから、ビジネスホテルにもプールがある。





ホテル正面





ニースの旧市街  「裁判所」





パステルカラーに彩られた建物



 フランス第5の都市ニースは地中海沿岸のリゾート地。紀元前1世紀頃はローマ帝国の属州だったため古代ローマ遺跡が見られる。中世にはイタリアのサヴォワ王国の傘下に入った(そのため旧市街はイタリア風の街並み)。1860年にフランスに帰属。その後王侯貴族集う保養地となる。





カフェで早速ワンちゃんに遭遇!





サレヤ広場のマルシェ こんな大きな花束が15ユーロとは安い気がした。





新鮮なお野菜





美味しそうなフルーツ

 マルシェに行ったらフルーツを買え!で、アメリカンチェリーを買った。私が「アメリカンチェリーをください。」と言ったらフレンチチェリーだといわれたが、これはアメリカンチェリーだろう。あまりに量が多いのでハーフを頼んだら、快く半分を売ってくれた。値段は2ユーロ位だったかなあ〜





人に分けたりして随分減った。大粒で甘くてすごく美味しかった!





ニースのビーチ

 美しいコバルトブルーをしたニースのビーチは、世界中から多くの観光客が訪れ、日焼けや海水浴を楽しむ人で賑わう。無料のパブリックビーチと有料のプライベートビーチがあり、プライベートビーチにはデッキチェア、マット、パラソル、タオルなどの貸し出しや更衣室やシャワーが完備され、海を望みながら食事もできる。





「プロムナード・デ・ザングレ」

 海岸遊歩道。名前は「イギリス人の遊歩道(Promenade of the English)」を意味する。約3.5kmに渡って続くビーチ沿いの道で、車道の脇が幅広い遊歩道となっている。ニースを代表する高級ホテルやレストラン、カジノがここに集まっている。





お金持ちそうなご婦人が散歩していたポメラニアン



 次に向かったのがニースから13kmの「エズ」。地中海を見下ろす海抜427メートルの岩山の上にあり、まるで鳥(鷲)の巣であることから「鷲の巣村」とも称されるエズ。ブーゲンビリアやジャスミンの花が一年中絶えることなく咲き誇る熱帯植物園がある。中世の面影を残し、石壁の小さくかわいらしいおとぎの国のような場所。村全体がきれいに保存されており、地中海の眺めも素晴らしい。





石造りの家々





先ずはプラゴナール香水工場にに連れて行かれる。

 驚いたことに、このツアーでは香水工場しか行かず、先に書いた「地中海を見下ろす海抜427メートルの岩山の上」には行かないことになっているという。気の利いた添乗員だから、香水工場の買い物は早々に切り上げ、「入場料は自分持ちですが、お勧めですからぜひ行ってください。」ということで、皆で展望のよい熱帯植物園(それも団体の値段で)に入った。ここに行かず、香水工場だけで帰ったツアー客も多いと話していた。そんな馬鹿な!





歴史を感じさせる多くの建物は、工芸作家や画家のアトリエ、レストランとして使用されている。





熱帯植物園の切符売り場の黒猫





上に上がったらこの絶景!





皆ここで記念写真を撮る。





ニースもそうだが、日本人には会わない。テロのせいだろう。





今回の、気の効いた添乗員のアーさんと話しているところ。





村の小さな教会





内部





変わった毛色のワンちゃんに会う





戻りのバスから見たエズ村



 次に向かったのがモナコ。モナコは周囲をフランスに囲まれたコートダジュール東部のエリアに位置する世界で2番目に小さな公国。グレース・ケリーがレーニエ3世の公妃として嫁いだことでも有名になったモナコは、大公の死後2005年より息子のアルベール2世によって統治されている。町で、アルベール2世の乗った車を見た。偶然とはいえ驚いた。

 もともとモナコはカジノで国の富を発展させてきた。所得税や相続税がないためお金持ちが好んで住みつき、今では世界中からのVIPによりモナコは裕福な国として成り立っている。モナコグランプリも有名。





大聖堂

 大聖堂は1875年に建造された。主に大公の家族のセレモニーが行われ、グレース・ケリーや夫のレーニエ3世のお墓もある。 





内部











内部にあるお墓











大公宮殿

大公宮殿は1215年に建築された大公の家族の住居。宮殿前広場には衛兵の交換式が毎時11時55分行われる。






モナコの中心市街地であり、モナコ経済を支えるモンテカルロ地区





小高い丘を降りて





市街を走るバスに乗る





いかにもリッチな広告を載せるバス





グレース公妃のバラ園





バラはもう咲き終わっている感じ











グレース公妃像 入園は無料 





お昼のレストラン





モナコ風サラダ





鶏の料理











「海洋博物館」 アルベール1世による海洋動物のコレクション

 モナコはゆうちゃんの大好きなディズニー映画「カーズ2」で出てくるから興味深く見たが、まあ大したところでもなく、忙しい旅なら行くほどの価値があるかな?って感じ。お金持ちの街で知られるが、歩いている人のほとんどが普通の人で、お金持ちに仕えている人なんだろう。お金持ちは街は歩かないってことかな。





次の街アビニョンの途中のドライブインで見つけた可愛いジオラマ





良くできている。





あらこんなところにワンコが





アメリカンはなく「コッカー・スパニエル」とひとくくりは失礼だろうに





7.5ユーロ(1000円弱は高過ぎ!)





プロヴァンス地方の山々 セザンヌはこの山を、若い時から亡くなるまで80点近く描いたそうだ。











まだ明るいので、今日の宿アビニョンの歴史地区の観光もしてしまう。





アビニョンで出会ったジャックラッセルテリアと素敵な飼い主





細い路地を抜けて





「法王庁宮殿」

 法王庁宮殿は、世界遺産に登録されている。教皇庁が置かれていた中世の約100年間を物語る貴重な史跡で、ヨーロッパ最大となるゴシック様式の宮殿。今はバチカンにあるが、14世紀の約100年間ここに法王が住まわれていた。残念ながら内部は見ていない。本当に残念。























アビニョンの市街地





「HOTEL」とは役所のことらしい





気の利いた添乗員さんは写真左の、スーパー「カルフール」に連れて行ってくれた。





フランスのお菓子にはずれはないといわれて、沢山のお菓子を買った。





ワイヤーダックスフント





「アヴィニョン橋」

 聖ベネゼ橋はアヴィニョンの歴史において重要な建造物で、有名な童謡により世界中で知られている。世界遺産に登録されているこの橋は12世紀に架けられたが、何度もローヌ河の洪水に遭い、17世紀を最後に修復が放棄され、渡ることが出来なくなっている。





アビニョンの街は城壁で囲まれている





写真スポット





今日の夕食はキャンプ場のレストラン





モモパパは地ビールを頂く





かぼちゃのスープ





川魚の料理





デザート





今日のホテルはアビニョンの「イビス スタイルズ アヴィニョン シュド」








 2017/6/10(土)

 
今日は晴れ。

 


 今日は昨日観光を済ませたDアビニョンのホテルを出発! Eアルル、Fポンデュガール、Gリヨンの観光を行う。





ホテル「イビス スタイルズ アヴィニョン シュド」





オールドファッションカーの何かがあるのか? 多数の車がホテルの駐車場にとまっていた。





こちらのホテルにもプールがあった。





朝食





アルルまでの道中ひまわり畑があって、下車して写真を撮る。





先ずは「ゴッホの跳ね橋」へ

 中心街から南へ約2kmほど離れた位置にあるのは、「アルルの跳ね橋」のモチーフになったヴァン・ゴッホ橋。かつては土地の名にちなんでラングロワ橋と呼ばれていた。運河にかかる橋は船が通ると左右に開く開閉式で、ゴッホの絵の中では橋がかかる状態で描かれているが、現在は開いた状態のままになっている。











「ゴッホの跳ね橋」











跳ね橋から反対側を望む





「アルル」

 ゴッホが魅せられて数多くの作品を残したことでも知られているアルル。紀元前47年にローマの植民都市になり、帝国第2都市として400年以上繁栄した。街中にはこの時代に造られた古代遺跡が点在している。中世に入るとプロヴァンス王国の首都となり、ロマネスク美術が開花する。





 毎週土曜日に開かれているアルル「リス通り」の朝市、偶然土曜日の観光で、「こんなの初めて!」と添乗員が叫んでいた。







パン屋さん





「マカロン屋」





チーズ屋 





ワンコも来ている





一体何店位出ているのか?大規模な朝市だった。





市街地に入って行く











「円形闘技場」

 建設は1世紀末頃といわれており、2万人もの観客を収容できる長径136メートルもある大闘技場で、現在もここで定期的に闘牛が行われている。





「古代劇場」

 闘技場からすぐの所にあり、紀元前1世紀頃に建設されたローマ時代の半円形の野外劇場で、当時は劇場としては最大の規模を誇る。





今にもゴッホが出てきそうな素敵な家





























共和国広場

中央には古代ローマ遺跡から発掘されたオベリスクがある。





「サン・トロフィーム教会」 残念ながら中は入ってない!





教会正面入口の彫刻「最後の審判」





「エスパース ヴァン・ゴッホ」

 1889年にゴッホが療養生活を送った病院で、現在では総合文化センターとして使用されている。内部には図書館やメディアラボなどがある。ゴッホが「アルルの療養所の庭」に描いた中庭も当時と同様に復元されている。











今回の添乗員さんは男性だが、美味しいものに目がないようで、このクレープを勧められる。





栗のクリームが美味しかった!





私は15ユーロのバッグと、パンにつけるオイル漬けを購入。





15ユーロのバッグ



 午前中にアルルの観光を終え、約40キロの所にある「ポン・デュ・ガール」へ





先ずは昼食、素敵なレストランへ





フランス名物夏野菜の煮込み「ラタトゥイユ」 美味しかった。





肉詰め焼き





ローマ期に造られた最大の水道橋 「ポン・デュ・ガール」

 紀元50年頃、ユゼスの水源からニームへ約50qの導水路として建設されたもので、600年以上に渡って飲料水が運ばれていた。平均斜度は 1 km あたり 24.6 cm で、ポン・デュ・ガール上流でもっとも大きくなっている。それはこの橋の高さを出来る限り低くしようとしたためで、流水量は1日約2万立方m。3層のアーケードは上に行くほど幅が狭くなっている。

 全体の高さはガルドン川の最低水位から 49 m。 下層は6つのアーチから成り、長さ 142 m 、幅 6 m 、高さ 22 m。中層は11のアーチから成り、長さ 242 m 、幅 4 m 、高さ 20 m 。導水路がある上層は35のアーチから成り、長さ 275 m 、幅 3 m 、高さ 7 m。

















土曜日なので、ガルドン川で水遊びをする人も沢山いた。





















 今日の観光の予定はここまでだが、前倒しになっているので、今日宿泊のGリヨンまで約233キロ走らせ、世界遺産リヨン歴史地区観光を行う。





「フルヴィエールの丘」の上に建つ「フルヴィエール教会」





1896年、市民の寄進によって建立。ミサ中の中には入ったが撮影禁止。











 リヨンの市街を一望出来る「フルヴィエールの丘」は、ローマ時代にリヨンの街建設で最初に造られた丘といわれている。丘まではケーブルカーで登れる。るローヌ川とソーヌ川に挟まれた旧市街は絶景。























旧市街に降りてきて「フルヴィエールの丘」を望む。





夕食はリヨン市街地で





夕食のレストラン





卵のサラダ





鶏肉のパスタ





チョコのケーキ





「オペラ座」





今日のホテルは「ノボテル リヨン ブロン」








 2017/6/11(日)

 
今日は晴れ。  




 今日はGのリヨンホテルから出発、Hブールジュ、Iロワール地方の観光を行う。走ること約520km、移動時間が一番長い日。





朝のホテル正面玄関





自前の蜂蜜の為か?蜂の巣箱があった。





日に日に朝食のボリュームが小さくなっていくか?





途中のドライブインで、見晴らし台があった。





見渡す限りの草原!





お利口のはずのシェパードだが、少しおバカなのか?パパが店内に入るとすごい勢いで吠えていた。





移動がお昼までかかり、ブールジュで昼食





パテ





魚とライス





ブールジュの大聖堂は駐車場の関係から後ろから





 フランス各地からピレネー山脈を越え、スペイン北西部の聖ヤコブの聖地へと向かう世界遺産の道「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」、その巡礼路上にあって、14〜15世紀に芸術が開花したフランス中部の街ブールジュ。街の中心にそびえるサン・テティエンヌ大聖堂は、フランス・ゴシック建築の最高傑作のひとつとされ「ブールジュ大聖堂」の名称で世界遺産に登録されている。





 ブールジュ大聖堂は、奥行き124m、幅41mの大規模な聖堂。5つの正面入り口があり、西面のものは高さが40mで、これはフランスのゴシック建築で最大のものだそうだ。中央の入口には「最後の審判」が彫られており、13世紀ゴシック彫刻の傑作と呼ばれている。





あまりにも大きく、大聖堂前があまり広くないので、普通の広角レンズでは全部が納まらない。





「最後の審判」











内部に翼廊はなく、側廊が二重になっている。珍しい形式。





祭壇の反対側





中世のステンドグラスを多く有しており、キリストの受難や聖人たちがテーマとなっている。











色合いが鮮やか!





「側廊」





側面





可愛いキャバリアがいた!





暑い暑い! 湿度は低いが、温度は軽く30度を超えている! 帽子は良いが、髪の毛がぺっちゃんこになってしまう。





大聖堂の横にある建物も美しい。





 多様な建築様式が混在する外観は、幾度となく繰り返された修復がもたらしたもの。それまであったロマネスク様式の小さな聖堂が、12世紀にゴシック建築の大聖堂に改築されたが、14世紀には南塔が傾き、控え壁で補強。16世紀には北塔が倒壊したため、ルネサンス様式で再建。それも束の間、新教徒の手によって破壊され、19世紀の大改修で現在の姿に。一見アンバランスとも思える複雑な外観は、幾多の苦難を乗り越えた歴史の証だそうだ。





 ここ「ブールジュ大聖堂」は世界遺産にもなっている見事な大聖堂なのに、観光客は少ない。日本のガイドブック「るるぶ」には紹介するページすらなかった。ゆえに日本人も皆無。



Hブールジュからバスを約180km走らせ。Iロワール地方にあるお古城へ

 ロワール川の流域には、中世期の要塞、王家の城、ルネッサンス期の邸宅、古い田園屋敷、壮大な聖堂など、現在も無数の歴史的建造物が残っている。フランソワ1世やシャルル7世といった王家の人々や、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術家がロワールの景観に魅了され、この地で暮らした。ロワール河畔の立派な城館は、フランス史そのものであり、大小問わず様々な歴史の舞台となってきた。 ロワール河流域の800qに渡る一地帯は、今に生きる文化的景観として、2000年よりユネスコ世界遺産に登録されている。囲いのある森としてはヨーロッパ最大の全長32qの壁で囲まれた総面積5440haの森林公園の中に位置している。






中でも一番有名なのが、歴代のフランス王に愛された「シャンボール城 」

 フランソワ1世の名で建てられた、ロワール最大級の豪華な城。幅156m、奥行き117mの巨大な館内には、440の部屋と365の暖炉、14の大階段がある。完成したのはルイ14世時代に当る658年で、建設開始から約139年後のことだった。

 この城の建築家はフランソワ1世が呼び寄せたレオナルド・ダ・ビンチの影響を強く受け、設計の素案を描いたのもダ・ビンチだといわれている。内部のフランス・ルネッサンス様式の二重らせん階段は有名だが、残念ながら内部の見学はしていない。ああ残念! (添乗員は内部に物はなく、時間を割いてみるべきものはないと話していた。) 確かに「るるぶ」にも内部の写真はない。















































少し離れたところに、お土産物屋とインフォメーションセンターがある。

















ロワール河を挟んで対岸にもお城が











「アンボワーズ城」

 もとは中世の城砦だったが、シャルル8世とフランソワ1世(15世紀末から16世紀初頭)の時代に、王家の居城となった。多くのヨーロッパの知識人や芸術家が、フランス王の招きでアンボワーズの宮廷に滞在し、レオナルド・ダヴィンチもそうした人々の一人で、城の礼拝堂に葬られている。ここも内部の見学は無し。



















こんな感じで撮影中





夕食はステーキ





前菜のサラダ





固くて噛みきれないステーキ





デザートはアイスの乗ったドーナツ、甘い!





今日のホテルはトゥールの「キリアド トゥール ガール サン-ピエール デ コー」








 2017/6/12(月)

 
今日は晴れ。

 


今日はJのモン・サン・ミッシェル。





朝食





泊まったホテルは





サン・ピエール・デ・コールのTGV鉄道駅の向かいに位置している。





2重連結のバスが走る。





一路バスを走らせ(約350キロ)モン・サン・ミッシェルへ





到着したらバイクの団体に遭遇! ポルトガルでもそうだったが、ヨーロッパはバイクツーリストが多い。





お昼はかぼちゃのスープ





何処でも出てくるポテトフライ。フランス人はポテトフライが大好きなのか?





ガレット(そば粉のクレープ)





レストランは今日のホテルのすぐそば





モン・サン・ミッシェルと往復するシャトルバス「ル・パッサー」 所要時間は約6分





今日のホテル 「ホテル ガブリエル」

モン・サン・ミッシェルのライトアップが見られるポイントまで徒歩で10分の所に位置している。





「ル・パッサー」 所要時間は約6分





はい、晴天のモン・サン・ミッシェルに到着! ただ今引き潮。





この旅のメインエベント。 やはり絶景!

 海岸線から1キロほど沖に突き出た岩山で、フランスでもっとも有名な巡礼地。 ヨーロッパ最大の干満差が観測され、かつては満潮になると島への道が消えてしまい、波にのまれる巡礼者も数多かった。それで、1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようにした。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化が島の周囲で進行し、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2014年に新たな橋が完成した。

 歴史としては、708年に、司教オベールが大天使ミカエルのお告げにより、海に浮かぶ岩山に聖堂を建立したのが始まり、966年にはベネディクト派の修道院が設立。拡張を繰り返し16世紀に完成。一時期、要塞や牢獄となりながらも、1966年からは修道院として甦り、現在に至っている。





なぜか?カモメに「餌があるよ〜(実は何も持っていない)」と手を高く上げる私。





確かに遊歩道は入口まで作られてない。全体が海水で囲まれるのは年に数回だけとのことだ。











前哨門をくぐるとテロ対策の兵士の姿が。





有名なレストラン「ラ・メール・プラール」横浜にも支店がある。





「王の門」





クッキーなどを売っている「ラ・メール・プラール」のお土産物店。

 ラ・メール・プラールのクッキーは、飛行機の中でも配られ、ツアー客にも試食をふるまい、たくさんの日本人が買っていく。美味しかったので、日本に戻って支店にも買いに行ったほど。





参道 グランド・リュー
巡礼者が列をなした、修道院まで続く曲がりくねった細い坂道。レストランやみやげもの屋が軒を連る。





グランド・リューから城壁に出る。





イギリス軍に対する要塞として、百年戦争時に建造された城壁を歩く。





来た道を望む、今は引き潮。





城壁からモン・サン・ミッシェル修道院を望む。





いやいや、なんて景色だ!

















「哨兵の門」いよいよモン・サン・ミッシェル修道院へ入る。





聖堂につながる唯一の通路90段の大階段。高い壁に挟まれた通路上部の橋から敵を攻撃できた。





岩石の上に修道院を造ったのが良くわかる。





かなり上がってきた。





 尖塔の頂きには、高さ4.2mの黄金に輝く大天使ミカエルが長剣を振りかざして立っている。像の作者はエマニュエル・フレミエで、1897年に設置された。





天を仰ぐミカエル





どのように造られてきたか模型があった。





教会正面の西のテラスに出る。





カモメも飛んで、人も歩いている。(ズーム)





実際はこんな感じ。空の青が水面に映る。向こうまでズーッと引き潮。





修道院付属の教会

 11世紀に完成した教会は、何度か崩壊し、修復された。本堂北側は12世紀のロマネスク様式。内陣と後陣は15〜16世紀、ゴシック様後期のフランボワイヤン様式。身廊の比率はノアの方舟と同じとされ、この修道院がアララト山に漂着した方舟に例えられるという説もある。

















「列柱廊」

 僧の憩いと瞑想の場。円柱をわずかにずらすことによって変化のある視覚効果が生まれ、周囲を歩くと柱が無限に続く錯覚を得る 。(ただいま修復中)





「食堂」

船の底のような丸型天井を採用した食堂。59の小窓から見える美しい光が差し込む。












「聖マルタン礼拝堂」

付属教会の南側交差廊の土台として1000年に建設た、ロマネスク様式の礼拝堂。






「修道院の納骨堂」

 大きな車輪のある通路、車輪は牢獄時代の19世紀に設置。車輪の中に6人の囚人が入り、人力で壁のレールに沿った荷車を上下させるという仕組み。





引っ張る先はこんな感じ。





「聖エティエンヌ大聖堂」

 死者のために設置されたチャペル。祭壇の下には「AZ」(永遠を表す)の文字が書かれる。19世紀にはハンセン氏病患者が収容された。





「修道僧の遊歩道」

 天井の交差アーチがロマネスクからゴシック様式の転換期を示す部屋。僧侶が散歩して疲れを癒した多目的ホールとして使われた。





「騎士の間」

僧侶たちが写本や彩色を行った仕事部屋。天井まで届く大きな暖炉が設けられている。






小さな園庭に出る。





なんと!カモメが私を?待っていた。





人に慣れた賢いカモメは、人の手から餌を頂く。さっき試食に貰った美味しいクッキーを、惜しいがやる。





園庭を通って





外に出る。





お土産物店が連なるグランド・リューにも沢山のワンコが

















名物の「塩キャラメルソフト」を頂く。3ユーロ(390円位) 美味しかった!





来た道、「王の門」を出て





めいめい自由にホテルまで戻る。





こう言っちゃあなんだが、やっぱり私は「晴れ女」だと思う。





JTB系列の旅行会社は皆このホテルに宿泊するらしい。

 モン・サン・ミッシェルまで歩いて行けるホテルはそんなに多くない。「LOOK JTB ビジネスクラスで行くフランス縦断8日間」も同じホテルだった。すごくお金持ちそうだったので、帰国して調べたら、77万円の旅だった。我々の3倍以上。このツアーはお二人様から催行で、この時は6名参加。6人で大型バスに乗って移動(長い移動はフランス新幹線TGVを使用)していた。





今日のお宿は「ホテル ガブリエル」

 今調べたらモン・サン・ミッシェル近辺のホテルは16軒しかなく、この「ホテル ガブリエル」は総合評価1位のホテルだそうだ。ここもそうだが、フランスはエレベータのないホテルが多く、安いツアー客は自分でスーツケースを持って上がった。このホテルもエレベータがなく、頼んでいたポーターさんもいないと「LOOK JTB ビジネスクラスで行くフランス縦断8日間」の添乗員さんが困っていた。仕方がないのでホテルのお嬢さんが大きなスーツケースを運んでいた。

 年のころは40歳手前位の女性の添乗員さん(フランス人と結婚している)は、お客の指名だそうで、フランス在住なれど、お呼びがかかると世界中ご一緒すると話していた。「お金持ち」はすることが凄い!(おばあ様と中年のお嬢様だったが)





部屋の窓から海が見える。残念ながらモン・サン・ミッシェルは見えない。





夕食まで散歩





夕食のレストラン





モン・サン・ミッシェル名物オムレツを頂く。

 ラ・メール・プラールが本家(横浜にもお店があって、以前食したことがある)のフワフワオムレツだが、塩味がしっかりついて本家より美味しかったかも。











ムール貝のワイン蒸しは特別に注文した方がご馳走してくださって、美味しかった。





ハムのようなお肉も食べやすかった。





デザート





「この花と一緒に撮影すると感じが良いよ。」と我々より10歳若い夫婦が教えてくれて撮影。確かに良い。





ノルマンディ、ブルターニュ地方はのどか





2014年に出来たばかりの堤防道路に代わる橋は、写真撮影スポットに





日の入りを撮影しに、再び出かける。満ちてきたらヨットを引っ張ろうとスタンバイしている車がいた。





日の入りも美しい!





潮も満ちて来て、バスに乗って戻る。





ホテルのロビーのテレビで、日本のアマゾンのCMを流していてたいそう驚いた!良いCMは世界に通じるのだわ。
聞くところ、このお父さんは役者志望ながらクロネコヤマトで配達していて、「お父さんが来た!」と驚かれるのだそうだ。





ライトアップも見たかったが、寒くて暗くなるまで待てなかった。





この時すでに10時を回っていたと思う。








 2017/6/13(火)

 
今日は晴れ。

 


 今日は「フランスの最も美しい村協会」認定の村Kブブオン・オン・オージュを散策後、Lベルサイユ宮殿の観光、本当は明日の予定だが、日が長いのでMパリ観光もする。  





この辺りで一番評判が良いというホテルの朝食。





まあ昨日までとそんなに変わりはない。

 ここでちょっとしたハプニング。早起きだった私たちグループは朝食に着くのも早かった。小さいホテルで席も少なく、添乗員に言われるまま座った席は、先の豪華グループが予約していた席だった。そんなことはわからないので楽しく朝食をとっていたら、あとから来た豪華グループの添乗員が「あら?席がない!」と言わんばかりに、テーブルの上に置いたリーザーブ表を苦々しい顔で取り上げたが、何も言わなかった。そんなこと知っていたに違いない我々の添乗員もやるもんだ。





朝の散歩、少し若い夫婦は日の出を観るため早起きしたそうな。元気だ。





朝日に映えるモン・サン・ミッシェルも美しい!





 モン・サン・ミッシェルから東に車を走らせること約160キロ、「フランスの最も美しい村協会」認定の村K「ブブオン・オン・オージュ」に到着!この「フランスの最も美しい村」とは、1982年にフランスコロンジュ=ラ=ルージュで設立された協会で、協会の定めた厳しい規定をクリアした質のよい遺産を多く持つ小さな田舎の村がそれにあたる。フランス各地に130位あるそうだ。





村はそんなに大きくなく、30分もあればぐるっと一周できる広さ。





午前中だからか?他の観光客の姿もない。





地元アーティストの作品を取り扱うお土産屋さんや雑貨屋、カフェ、ベーカリーショップなどがある。





マカロンも美味しそう! 添乗員が「お土産に安くて良いですよ〜」と勧めるので、皆で買占めてしまった。





お店の看板





17世紀頃に造られた建築と四季折々に咲く美しい花との融合は、良くできたでテーマパークのよう。

















ね、私たち以外誰もいない。本当に観光地なのか?不思議な感じ。



 


「ブブオン・オン・オージュ」を後にして、走ること約210キロ、ベルサイユの街に到着! パリから約20km南西に位置。





お昼のレストランから





ベルサイユ宮殿はすぐそこ





サラダ





パスタ そんなに不味くなかったので、少しは頂けた。





いざベルサイユ宮殿へ

 実はベルサイユ宮殿(フランス)は初めてではない。大昔、こんなに安く海外旅行が出来なかった頃、まだ子供が小学生の頃、モモママババに2人を見てもらって、13日かけてロンドン、パリ、ドイツはロマンチック街道をバスで通り、スイスのユングフラウヨッホに行き、イタリアのローマ、ナポリと旅した。その時にベルサイユ宮殿も訪れている。(まあ、昔の方が急ぎの旅の割に丁寧に見学させてくれたが)





個人で行くとこんなに並ばないと入れないようだ。











団体はこちらの入り口からすんなり入館。





見るべき部屋はすべて2階にある。

 ヴェルサイユ宮殿はルイ13世が狩猟用に作った邸宅。17世紀半ばに太陽王と呼ばれたルイ14世が増築を繰り返し作り上げた。ヴェルサイユ宮殿には王族だけでなく貴族が住み、生活を行っていた。庭園には民衆も入ることが許されていたらしい。

 当時の最高の職人たちを招いて完成した宮殿とフランス式の庭園は、いずれも高い芸術性を持ち、それぞれの作者の最高傑作と言われている。ルイ16世の時代まで国王の居城として使用された後、ナポレオン1 世の時代に増築され、1837年、ルイ・フィリップ王の時代に、フランス歴史博物館として生まれ変わる。1995年以降は、国の管轄となっている。

 フランスの歴史を大きく変えたフランス革命の舞台でもあり、マリー・アントワネットという美しき悲劇の女王を作り出した場所でもある。





「王室礼拝堂」

 
 階段を上がってまず最初に見られるマンサール設計による礼拝堂。本堂は2層様式で国王たちは上階の特別席でミサに参列した。14歳だったマリー・アントワネットとルイ16世の結婚式はここで執り行われた。









「ヘラクレスの間」

 もとは礼拝堂だったが、1664年ヴェネツィアからルイ14世に送られた画を飾るために造られた大広間天井画『ヘラクレスの神格化』が完成した同時期の1736年に建築完了。





天井画『ヘラクレスの神格化』





ヴェネツィアからルイ14世送られた『パリサイ人シモン家の宴』





「豊穣の間」

王室の人々や貴族が飲み物や軽食を嗜んだ部屋。





ルイ14世の宝物コレクションがあり、客に壺や宝石を見せ楽しんだ。16世の娯楽室でもあった。





「ヴィーナスの部屋」

 1670年代に作られた、バロック様式の色濃い空間。太陽王とよばれたルイ14世を讃え、太陽の装飾や神話を描いた天井画がある。





「天井画のヴィーナス」











「ディアーヌの間」
 





ルイ14世時代の夜会において、ビリヤード室として使用された





月と狩りの女王、ディアーヌの天井画





狩りの風景が絵ががれている。





「マルスの間」


 儀式が行われる際に衛兵の間として使用されたホール。後に夜会のレセプションや音楽とダンスの空間に変わり「舞踏会の間」とも呼ばれた。





火星と戦いをつかさどる軍神マルスの絵が飾られている。











「メリクリウスの間」の自動振り子時計は今も現役。





「アポロンの間」

 ルイ14世が自己を投影した太陽と芸術の紙アポロンに献じられた部屋。





シャルル・トゥ・ラ・フォッス作の天井画 『四季に取り巻かれ凱旋車に乗るアポロン』





ルイ16世の肖像画





「戦争の間」

マンサールとル・ブランが手掛けた大理石とブロンズの間。敵を踏み砕く馬上のルイ14世。





「戦争の間」からのみ庭が望める。





一番有名な「鏡の回廊」

 正殿と王妃の居室をつなぐ全長73メートルの回廊。マンサールの設計で1684年に完成。窓と向き合う17のアーチ形の開口部に357枚の鏡がはめ込まれ、奥行きを感じさせている。室内装飾は一貫してルイ14世の歴史的偉業がテーマで、ル・ブランとのによる丸天井の30枚の絵も、その栄光の治世を描いている。1919年6月28日、第1次世界大戦の終了を告げるベルサイユ条約が調印されたのもここ。





357枚の鏡





丸天井の30枚の絵











日本の兜も描かれている。





「閣議の間」

ルイ14世の執務室と家族などとの語らいに使われた。





「王の寝室」

1701年に宮殿の中心に置かれたこの寝室は、王たちが朝の引見と就寝前の接見式を行った場所。











「牛眼の間」

1701年に作られた控えの間、宮廷人たちはここで王の寝室に入る許可を待っていた。





『ルイ14世とその家族』

王室一家をオリンピアの神々にたとえて描いたジャン・ノクレ1670年作。





で、見学はここまで、本当はあと半分あるが修復中のこと。











ヴェルサイユ宮殿を作り上げたルイ14世の孫にあたるルイ16世の妃としてオーストリアから嫁いできたのがマリー・アントワネット。着替えや食事、入浴から夫婦の営みまで、全てを人に見学されるヴェルサイユ独自の文化悩んだマリー・アントワネットは、芝居鑑賞や豪華な衣装を作らせるなど、お金を必要とする遊びで気持ちを紛らわすようになっていく。

 その頃、民衆の力が強まり、王制廃止を唱える人々が現れる。生活が困窮しているのは王妃の贅沢が原因だと考えられ、フランス革命が起きた際、マリー・アントワネットは失墜しその命を落とすことになる。ヴェルサイユ宮殿の魅力は建築の美しさもあるが、マリー・アントワネットの数奇でドラマチックな人生も、その人気を支えている一つの要因となっている。今観光客がこんなに押し寄せているのも、当時の豪華な暮らしのお蔭とも言えなくもない。





「大理石の中庭」

















庭の見学はなかった。アントワネットの暮らしぶりを垣間見たかったなあ〜





ヴェルサイユ宮殿をあとにする





Mパリ市内観光はエッフェル塔から。エッフェル塔の全景が見渡せる「シャイヨー宮」に





オウ! テレビでよく見るエッフェル塔!

 建築家のソーヴェストルと技師のギヨーム・エッフェルが、1889年にパリ万博のために設計。 建設当初こそ賛否両論、物議をかもしたが、やがて誕生したばかりの近代という時代のもっとも美しい創作のひとつとして認められ、受け入れられた。





黒人が大勢土産物を売っている。エッフェル塔のキーホルダー5個で1ユーロ。





ベルサイユ宮殿でのガイドさんと添乗員さんと記念写真。





以降、パリ見学は車上から





向こうに凱旋門





昔に行ったルイヴィトンの本店

 前回行った時の添乗員のスケザネさんが、「日本人にはバックを放り投げて売るので、プライドが許せば買に行けば良い。」と話したのを思い出す。当時バブルだったのか?日本人が怒涛を組んでやってきて買いまくっていたころの話。時間に余裕があるはずなのに今回の旅は自由時間が全くと言っていいほどない。





毎週やっているという慰霊





凱旋門も以前は登ったがなあ〜

 アウステルリッツの戦いに勝利した栄光に輝くナポレオン・ボナパルトは、1806年に、帝国軍に捧げる記念碑を作ることを決意し、必然的に彼の軍事的な天賦の才と古代を表す凱旋門の形をとることになった。ジャン・フランソワ・シャルグランによって古代ローマのティトゥス帝の凱旋門をモデルに建設され、高さは50メートル、234段の階段を上りきると、パリ市内全体が眼下に広がる。





シャンゼリゼ通り





コンコルド広場

1775年にルイ15世の騎馬像を置くために造られた、パリで最も有名な広場。





エジプトから寄贈されたルクソール神殿の塔、オベリスク。





「マドレーヌ寺院」

聖女マグダラのマリアを守護聖人とするカトリック教会。





前回中に入ってショーを観た「ムーラン・ルージュ」

 歌やダンス、フレンチカンカン、大道芸を組み合わせたショーで有名。また、画家のロートレックがここに通いつめ、踊り子たちをモデルに数々のポスターを描いたことでも有名。





真ん中奥に見えるのが「サクレ・クール寺院」





今日の夕食はモンマルトル地区で





エスカルゴ





お肉とパスタ





デザートはエクレア





今日のホテルは「ノボテル パリ ノール エクスポ オルネー ホテル」





パリの郊外にあって、治安が良くないので出歩かないように言われる。








 2017/6/14(水)

 
今日は晴れ。

 


今日はMルーブル美術館の見学をして帰国。





最後の朝食も、メニューは同じ感じ。





ルーブル美術館はパリの真ん中、セーヌ川沿いに位置する。(私的には大水が出ても大丈夫か?心配する)





小さい反対に造られたピラミッド型の光取りと





入場口の大きなピラミットがる。作られた当時は、似あわないデザインと不評だったとか。





ここもやはり混んでいるが、団体なのでスムーズに入館。





入ってすぐ、12〜13世紀建築城砦跡





「タニスの大スフィンクス」

エジプト国外で保存されているスフィンクス像のうち、最も大きいもの。

















7世紀から19世紀中ごろまでの彫刻が年代別に並んでいる。





「アフロディーテ、通称ミロのヴィーナス」

あまりにも有名な大理石で彫刻された女性像。制作者はわかっていない。











 元々ルーブル美術館は1190年にパリ防衛のための城砦として建てられ、その後1546年よりフランソワ1世の統治下で、宮殿へと姿を変えた。ダビンチが宮廷画家として滞在したのもこの時代。ルイ14世が権力に中心をヴェルサイユに移すまで王宮として使われていた。美術館計画が始まったのは1793年、フランス革命後のこと。

 王室のコレクションに、ナポレオンの戦利品として持ち帰った美術品が加わり、1803年に「ナポレオン美術館」の名でオープン。1982年にミッテラン大統領の「大ルーブル整備」計画が始まり、1993年に先のガラスのピラミッドが誕生する。





元々王宮なので、内部はこんな感じ。





パリ子午線の印である「アラゴのメダル」


 パリ子午線は国が定めたさまざまな子午線とともに200年以上続いたあとに消滅し、かわりにイギリスのグリニッジ子午線が用いられるようになった。現行のグリニッジ子午線を基準にすると東経2度20分14.03秒となる。

 1994年、オランダの芸術家ヤン・ディベツは、パリ子午線の印として、直径12センチメートルのブロンズのメダル135個を地面に固定する作業にとりかかり、メダルには天文台の所長を務めた天文学者であり物理学者でもあるフランソワ・アラゴの名と、北と南の方角を示すNとSの文字が刻まれている。トム・ハンクス主演映画「ダ・ビンチ・コード」で取り上げられていたようだが、見たのに忘れてしまった。





「サモトラケのニケ」  ニケとは勝利の女神のこと。





エーゲ海のサモトラケ島で発見されたヘレニズム彫刻の傑作。





「工芸品」の展示室























「アングレーム公爵夫人のブレスレット 」





「王妃マリー=アメリーの装身具 」





「ルイ15世の王冠 」と大きすぎるダイヤモンド





入口のガラスのピラミッドを望む





こんなのも良いんじゃなっかと近代美術の天井画が描かれている。





子どもたちも見学している。





さていよいよ13〜17世紀の絵画の秀作ぞろいのドゥノン翼へ





「若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神」  ボッティチェッリ 1445年頃−1510年  フレスコ画





「学芸たちの集いに導かれる青年」  ボッティチェッリ 1483−1485年頃 フレスコ画





「アッシジの聖フランチェスコの聖痕拝受」  ジォット・ディ・ボンドーネ   1295-1300年頃





「六人の天使に囲まれた荘厳の聖母」 チマブーエ  1280年頃





「聖母戴冠」  フラ・アンジェリコ 1430-1432年頃























「洗礼者ヨハネ」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1513年





「岩窟の聖母」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1483年 - 1485年





「ミラノの貴婦人の肖像」  1490年 - 1496年











「聖母子と聖アンナ」  レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452年−アンボワーズ、1519年)





「聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ」  ラファエッロ(ウルビーノ、1483年−ローマ、1520年)











「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」通称「モナリザの微笑み」
レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ、通称レオナルド・ダ・ヴィンチ 1503−1506年





すごい人! この設備は日本テレビの資金で出来たのだそうだ。





「カナの婚礼」  ヴェロネーゼ   1562−1563年





展示室の天井も見事!





「オダリスク」  ジャン=オーギュスト=ドミニック・アングル(モントーバン、1780年−パリ、1867年)





「ナポレオンの戴冠式」 ダヴィット 1805年12月21日〜1807年11月





1804年ノートルダム寺院で行われた戴冠式の一場面。ジョセフィーヌに冠を授けている。





「メデューズ号の筏」  テオドール・ジェリコー(ルーアン、1791年−パリ、1824年)

 ジェリコーは、1816年にセネガルを植民地化するために出港した王立海軍の軍艦メデューズ号の二人の生存者の話から想を得ている。現実に起こった出来事を画にしている。



 

「7月28日−民衆を導く自由の女神」  ウジェーヌ・ドラクロワ(シャラントン=サン=モーリス、1798年−パリ、1863年)





模写している人もいる











「瀕死の奴隷」 ミケランジェロ 1513〜15年





「抵抗する奴隷」 ミケランジェロ 1513〜15年

















「アモルの接吻で蘇るプシュケ 」 アントニオ・カノーヴァ 























見学は3時間だったが、あっという間だった。ガイドさんがついて有名な作品を見逃さないよう説明してくれた。





エジプト 紀元前2000年頃の釉薬をかけた陶器 青カバのレプリカ(ヒッポー)。
この青いカバが45ユーロと聞いても買う人がいて驚いたが、実際は15ユーロだったとも話していた。











パリのカフェ





最後の食事は中華料理















































お味はまずまず。近くで働く人もたくさん食べに来ていた。





レストランはパリの真ん中に位置していたので





市街を観光





歩いて行ける距離に「オペラ座」があった。





オペラ座から反対側を望む





これで8日間の観光がすべて終了!天気にも恵まれて何よりの旅になった。





シャルル・ド・ゴール空港での出国手続きに皆さん大騒動!なかなか難しい。





手続きも無事終了し、いよいよ出国!





男性にしてはなかなか気の利いた添乗員のアーさんとの記念写真。





日本でリザーブしたした席はここ





17時20分発の飛行機に乗り込む。





芸術の国でもあるフランスは農業大国でもあった。食べるには困らなそうだという印象。





日本到着時刻はお昼の12時過ぎの為、絶対に寝て帰らねばならない。見られる映画は1本。

 ディズニー映画に外れはない!で「モアナと伝説の海」を観る。「リトル・マーメイド」「アラジン」のジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督が、海に選ばれた少女モアナを主人公に描く冒険ファンタジー・ミュージカル・アニメーション。海と運命的な絆で結ばれたヒロインが、世界を救うために伝説の英雄とともに大海原を舞台に繰り広げる大冒険を描く。面白い!、面白い!



ブルーレイを買おうと思う位面白かった。
★★★★☆






機内食は二種類ともカレー味 食が進まない。














 2017/6/15(木)

 
今日は晴れ。

 映画を1本観て、機内食を頂いて、寝て起きたら2回目の機内食。動いていないので全然食べられない。皆さんがモリモリ食べているのが不思議なくらい。





2回目の軽い機内食



 フランスはかねてより行きたかったが、テロがあったり、大昔に一度パリに行ったしなあ〜とチャンスを逸していた。私的には南フランス行って見たかった。「これでヨーロッパはお終い!」というつもりで重い腰を上げた形の旅だった。お天気にも恵まれ(雨が降る気がしなかった)、総勢31名と多すぎない人数、気の合う人たちも多く、添乗員は客を楽しませることを心得た人で、楽しい旅になった。パリは2度目で感激もそれ程でなかったが、やっぱりモン・サン・ミッシェルが素晴らしかった!内部より、景色に感動した。




モン・サン・ミッシェルが一番良かった!







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