2013/9/18(水)

 

今日は晴れ。今日からイタリア旅行へ出発!

 今回は阪急交通社の「トラピックス」で、『≪復路ローマ発≫全都市スーペリアルクラスに泊まる! ハイライトイタリア8日間』に参加。ハイライトというだけあって、ベネチアを皮切りに、ベローナ、ミラノ、ピサ、フィレンツェ、シエナ、ローマ、バチカン、ナポリ、カプリ島、アマルフィーを訪れる。実質5日での観光の為、1都市半日(実は2時間以下)の忙しい旅となった。確かに「ハイライト」。  







 「トラピックス」と言えば阪急交通社の中でも格安の会社。格段に安い価格設定の訳は、今回は朝一番のフライト。空港に7時25分に集合せよとのことで、我が家は成田エキスプレスでギリギリ間に合う。もっと遠くの人は空港付近のホテルで前泊しかない。これは直前まで知らされない。





未だ午前6時前。成田にまでおよそ1時間45分。



 飛行機の座席は自分で取るということで、早いに越したことはないが、如何せん、到着はツアー客の最後から2番目。  







 長いフライト時間、トイレに行くにも他人を動かせてはならないと、真ん中4人席の通路側をゲットできて良かった。  





天気も文句なし。いざ出発!



 





アリタリア航空 イタリアンの機内食。今までで一番おいしかった!



 





モモパパは和食。これも美味しいと話していた。



 





夜食のおにぎりとサンドイッチ。



   





いっぱい乗った。映画も3本見た。しかし、今回は以前より元気な感じ。
ようやくヨーロッパの地図が見えてきた。



 





到着前の軽食。
サマータイムのヨーロッパ、時間差は7時間。午後3時過ぎにローマ到着予定。



 





最初に降り立ったローマは良い天気! ず〜っと良い天気の予定。



 





今回のツアーの参加者は40名!(多い)



 旅行に先立って、添乗員のクーさん(初めての男性添乗員)から電話があったが、なかなか感じが良い人だった。大人数の為、クーさんのほかに阪急交通新入社員で、企画室所属のお嬢さんのコーさんも添乗する。  







ローマ(レオナルドダビンチ)空港内で、さっそく美味しそうなものが。



 







ローマからベネチアまでの飛行機の座席は是非右側をお勧めする。ベネツィアの街が一望できる。



 







知らなかった、ベネチアは島々に囲まれた内海にあるのだった。 (ほとんど下調べなしで勿体ない話。)



 







だから大波が来ても心配ないんだわ。マルコポーロ空港に到着は午後6時前。











ベネチア近郊メストレのホテルに到着。サマータイムでまだ明るい!



 



 2013/9/19(木)

 

今日は晴れ。

 今日から観光が始まる! 





今日は@のベネチア、お昼を頂いて、午後からAヴェローナ。






 


朝、部屋から外を望む。サマータイムで日が昇るのが遅く、まだ明け方のような感じ。

 イタリアもそうだが、ヨーロッパのホテルの備品は少なく、歯ブラシや歯磨き粉、スリッパはない。ドライヤーはあるがポットはない。グラス、シャンプーやボディーソープ、タオル類など、必要最低限のものはあるといった感じ。


 ベネチアはベネト州の州都で、アドリア海の最奥部に発達した「アドリア海の真珠」と呼ばれる水の都。150以上の運河、400以上の橋、100を超える島々からなる。






昨日飛行機から見えた、ベネチアまでの1本道路「リベルタ通り」を走る。





ヌオーヴァ島からモノレールに乗ってゴンドラ乗り場へ





ゴンドラ乗り場脇で、プールの友達に頼まれた仮面のブローチを購入する。





ベネチアで年に一度、2月末から3月初めまでの2週間、仮面 カーニバル(謝肉祭)が開催される。


 


ゴンドラは6人で乗った。





最初の橋を潜って





おお! テレビや写真で見た風景!





ゴンドラを漕ぐ人を「ゴンドリエーレ」というそうだ。


 ゴンドラは長くて幅が狭く(長さ11.5m、幅1.4m)、船体が非対称(左側に乗るゴンドリエーレとバランスが取れるように左舷の方が右舷より25cm程度長い)で、縦に湾曲して水との接触面を最小にとどめているため、一つのオールだけで多くの推進力を得ることができるのだそうだ。船首に乗った私は、「バランスがあるので左に座れ!」とゴンドリエーレに指示される。






島には車の乗り入れができないため、島内や島同士の連絡には船が使われる。船着き場が家の玄関だそうだ。






ヨーロッパでは、どの国でも窓辺に美しい花が飾ってある。








 4・5世紀のゲルマン民族の大移動により追われた西ローマ帝国の避難民が自治政府を形成してベネチア共和国となった。ベネチアの土地は、大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、そしてアドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯である。この干潟に建物を建てるため、大量の丸太の杭を打ち込みそれを建物の土台とした。町全体が杭の上なんて、ちょっと怖いような。

 






船体の飾り「ペッティ」






ゴンドラの前方には、事故の衝撃から船を守る役割の鋼鉄製の装飾「フェッロ」。
ゴンドリエーレとのバランスをとる為の重りの役目もあるそうだ。






ベネチアに行く前は「ゴンドラなんて乗らなくても。」と思っていたが、絶対乗らなくちゃあ! なんて美しい!!






水上バスは観光客でいっぱい。





大きい船、小さい船がひっきりなしに通る。






30分位乗っただろうか?下船すると小さな路地が






普段の暮らし(配達など)に使われる船が停泊。






広場に出て






歩いて行くと






そこはサンマルコ広場! テレビで何度も見た! 正面にサンマルコ寺院。






「旧行政館」 12世紀の建物。
行政官たちの執務室や住居が入っていた。火災により消失したが、16世紀に再建される。






「新行政館」 新行政館が手狭になった為17世紀に建築。






新行政館の1階通路部分は、カフェやレストラン、ブランドショップが並んでいる。






修復中のサンマルコ寺院を右側から望む。






サンマルコ寺院のクーポラ (ドーム)

 サンマルコ寺院は、2人のベネチア商人によって運ばれた聖マルコの聖遺骸を安置するために建築された。残念ながら、大急ぎの「ハイライト」旅行の為、内部は見学できず、残念!






満ち潮時、広場にはところどころ水が上がってきていた。






サンマルコ寺院の向かって右側のドゥカレー宮(政治の中枢があった建物)をぐるりと回って






「ため息の橋」を望む。


 「ため息橋」はドゥカーレ宮殿(写真左手)の尋問室と古い牢獄(写真右手)を結んでいる。独房に入れられる前に窓の外からヴェネツィアの美しい景色を見られるのは最後であるというので囚人がため息をつくというところから、名づけられたものと言われる。






橋のたもとを潜ってサンマルコ広場に向かう。






順光で見たサンマルコ広場の大鐘楼






世界的観光地ベネチアだから日本人なんて目立たない。






サンマルコ寺院ファザード(入り口)の上の朝浮彫の装飾。













中大部分にあるモザイク 「キリストの栄光と最後の審判」





全部で5つあるが聖書の物語や職人のエピソードが描かれている。






サンマルコ広場に面する時計台は、プラハの有名な時計台に似ている。






サンマルコ寺院からサンマルコ広場を望む。





その後、ベネチアングラスの工房に行って、見学、ショッピングを行う。






工房はちょうど「ため息の橋の裏側だった。






ここで昼食






イカ墨のパスタを頂く、まずまず食べられた。格安のツアーは料理に不満を言ってはいけない。






あまり美味しくない魚料理。(モモパパ曰く) しょうゆがあったら食べられたか?






デザートは美味しかった!






水上バスに乗り、私たちを待っているバスまで






大型クルーザーが停泊中、美しい!






来るときに乗ったモノレールが見える。






ベネチア本島を後にしてリベルタ通りを戻る。






Aベローナに行く途中、お決まりのお土産物店に連れて行かれる。移動に使ったバス。


 ヴェローナは、イタリア共和国ヴェネト州西部にある都市で、その周辺地域を含む人口約25万人の基礎自治体。ヴェローナ県の県都である。古代ローマ時代から続く歴史ある町。紀元前1世紀には交通の要所として栄えていた。シェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」が生まれるきっかけになったとされる中世の悲恋物語が実際にあった町。







街を守る壁に囲まれている。 






合同庁舎






街の中心部には古代ローマ時代の円形競技場跡(アレーナ)があり、街の象徴となっている。
コンサートやオペラも開かれ、当日もイタリアのベテラン歌手のコンサートで、賑わっていた。




 


イタリアは空気が乾いているので日陰は爽やかだが、日向ではサンバイザーが必須。




 


ヴェローナの街並み、マキューシオが闊歩していたか?




 


広場では市場が開かれている。 ロミオが友達と話していたか?




 







 


エルベ広場に立つランベルティの塔




 







 


ここを入るとジュリエッタの家に




 


BS放送で何度も見たし、映画でも見たジュリエッタの家。




   


有名なバルコニー




   


「ジュリエッタの象」




   


ジュリエッタの象にふれると恋が成就するといわれ、若い観光客でいっぱい!




   


古代遺跡を壊さず、そのまま現代建築の一部に取り入れている。




   


遺跡が残っている。




   







   


お洒落な窓辺




   


絵葉書になりそうなたたずまい。




 ベローナを忙しく観光し、イヤホンで説明を聞くが、聞き漏らし、聞き忘れも多く、ガイドブックにも詳しく書かれてないので、何が何だかわからない場所が多い。どの街も最低1日はかけてゆっくり回りたいが、「ハイライト」の旅だから仕方がない。




 


夕食は次の町ミラノで頂く。




 


イタリア人は黄金が大好き! 黄金色のミラノ風リゾット。




 


ミラノ風カツレツ




     


デザートのプリン



   イタリアは不景気と聞くが物価は去年行ったスペインよりずっと高く、ワインも、ビールも、炭酸水も、高めの値段設定。高価なお土産はカードでと思っていたので、4万円換金していったが、半分以上が飲み物代に消えた格好。モモパパ、ワインを飲んだ、飲んだ!







 2013/9/20(金)

 

 今日は晴れ。観光2日目

 





今日はBのミラノ、お昼を頂いて午後からCのピサ。






 


先日メストレで泊まった系列ホテルに泊まる。


 ミラノはイタリア全土では首都ローマに次ぎ第2位、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心。ミラノ県の県都およびロンバルディア州の州都。














いかにもイタリアらしいお洒落な駅








駅前にはファッションの街らしいオブジェの、糸の通った針と








結び目が





ミラノ最初は「スフォルツェスコ城」

 ミラノを統治したヴィスコンティ家が14世紀に建造した要塞。その後スフォルツァ家によって再建され、歴代領主の居城となった。内部には博物館が有るそうだが入っていない。緑豊かなセンピオーネ公園にある。








「スカラ座」

 焼失した宮廷劇場の後継としてサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会を取り壊し1778年に完成、スカラ座と命名される。ゴシック様式の地味な外装だが、内部は絢爛豪華ステンドグラスで覆われているのだそうだ。








スカラ座前にあるスカーラ広場のレオナルド・ダビンチ像









「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌレー2世」








十字形の商店街にガラス屋根をかけたアーケード。








イタリア統一を記念して、初代国王の名を取り、1865年から12年をかけて完成。








ドゥオーモとスカラ座を結んでいる。

 ガラスドームの下には1857年に完成した美しいフレスコ画があり、アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの4人の女神が描かれている。左がアフリカ、右がアメリカ。








ヨーロッパ






アメリカ






アフリカ






アジア






中央にあるドームの天井は「ミラノの応接間」と呼ばれる。








路面にはモザイクが施されており








牡牛のモザイクでくるっと回れば幸福になれるといわれ、皆かかとをつけてクルリと回る。








「ドゥオーモ」


 幅が約93m、奥行きが約158m総面積約1万1,700uの大聖堂。1386年からなんと!500年を費やし、1813年に完成。天を突き刺すように伸びる135本の尖塔と天井を飾るステンドクラスはゴシック建築の一大傑作と称される。


 とここで建築様式の話。
一昨年行った中央ヨーロッパではどの大聖堂もバロック様式(16世紀末から17世紀初頭にかけイタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式)で、賑々しい装飾に目を見張った。「こんなにお金をかけて、教会ってお金持ちなんだな〜 人々は貧しくても。」と不思議に思ったものだ。

 ミラノの大聖堂はゴシック様式(歴史的区分としては1150年頃から1500年頃までの時代を指し、フランスで花開いた建築様式をいうのだそうだ。規模が大きく、天に向かってそびえ立つ姿が見る物を圧倒する!)で荘厳だが賑々しい感じはない。

 勉強不足で旅行するので、この辺がよく分かっていなかったが、添乗員のクーさんに、ユーロのお札の金額の小さい順に建築様式が描かれていると説明してもらい大変勉強になった。が、その話をクーさんにすると「ネットで調べればすぐに分かることです。」とあっさり言われる。添乗員としてだれにも負けたくない!と世界史の先生張りに知識が豊富なのは努力のたまものだろう。





 左上から5ユーロ 古典、10ユーロ ロマネスク、20ユーロ ゴシック、50ユーロ ルネッサンス、100ユーロ バロック、200ユーロ アールヌーボー、500ユーロ モダン








ドゥオーモのファザード(建築物の正面)からドゥオーモ広場を眺める。

「ドゥオーモ」とはイタリア語で街を代表する教会堂のこと。ローマ以外では「大聖堂」とほぼ同じ意味を持つ。









「ファザード」


 幾度もデザイン変更や工事の中断を経て、ナポレオンが現在のゴシック様式に決定したが、様々なアイデアが取り入れられた独特の折衷スタイルなのだそうだ。5枚の扉はレリーフが見事なブロンズ製。中央の大扉には聖母マリアの生涯が描かれている。








脇の扉上部にも素晴らしい彫刻が施されている。








アップ








恐らく向かって左側の入り口から入った模様。








内部は自由見学の為、詳しい説明はない。








美しいステンドグラス








フラッシュをたかなくても、ミラーレスだと、荒いがそこそこ分かる写真が撮れる。

















太い柱が高い天井を支える。








「主祭壇」

4本の柱に支えられた円蓋がある。


























ドゥオーモ広場より「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌレー2世」を眺める。








ミラノの市街地を走るトリム








昼食を頂いたお店








生ハムのサラダ








ほんの少しのカルボナーラ








フルーツポンチ?



さてお昼を頂いたらピサに向けて出発!






雪ではない。白い大理石が取れる山が掘削されている。道路のそばには加工工場が並ぶ。


 ピサは、イタリア共和国トスカーナ州ピサ県のコムーネ。ピサ県の県都。イタリアの地方行政区分の最上単位は20の州で、各州はさらに110の県に分かれ、各県にはさらにコムーネ(市町村と似た行政区分)が存在する。





Cピサ おお!なんて美しい! ここがピサの斜塔のあるところ。


 11世紀から13世紀にかけて東方と交易する港町として発展。ベネチア、ジェノバ、アマルフィーと並ぶ4海洋王国として勢力を誇った。この当時建てられたドゥオーモはピサ・ロマネスク様式の最高傑作として名高い。斜塔や礼拝堂とともに、真っ白に輝く建築物並ぶ広場は「カンポ・ディミラコーリ(奇跡の広場)」と呼ばれる。緑の芝生と青い空に美しく映える光景は、感動もの。





「斜塔」


 高さ58.36m、重さは1万4,200トン、傾斜は約4m。軟弱な地盤に建てられたために、地盤沈下によって傾斜していると言われる。建築途中から傾斜し、軸を修正しながら建てられたが、傾斜は進行してしまったという。1350年に完成。1992年に入場を中止し、大規模な工事を行って、現在は人数制限をして入場出来るようになっている。

 ピサ生まれの物理学者ガリレオ・ガリレイが「物体が落下する時間は、落下する物体の質量とは無関係」という「落下の法則」を証明するために、斜塔の頂上からおもりを落とす実験を行った言われている。





「ドゥオーモ」 ファザードのピザンチン様式の装飾が見事!

広場の中心にある荘厳な建築物は11世紀にピサ艦隊の勝利を祝い、共和国の繁栄を願って建てられた。





正面扉








ロマネスク様式(ゴシック建築以前の建築様式で最初のヨーロッパ建築)の教会内部。








金色のモザイクが輝くドゥオーモの後陣。








「説教壇」

















上部








美しい天井の装飾。








教会内からファザード方面を眺める。








「礼拝堂」

















斜塔までは車が乗り入れできず、バスで行く。








夕食はどこかのホテルのレストランで頂くが








あまり口に合わず、何一つ食べられなかった。ホテルでお菓子を食べる。








今夜のホテルはフィレンツェ









 2013/9/21(土)

 

 今日は晴れ。観光3日目。

 





今日はDフィレンツェ、お昼を頂いてEシエナを訪れる。ああ忙しい。



 


朝食


 朝食はどこのホテルも同じような感じで、コンチネンタルスタイル。パン、コーヒー、ジュースなどからなる朝食で、他には温かく調理された料理は提供されないが、チーズやハム、シリアル、果物、ゆで卵などがついた。昼食、夕食が口に合わないときも多いので、朝食をしっかり食べる。朝だけ柔らかいパンがあるので、(普段はそれは硬いパンばかり) 持ち帰りたい気のする時もある。





毎日結構大きなホテルに泊まる。


 フィレンツェはトスカーナ州の州都。人口は約370万人。紀元前59年にカエサルが退役兵士に土地を与え、城壁をめぐらせ、整然とした街を作ったのが起源になっている。中世にはミラノとローマを結んで毛織物を中心にイタリア随一の商業都市となり、15世紀に豪商メディチ家がルネッサンス文化の扉を開いた。貴族相手に革製品も流通した。グッチやフェラガモはフィレンツェ生まれ。





朝一番に、アルノ川を挟んだ、フィレンツェが見下ろせる丘にあるミケランジェロ広場からフィレンツェの街を望む。








アップで撮影すると、ガイドブックにある写真と一緒!








ヴェッキオ橋が見える。モモパパが撮影するオリンパスのミラーレスは、彩度が高く鮮やかに写る。








ミケランジェロ広場の中心にあるダヴィデ像








下まで降りてきて、ヴェッキオ橋を望む。右手にあるのがウッフィツィ美術館。








ウッフィツィ美術館


 イタリア美術史に燦然と輝く名画が勢ぞろいする美術館。古代彫刻と13〜18世紀の絵画作品の展示が主に成る。建物自体の歴史も古く、着工は1560年。元は、メディチ家のコジモ1世の依頼により建築家のヴァザーリが担当し、総合庁舎として造った。1581年にフランチェスコ1世の執務室を美術館にし、メディチ家が収集した3万点の絵画を所蔵する。
























内部は一部を除いて撮影禁止。ここからは借りた映像。展示室前の廊下。








初期ルネッサンスの作品。
「ウルビーノ侯爵夫人の肖像」 ピエロ・デッラ・フランチェスカ作 (1467〜1470頃作)

 肖像画は実物より美しくが普通だが、フェデリゴのカギ鼻がそのまま描かれていて、正確な描写がフランドル絵画派の特徴だそうだ。背景に遠近法を使用している。






「聖母子と二天使」
フィリッポ・リッピ作 (1465年頃作)


 リッピは何人もの女性と浮名を流す恋多き男で、修道女と駆け落ちするなど奔放な生活を送ったことで知られる修道僧らしく、女性を美しく描くことでは天下一品とガイドさんが説明していた。聖母子のモデルは彼の妻と息子と言われる。広大な背景の表現がダ・ビンチにも影響を与えたらしい。






あまりにも有名な「ヴィーナスの誕生」
サンドロ・ボッティチェッリ作 (1484年頃作)

 15世紀イタリア半島で古代ギリシャ文化の再生を目指したルネッサンスの花形画家ボッティチェッリ。中世では異教徒の文化として排除された女性裸体像が、この絵から復活したと、以前BS朝日の「世界の名画」で話してした。

 美の女神ヴィーナスの誕生を描き、右は女神ホーラか、3美神の1人とされており、衣を持ちヴィーナスを迎えている。左の2人は風の神。






これも有名な「春(プリマヴェーラ)」
同じくサンドロ・ボッティチェッリ作 (1482年頃作)

 メディチ家当主のいとこ、ロレンツィーノの結婚記念の作品と言われる。中央のヴィーナスと彼女の庭園を描いたもの。手を取り合って踊るのは)古代から伝わる3美神。自由を象徴するとされる。






「受胎告知」
あまりにも有名な、イタリア・ルネッサンスを代表する3代巨匠のひとりレオナルド・ダヴィンチ作 (1475〜1480年頃作)

 大天使ガブリエルがマリアに処女妊娠を伝えるシーンを描いたもの。レオナルド・ダ・ヴィンチ単独の制作による最も初期の作品。また書顕台に置かれる聖母マリアの右腕の明らかに異常な長さは、本作を右側(聖母マリア側)から閲覧することを前提としている為であると、やはり「世界の名画」で話していた。確かに不自然に長かった。






「ヒワの聖母」
3代巨匠のひとりラファエロ・サンティー作 (1505〜1506年作)

 聖母マリアと幼いキリスト、聖ヨハネを描いた作品。ヨハネが持つ鳥のヒワは豊穣とキリストの受難を象徴している。3人の人物を三角形に配することで、安定感が生まれている。






「聖家族」
3代巨匠のひとりミケランジェロ・ブオナッロッティ作 (1506〜1508年頃作)


 聖母が幼いイエスウを肩越しに受けるという珍しい構図。壁画以外の絵画としては唯一の作品がこの絵。彫刻は絵画より上と考えていたミケランジェロらしく、力強い筋肉が描かれているのが特徴。ダビンチに「絵画は後ろは描けないから絵画より彫刻が上。」と語ったと「世界の名画」で話していた。2人はライバルで火花を散らしていたそうだ。






ヴェッキオ宮殿

 1314年に完成したゴシック様式のフィレンツェ共和国の政庁舎で、メディチ家の宮殿であったこともある。現在は市庁舎になっている。






ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場にあるダヴィデ像。

 ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品である。本物はフィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されている。全部で3体あるが、 シニョリーア広場にあるダヴィデとミケランジェロ広場のものはレプリカ。(もともとはシニョーリ広場にあった。) 






「ヘラクレスとカクス」 バンディネーリ作








「ネプチューン像」








12ユーロのジェラート

 この旅の最大のトピックス! 自由時間は少ないし、お土産のバッグでも探そうとシニョリーア広場あたりを散策していたら、ジェラートの店があって、言葉は通じないが、「どの大きさが良いか?」と聞かれ、何を思ったか?私は一番大きいコーンを指してしまった。大きいって言ってもアイスだもんと高をくくっていたら、レジでお金を払おうとすると12ユーロというではないか! 1ユーロ140円として、1,680円のジェラートになった。

 大きすぎ! 一人では食べきれず、スプーンを貰って手伝ってもらった。ツアーで仲良くなった人に、「12ユーロだった!」と話し、大騒ぎしたので、それ以後ジェラートの店を見るたび、皆さんの注目を浴びた。今となっては良い思い出。

 















 この日は自転車のレースが行われ、道路事情が普段通りでなく、ベッキオ橋に行くことが出来なかった。これが本当に残念だった。勉強不足で地図が分からず、ジェラート買う時間があったら行ける程、ベッキオ橋は近かった。(自由時間は限りなくないので、ツアーで連れて行かれる土産物屋をすぐ出て、歩き回るのだが、行く先々で行く土産物屋のほとんどは田舎にあって、自由時間はあってもどこにも行けないことが多かった。








ニョリーア広場からドゥオーモまで歩く。凄い観光客。








左にサン・ジョバンニ礼拝堂、前方にジョットの鐘楼

 ドゥオーモの脇に立つジョットの鐘楼は、1334年〜1359年にかけて建設される。色大理石を使った鮮やかな装飾が目を引く。






ドゥオーモのファザード

 1296年カンビオの設計監督により建築を開始、名建築家ブルネレスキが1436年に完成。ローマのサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ世界で3番目の大きさを誇る。正式な名前は「サンタマリア・デル・フィオーレ(花の聖母)大聖堂」中は見学してない。






白、ピンク、グリーンの大理石の幾何学模様で飾られている。








左にあるサン・ジョバンニ礼拝堂

 ロマネスク様式の八角堂で、白と黒の大理石を使ったモザイクが見事! 洗礼者ヨハネに捧げる為に11世紀に建築された。






東側にミケランジェロが命名した「天国の門」があり、旧約聖書の物語が描かれている。1452年に完成。








ドゥオーモの巨大なクーポラ(円蓋)が間近に、あまりに巨大な為、作るのに難儀したそうだ。








自転車が試走していた。








大昔の建物をそのまま使ってレストランにしている。








昔の街並みがそのまま残されている。








この店で昼食。








きしめんみたいなパスタ








ポークのソテー








馬車の馬が上手に餌を食べていた。








サンタ・マリア・ノヴェッラ駅校内

 フィレンツェの観光はこれでお終い、人の多い道を避け、自由に入れるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅校内を通り抜け、バスに乗り込む。




 午後は次の町シエナに。トスカーナ州シエーナ県の県都。トスカーナの丘陵地帯の中心、3つの丘の上にある約5万人の町。昔は蚊を媒体とする病気ペストが伝染したので、水たまりができにくい丘に街を作ったのだと、添乗員さんが話していた。そうでなければ、苦労して丘を登ることはなかっただろう。

 シエナは中世ヨーロッパにおける金融の中心地として栄えた。13〜14世紀の最盛期には、同じく金融業で財を成したフィレンツェと並ぶほどの勢いを見せたという。





この城壁の門を潜り抜けてシエナの町に








地区に分かれて行われる競馬の旗。


 シエナの町を有名にしているのが、毎年7月と8月に13世紀から行われているパリオ。コントラーダと呼ばれる地区にわかれて行われる裸馬競馬で、このイタリアで最も美しいとされるカンポ広場で開催さる。







 パリオの説明を一生懸命してくれる添乗員のクーさん、人気添乗員だそうだ。この旅が終わって4日後にはアメリカのテネシーに行くと聞いた。1回の、それも連れて行ってもらう旅でもたいそう疲れるのに、4日後とは大変な仕事だ。リズムがあるので休むとかえって疲れるのだそうだ。そういうもんかねえ。とにかくイタリアのことに詳しい。イタリア専門かと思って聞けば、どの国のこともこれ位詳しいそうで、大変な努力家だ。他の添乗員に負けるのが嫌なのだそうだ。

 ご本人が言うには、自分の欠点は、その負けず嫌いなことがアダとなって、接待マージャンなど、上手に負けることが出来ず、本気になってしまうことだそうだ。が、そうはいっても大変な優秀な添乗員であることは間違いない。また是非ご一緒したいものだ。40人からいる人数確認も、名前を呼ばず、見ただけで分かるのも驚いた。








中世の街並みが残るシエナの市街地








コントラーダにはそれぞれマスコットがあって、この地区はカメ。








このコントラーダはドラゴン。


























美しい焼き物のお店








なんて美しいドゥオーモ。中が見られなくて残念!(まあ見ても他のと大差ないのだけれど)








ドゥオーモ広場では大道芸が行われていた。チップをあげて撮影させて貰う。

















鐘楼を見上げる。








ドゥオーモの向かって右わきから下る。








こんなお店があったりして下りて行くと








おおビューティフル!「世界で一番美しい広場」と称されるカンポ広場。


 88mの高さを誇る、14世紀後半に建造されたマンジャの塔からの眺めは素晴らしいそうだが、上がってない。確かにため息が出るほど美しい広場だった。















イタリアではツアーは、日本語は話せなくても良いから、ガイドをつけなければならない。ガイドのおばあさん。
パリオの説明をしている模様。








自由時間で街を散策すると

 以前NHKで放送していたお店、「IL PAPIRO」(フィレンツェや各都市で、伝統あるマーブルペーパーやオリジナルのプリントペーパーを使用したステーショナリー&小物を製作販売してる)があった。店員さんが日本人の女性で驚いた。






私が買ったのはポストカード、6ユーロ位だったかな?


 水の中に糊、もしくは寒天を入れ、アクリル絵の具を垂らし、櫛のようなかな金具で、決まったように絵具をかきまぜ、紙を乗せてインクを付ける。





額縁に入れてもなかなか美しい!








帰り道にあったお店、フルーツが美味しそう!








ポストカードになりそうな本屋さん。








いやいや、シエナは良い所だった。一番好きかもしれない。








ホテルで夕食、コックさんが「美味しいか?」と聞いて回るので








「美味しい〜」と答えた、まずまず食べられた。








モモパパは、すっかり仲良くなった方々と、ワインをシェアーしてたくさん飲んだ。









 2013/9/22(日)

 

 今日は晴れ。観光4日目。

 





今日はFローマ、Gバチカンの観光。



 ローマはイタリアの首都で、ラツィオ州に州都。人口は約270万人。伝説によれば紀元前753年、ギリシャ神話の英雄の子孫により建国され、都市国家から王政を経てローマ帝国の首都となった。ローマ帝国滅亡後は大小の国に分散。15世紀からはローマ法王領の主都としてルネサンス文化の中心になった。1860年代にサルデーニャ王がイタリアを再統一。1871年に新生イタリア王国の首都になって以来、ヨーロッパの代表的観光都市になる。






こじんまりした可愛いホテル。




 


先ずはバチカン市国へ  「サン・ピエトロ大聖堂」


 面積は0.44平方km、ローマ教皇と聖職者や衛兵など人口793人(2011年3月)という世界最小の独立国だが、世界に約12億人と言われる信者を有するカトリックの総本山・ローマ法王の御座所である。349年ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が、ネロ帝によって処刑された聖ペテロの埋葬地とされるヴァティカーノの丘にキリスト教信者のために教堂を建立した。

 2度の火災の後1506年より120年間掛けて、ミケランジェロやラファエロらの手により竣工したのが今のサン・ピエトロ大聖堂である。1929年ローマ教皇とイタリア政府間で「ラテラノ条約」が締結され、バチカン(ヴァチカン)市国が独立。法王庁は国務長官、行政は行政長官が執行責任者。







スイス衛兵

 ローマ教皇の衛兵隊。16世紀、教皇ユリウス2世が考案したもので、19〜30歳の独身男性で、身長が174cm以上のスイス人が採用される。赤、青、金色の制服はミケランジェロのデザインと言われる。




 


柱廊上部に立つ聖人像は140体。17〜18世紀の芸術家達によるもので、像の高さは3.20m。








サン・ピエトロ広場

 17世紀、法王アレクサンデル7世の命によりベルニーニが設計したバロック様式の広場284本の円柱を左右対称に配して半円形の柱廊を建設。







朝一番に到着したので、スムーズに入場できた。出るころには長い列が出来ていた。




 


大聖堂への5つの扉の中央「フィラレーテの扉」 聖ペテロの殉教の場面を表現。




 


その上部




 


サン・ピエトロ大聖堂内部。




 


「ピエタ」

ミケランジェロ(1499年作) 大聖堂の中でも最重要作品の一つ。 
 







 その証拠に、こんなに遠くからしか見ることが出来ない。死せるキリストを腕に抱いた聖母マリアを表す。ミケランジェロが弱冠25歳で完成させた傑作で、唯一サインの入った作品なのだそうだ。




 


見事な細工のクーポラ




 







 







 


「バダッキーノ」 ベルニーニ作(1633年作)

 法王ウルバヌス8世の命により、ベルニーニが手掛けたブロンズ製の大天蓋。ねじれた柱や細部にまで施された彫刻が祭壇を飾る。






中央の大クーポラはミケランジェロの設計。




 







 







 







 







 



 ローマを訪れたのは15年ぶりで2度目、(イギリからイタリアまでヨーロッパを縦断した) その時はシスティーナ礼拝堂にも入って、ミケランジェロの「最後の審判」も見たから良いようなものだけど、イタリアオンリーの旅でサンピエトロ大聖堂しか見学できないなんて残念無念。さてここからは、バスに乗っての見学。




 














 


「フォロ・ロマーノ」

 古代ローマの中枢だったこの場は紀元前6世紀には既に建設が開始された。フォロとは公共広場のこと。カエサルの共和政時代から帝政ローマ時代に最も栄えた。19世紀に発掘、修復され現在に至る。




 


「コンスタンティヌスの凱旋門」 315年建造




 


「コロッセオ」

 「コロッセオが滅びるときローマは滅び、その時世界も滅びる。」といわれたローマ初の一大娯楽施設。72年にヴェスパシアヌス帝が手掛け、80年頃、ティトゥス帝の時代に完成。長径188m短径156mの楕円形で、高さは48m、おおよそ4階建ての巨大な円形闘技場。45,000人を収容できた。

 人々を熱狂させた死闘の数々も、5世紀に入ってホノリウス帝によって闘技会は全面禁止され、その後ローマ帝国が崩壊すると、コロッセオも忘れられ、中世にはコロッセオに使用されていた大理石が建築資材として持ち去られ荒廃するも、19世紀に発掘調査が始まり、歴史的価値が認められ、保護されるようになった。











 


「サンタ・マリア・イン・アラコエリ教会」




 







 


再びコロッセオ



ここでバスを降りて見学。


 


「トレヴィの泉」






 トレヴィは三叉路の意味。バロック芸術の最高傑作。ローマ最大の噴水で、紀元前19年の古代ローマの放水口を元に18世紀にニコラ・サルヴィンが完成させる。



 


「泉に背を向けてコインを1枚投げるとローマ再訪がかなう」と有名な言い伝えがあるが、確かに叶った。

当たり前だが、コインはちゃんと集めるとテレビの番組で話していた。




 


古代遺跡があちこちに




 







 







 


誰を警備しているのか?




 


「スペイン広場」 17世紀にスペイン大使館があったのでこの名前がついた。 凄い人!




 


 記念に写真をパチリ! 我が家のフォトスタンドに納まる。




 


ベルニーニの父作の「バルカッチャの泉」がある。




 


ああ暑い! サンバイザーをバスに忘れた。




 


坂の上から見下ろす。遠くサンピエトロ大聖堂が見える。




 


坂の上にあるトリニタ・ディ・モンティ教会




 


そのふもとで、同じツアーの方と、ひと休み、ひと休み。




 


教会前を右折してお昼のレストランへ




 







 


初めて口に合う食事が




 


お魚のトマトソース煮も美味しく頂いた。




 


ヨーグルトだったかな?




 ここでちょっとアクシデント発生! お迎えのバスが来ない! 仕方がないので、少し離れたローマ三越まで歩く。






期せずしてローマの街並みを見ることになった。街路樹はオレンジの木(食べられない)。




 


つまるところ、運転手の電話番号の聞き間違えだった。




 


教会だらけのローマには、こんな素敵な教会も!




 


ローマ三越に到着。


 高級品が沢山あるローマ三越をさっさと出て、近所のスーパーに向かう。お土産のお菓子やチーズを買う為だったが、どんどん仲間が増えて、沢山で走って行った。焦っていたので写真を撮る余裕もなかった。






 三越のそばにある、サンタ・マリア・デランジェリエ・ディマルティー聖堂


と、ここでローマ観光はお終い。今日の宿ナポリまで、約230キロメートル、バスで走る。
 






「アッピア旧街道」  向こうにヴェスヴィオ火山が見える。




 



 「すべての道はローマに通ず」と言われたローマ時代の道の一つ。アドリア海に接するブリンディジ(イタリアのかかとの部分にある都市)につながっている。




 
晩御飯は、ナポリでも美味しいと評判のお店でマルゲリータを頂く。暗くて店の写真はない。





フレッシュサラダ、生野菜はここイタリアでは高級食材だそうだ。




 


出来たてのピザ ふちは硬かったがまあまあ美味しかった。




 


プリンのデザート




 



 2013/9/23(月)

 

 今日は晴れ。観光最終日で5日目。

 





今日はHのナポリから、Iのカプリ島に渡って、Jのアマルフィーに行く。



 ナポリの街自体の観光はしていない。ローマから南に200q離れたカンパニア州の州都。紀元前470年にギリシャ人が街を築いて以来、地中海の中心として繁栄したが、その立地条件の良さから、11世紀中ごろから18世紀にかけて、他国による支配繰り返えされた。世界3大美港のひとつで、(あとはオーストラリアのシドニー、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロという説) 「ナポリを見て死ね」といわれるほど美しい眺望らしい。






バスの中から見たナポリの街並み




 









「ヌオーヴォー城」

13世紀にアンジュラー家が起工し、その後アラゴン家アルフォンソ1世によって全面改修され現在の姿に。





 


船に乗り、ナポリの町を眺める。




 


後方右手にヴェスヴィオ火山を望む。




 


船の大きさはこんな感じ。約50分乗船。




 


カプリ島が間近に


 カプリ島は、イタリア南部のティレニア海にある島。ナポリ市街からナポリ湾を挟んで南へ約30kmに位置する。約10平方km程度の小さな島だが、風光明媚な土地として知られ、イタリアにおける観光地の1つとなっている。青の洞窟と呼ばれる海食洞があることでも有名。また、イタリアの歴史にも登場する島で、例えば、ローマ皇帝ティベリウスが統治期間の後半を過ごしたことでも知られる。






港「マリーナグランテ」に到着!




 







 


海はそんなに荒れてなかったのだが




 


「青の洞窟」には波が高すぎていけないというではないか! ばかな!




 


ちなみに「青の洞窟」はこんなところだそうだ。(写真を拝借)




 


自由時間が沢山出来てしまったので、ケーブルカーに乗って島の上に行ってみることになった。




 


おお、素晴らしい景色!




 


右手にイタリア本土ヴェスヴィオ火山が見える。




 


観光の島らしく、島の上部にもたくさんのお洒落な建物があって




 


あまりにもガッカリされていた奥さんのワーさんご夫婦と一緒にカフェでコーヒーを頂いた。




 


カフェからの眺望

 この時期80%の確率で青の洞窟に行けるはずだった。忙しすぎた今度のイタリア旅行、今思えばポッカリ空いたこの時間が、一番リラックスして旅を楽しめた時間だったような気がする。







島の反対側にきれいな場所があると聞いたので、行ってみるがそれらしいところはない。




 


「あれ〜道を間違った! ごめんなさい。」と引き返す。




 


カフェの横にある細い路地が、その道だった。分かりにくいわ〜




 


するとパッと開けた場所に出て、展望台があった。




 


おお、なんてビューティフル!




 


確かに海が青い!




 


そうはゆっくりしてはいられない、戻らなくっちゃ。




 


雰囲気の良い道を通って




 


あらこんなところに




 


美味しそうなパンとお菓子のお店が・・・




 


ワーさんのご主人が急いで買ってきてくださって、頂いてみると、それはまあ美味しい!




   


元の広場に戻ってきて




   


ケーブルカーで麓まで降りる。




   


40人の皆さんは全員時間通りに戻ってきて、帰りの船に乗った。




   


カプリ島を後にする。もう一度青の洞窟にチャレンジしたいな〜




   


ナポリの街が見えてきた。ナポリも観光したかったなあ〜




   


卵城

 12世紀、ノルマン朝により建造された城で、古代ローマの詩人ヴェルギリウスが城内に魔法をかけた卵を埋めたという伝説や、城が楕円形だったという話など、その名前の由来には諸説あるらしい。





 


昼食はここナポリで、大変繁盛しているお店だった。




   


スープと




   


ボンゴレ 疲れたのか?写真を一枚撮り忘れたような?




   


ここからバスに乗ってアマルフィ海岸へ向かう。道が狭い為、小さなバス2台に乗り換える。




 
   




 ナポリの南、カプリ島に向かって突き出したソレント半島のソレントとサレルノを結ぶ全長約30qのアマルフィー海岸は、海に迫る急勾配の斜面に白壁の家や別荘が点在し、世界一美しい海岸といわれ、世界遺産に登録されている。




 







   


道が狭い為、大型の観光バスは入れなくなった上に、道も一方通行に規制されて、混雑が緩和されたのだそうだ。




   







   


海岸線が見下ろせるポジターノで下車し、記念撮影をする。




   


アマルフィ海岸ドライブ観光だった為、ポジターノでは15分下りたのみ。




   


ポジターノの土産物店の前に放し飼いされていたワンコ




   


イタリアのワンコは「お手!」をするのか?試してみたが、しなかった。




   


匂ってみたが、カラッとした気候のせいか?臭くなかった。




   


美味しそうなフルーツ、イタリアはフルーツが美味しい!




   


この地は陶器が有名で、教会も陶器で作られている。




   


その陶器のお店に立ち寄る。過去の経験を生かし、その地の特産品は買わないことにしている。




   


お店の看板 




   


そろそろ海岸線とはお別れ。




   


そりゃあ恐ろしい程の「いろは坂」を登って戻って行く。(来た道は通れない為)




   


戻る道すがらの美しい夕日。




   







   


私は疲れ果て、モモパパ撮影。




   


ベスヴィオ火山を後ろに




   


ホテルに着いたときは真っ暗になっていた。イタリア観光はこれでお終い。




 


リゾットに、魚料理があったが、撮り忘れた。




 


デザート イタリアはデザートは一応に美味しかった。




 


今日一日ほとんどご一緒したワーさんご夫婦と、最後の「カンパ〜イ!」




 



 2013/9/24(火)

 

 今日は晴れ。

さて、今日で帰国。朝一番まだ暗いうちに起きて、ホテルの作ってくれたサンドイッチのお弁当を持ってバスに乗った。ナポリからローマのレオナルド・ダビンチ空港までは約230q。格安ツアーというのは、こういう早い便を使うから安いのだと実感。渋滞も予想され何時間かかるか分からないと脅かされたが、思いの外スムーズに空港に到着した。残念!、お弁当の写真を撮り忘れた。  



 


途中のドライブインで、皆さん買い残したお土産を買ったり、コーヒーを飲んだりした。






レオナルド・ダビンチ空港内






いざ帰国!






空港内免税店付近で自由時間があった。






広い空港内をモノレールで移動。






良い天気!イタリア滞在中ずっと天候に恵まれた。






アリタリア航空で、飛行時間は約12時間ちょっと。






イタリアンの機内食 いやはや、イタリアではチーズを沢山頂いた。






和食の機内食






朝食






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 2013/9/25(水)

 

 今日は晴れ。

 


成田には午前7時前の到着で、いったん成田エキスプレスで我が家に戻ってナナを迎えに行く。



 忙しい旅だった。5日の観光がギュウギュウ詰めだった。深く観光したとは決して言えないが、沢山のところを観られて良かったともいえる。もう一度、ゆっくりイタリアに行くか? 他の地をゆっくり回るか?いやいやきっとまた他の地をギュウギュウ詰めで旅をしていることだろう。

 今度の旅はまず添乗員さんに恵まれた。ベテランのクーさんと、同行した新入社員の企画室の女の子のコーさんも可愛かった。なんといっても40人にもなったツアー客が皆仲良くなって、和気あいあいと旅が出来た。嫌なことが一つとしてなかった。お蔭で、楽しいばかりであまり疲れを感じなかった。さて今度の旅は来年の春の予定、何処に行こうかな〜 (行けると良いが)






モモパパが一番印象に残ったのはベネチアだそうだ。






私が一番息をのんだのはピサだった。