2013/9/18(水) |
今日は晴れ。今日からイタリア旅行へ出発! 今回は阪急交通社の「トラピックス」で、『≪復路ローマ発≫全都市スーペリアルクラスに泊まる! ハイライトイタリア8日間』に参加。ハイライトというだけあって、ベネチアを皮切りに、ベローナ、ミラノ、ピサ、フィレンツェ、シエナ、ローマ、バチカン、ナポリ、カプリ島、アマルフィーを訪れる。実質5日での観光の為、1都市半日(実は2時間以下)の忙しい旅となった。確かに「ハイライト」。 未だ午前6時前。成田にまでおよそ1時間45分。 天気も文句なし。いざ出発! アリタリア航空 イタリアンの機内食。今までで一番おいしかった! モモパパは和食。これも美味しいと話していた。 夜食のおにぎりとサンドイッチ。 いっぱい乗った。映画も3本見た。しかし、今回は以前より元気な感じ。 ようやくヨーロッパの地図が見えてきた。 到着前の軽食。 サマータイムのヨーロッパ、時間差は7時間。午後3時過ぎにローマ到着予定。 最初に降り立ったローマは良い天気! ず〜っと良い天気の予定。 今回のツアーの参加者は40名!(多い) ローマ(レオナルドダビンチ)空港内で、さっそく美味しそうなものが。 ローマからベネチアまでの飛行機の座席は是非右側をお勧めする。ベネツィアの街が一望できる。 知らなかった、ベネチアは島々に囲まれた内海にあるのだった。 (ほとんど下調べなしで勿体ない話。) だから大波が来ても心配ないんだわ。マルコポーロ空港に到着は午後6時前。 ベネチア近郊メストレのホテルに到着。サマータイムでまだ明るい! |
2013/9/19(木) |
今日は晴れ。 今日から観光が始まる! 今日は@のベネチア、お昼を頂いて、午後からAヴェローナ。 朝、部屋から外を望む。サマータイムで日が昇るのが遅く、まだ明け方のような感じ。 ベネチアはベネト州の州都で、アドリア海の最奥部に発達した「アドリア海の真珠」と呼ばれる水の都。150以上の運河、400以上の橋、100を超える島々からなる。 昨日飛行機から見えた、ベネチアまでの1本道路「リベルタ通り」を走る。 ヌオーヴァ島からモノレールに乗ってゴンドラ乗り場へ ゴンドラ乗り場脇で、プールの友達に頼まれた仮面のブローチを購入する。 ベネチアで年に一度、2月末から3月初めまでの2週間、仮面 カーニバル(謝肉祭)が開催される。 ゴンドラは6人で乗った。 最初の橋を潜って おお! テレビや写真で見た風景! ゴンドラを漕ぐ人を「ゴンドリエーレ」というそうだ。 島には車の乗り入れができないため、島内や島同士の連絡には船が使われる。船着き場が家の玄関だそうだ。 ヨーロッパでは、どの国でも窓辺に美しい花が飾ってある。 船体の飾り「ペッティ」 ゴンドラの前方には、事故の衝撃から船を守る役割の鋼鉄製の装飾「フェッロ」。 ゴンドリエーレとのバランスをとる為の重りの役目もあるそうだ。 ベネチアに行く前は「ゴンドラなんて乗らなくても。」と思っていたが、絶対乗らなくちゃあ! なんて美しい!! 水上バスは観光客でいっぱい。 大きい船、小さい船がひっきりなしに通る。 30分位乗っただろうか?下船すると小さな路地が 普段の暮らし(配達など)に使われる船が停泊。 広場に出て 歩いて行くと そこはサンマルコ広場! テレビで何度も見た! 正面にサンマルコ寺院。 「旧行政館」 12世紀の建物。 行政官たちの執務室や住居が入っていた。火災により消失したが、16世紀に再建される。 「新行政館」 新行政館が手狭になった為17世紀に建築。 新行政館の1階通路部分は、カフェやレストラン、ブランドショップが並んでいる。 修復中のサンマルコ寺院を右側から望む。 サンマルコ寺院のクーポラ (ドーム) 満ち潮時、広場にはところどころ水が上がってきていた。 サンマルコ寺院の向かって右側のドゥカレー宮(政治の中枢があった建物)をぐるりと回って 「ため息の橋」を望む。 橋のたもとを潜ってサンマルコ広場に向かう。 順光で見たサンマルコ広場の大鐘楼 世界的観光地ベネチアだから日本人なんて目立たない。 サンマルコ寺院ファザード(入り口)の上の朝浮彫の装飾。 中大部分にあるモザイク 「キリストの栄光と最後の審判」 全部で5つあるが聖書の物語や職人のエピソードが描かれている。 サンマルコ広場に面する時計台は、プラハの有名な時計台に似ている。 サンマルコ寺院からサンマルコ広場を望む。 その後、ベネチアングラスの工房に行って、見学、ショッピングを行う。 工房はちょうど「ため息の橋の裏側だった。 ここで昼食 イカ墨のパスタを頂く、まずまず食べられた。格安のツアーは料理に不満を言ってはいけない。 あまり美味しくない魚料理。(モモパパ曰く) しょうゆがあったら食べられたか? デザートは美味しかった! 水上バスに乗り、私たちを待っているバスまで 大型クルーザーが停泊中、美しい! 来るときに乗ったモノレールが見える。 ベネチア本島を後にしてリベルタ通りを戻る。 Aベローナに行く途中、お決まりのお土産物店に連れて行かれる。移動に使ったバス。 街を守る壁に囲まれている。 合同庁舎 街の中心部には古代ローマ時代の円形競技場跡(アレーナ)があり、街の象徴となっている。 コンサートやオペラも開かれ、当日もイタリアのベテラン歌手のコンサートで、賑わっていた。 イタリアは空気が乾いているので日陰は爽やかだが、日向ではサンバイザーが必須。 ヴェローナの街並み、マキューシオが闊歩していたか? 広場では市場が開かれている。 ロミオが友達と話していたか? エルベ広場に立つランベルティの塔 ここを入るとジュリエッタの家に BS放送で何度も見たし、映画でも見たジュリエッタの家。 有名なバルコニー 「ジュリエッタの象」 ジュリエッタの象にふれると恋が成就するといわれ、若い観光客でいっぱい! 古代遺跡を壊さず、そのまま現代建築の一部に取り入れている。 遺跡が残っている。 お洒落な窓辺 絵葉書になりそうなたたずまい。 夕食は次の町ミラノで頂く。 イタリア人は黄金が大好き! 黄金色のミラノ風リゾット。 ミラノ風カツレツ デザートのプリン |
2013/9/20(金) |
今日は晴れ。観光2日目 今日はBのミラノ、お昼を頂いて午後からCのピサ。 先日メストレで泊まった系列ホテルに泊まる。 いかにもイタリアらしいお洒落な駅 駅前にはファッションの街らしいオブジェの、糸の通った針と 結び目が ミラノ最初は「スフォルツェスコ城」 「スカラ座」 スカラ座前にあるスカーラ広場のレオナルド・ダビンチ像 「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌレー2世」 十字形の商店街にガラス屋根をかけたアーケード。 イタリア統一を記念して、初代国王の名を取り、1865年から12年をかけて完成。 ドゥオーモとスカラ座を結んでいる。 ヨーロッパ アメリカ アフリカ アジア 中央にあるドームの天井は「ミラノの応接間」と呼ばれる。 路面にはモザイクが施されており 牡牛のモザイクでくるっと回れば幸福になれるといわれ、皆かかとをつけてクルリと回る。 「ドゥオーモ」 とここで建築様式の話。 一昨年行った中央ヨーロッパではどの大聖堂もバロック様式(16世紀末から17世紀初頭にかけイタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式)で、賑々しい装飾に目を見張った。「こんなにお金をかけて、教会ってお金持ちなんだな〜 人々は貧しくても。」と不思議に思ったものだ。 ミラノの大聖堂はゴシック様式(歴史的区分としては1150年頃から1500年頃までの時代を指し、フランスで花開いた建築様式をいうのだそうだ。規模が大きく、天に向かってそびえ立つ姿が見る物を圧倒する!)で荘厳だが賑々しい感じはない。 勉強不足で旅行するので、この辺がよく分かっていなかったが、添乗員のクーさんに、ユーロのお札の金額の小さい順に建築様式が描かれていると説明してもらい大変勉強になった。が、その話をクーさんにすると「ネットで調べればすぐに分かることです。」とあっさり言われる。添乗員としてだれにも負けたくない!と世界史の先生張りに知識が豊富なのは努力のたまものだろう。 ドゥオーモのファザード(建築物の正面)からドゥオーモ広場を眺める。 「ドゥオーモ」とはイタリア語で街を代表する教会堂のこと。ローマ以外では「大聖堂」とほぼ同じ意味を持つ。 「ファザード」 幾度もデザイン変更や工事の中断を経て、ナポレオンが現在のゴシック様式に決定したが、様々なアイデアが取り入れられた独特の折衷スタイルなのだそうだ。5枚の扉はレリーフが見事なブロンズ製。中央の大扉には聖母マリアの生涯が描かれている。 脇の扉上部にも素晴らしい彫刻が施されている。 アップ 恐らく向かって左側の入り口から入った模様。 内部は自由見学の為、詳しい説明はない。 美しいステンドグラス フラッシュをたかなくても、ミラーレスだと、荒いがそこそこ分かる写真が撮れる。 太い柱が高い天井を支える。 「主祭壇」 4本の柱に支えられた円蓋がある。 ドゥオーモ広場より「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌレー2世」を眺める。 ミラノの市街地を走るトリム 昼食を頂いたお店 生ハムのサラダ ほんの少しのカルボナーラ フルーツポンチ? さてお昼を頂いたらピサに向けて出発! 雪ではない。白い大理石が取れる山が掘削されている。道路のそばには加工工場が並ぶ。 Cピサ おお!なんて美しい! ここがピサの斜塔のあるところ。 「斜塔」 ピサ生まれの物理学者ガリレオ・ガリレイが「物体が落下する時間は、落下する物体の質量とは無関係」という「落下の法則」を証明するために、斜塔の頂上からおもりを落とす実験を行った言われている。 「ドゥオーモ」 ファザードのピザンチン様式の装飾が見事! 広場の中心にある荘厳な建築物は11世紀にピサ艦隊の勝利を祝い、共和国の繁栄を願って建てられた。 正面扉 ロマネスク様式(ゴシック建築以前の建築様式で最初のヨーロッパ建築)の教会内部。 金色のモザイクが輝くドゥオーモの後陣。 「説教壇」 上部 美しい天井の装飾。 教会内からファザード方面を眺める。 「礼拝堂」 斜塔までは車が乗り入れできず、バスで行く。 夕食はどこかのホテルのレストランで頂くが あまり口に合わず、何一つ食べられなかった。ホテルでお菓子を食べる。 今夜のホテルはフィレンツェ |
2013/9/21(土) |
今日は晴れ。観光3日目。 今日はDフィレンツェ、お昼を頂いてEシエナを訪れる。ああ忙しい。 朝食 毎日結構大きなホテルに泊まる。 朝一番に、アルノ川を挟んだ、フィレンツェが見下ろせる丘にあるミケランジェロ広場からフィレンツェの街を望む。 アップで撮影すると、ガイドブックにある写真と一緒! ヴェッキオ橋が見える。モモパパが撮影するオリンパスのミラーレスは、彩度が高く鮮やかに写る。 ミケランジェロ広場の中心にあるダヴィデ像 下まで降りてきて、ヴェッキオ橋を望む。右手にあるのがウッフィツィ美術館。 ウッフィツィ美術館 イタリア美術史に燦然と輝く名画が勢ぞろいする美術館。古代彫刻と13〜18世紀の絵画作品の展示が主に成る。建物自体の歴史も古く、着工は1560年。元は、メディチ家のコジモ1世の依頼により建築家のヴァザーリが担当し、総合庁舎として造った。1581年にフランチェスコ1世の執務室を美術館にし、メディチ家が収集した3万点の絵画を所蔵する。 内部は一部を除いて撮影禁止。ここからは借りた映像。展示室前の廊下。 初期ルネッサンスの作品。 「ウルビーノ侯爵夫人の肖像」 ピエロ・デッラ・フランチェスカ作 (1467〜1470頃作) 「聖母子と二天使」 フィリッポ・リッピ作 (1465年頃作) あまりにも有名な「ヴィーナスの誕生」 サンドロ・ボッティチェッリ作 (1484年頃作) 美の女神ヴィーナスの誕生を描き、右は女神ホーラか、3美神の1人とされており、衣を持ちヴィーナスを迎えている。左の2人は風の神。 これも有名な「春(プリマヴェーラ)」 同じくサンドロ・ボッティチェッリ作 (1482年頃作) 「受胎告知」 あまりにも有名な、イタリア・ルネッサンスを代表する3代巨匠のひとりレオナルド・ダヴィンチ作 (1475〜1480年頃作) 「ヒワの聖母」 3代巨匠のひとりラファエロ・サンティー作 (1505〜1506年作) 「聖家族」 3代巨匠のひとりミケランジェロ・ブオナッロッティ作 (1506〜1508年頃作) 聖母が幼いイエスウを肩越しに受けるという珍しい構図。壁画以外の絵画としては唯一の作品がこの絵。彫刻は絵画より上と考えていたミケランジェロらしく、力強い筋肉が描かれているのが特徴。ダビンチに「絵画は後ろは描けないから絵画より彫刻が上。」と語ったと「世界の名画」で話していた。2人はライバルで火花を散らしていたそうだ。 ヴェッキオ宮殿 ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場にあるダヴィデ像。 「ヘラクレスとカクス」 バンディネーリ作 「ネプチューン像」 12ユーロのジェラート 大きすぎ! 一人では食べきれず、スプーンを貰って手伝ってもらった。ツアーで仲良くなった人に、「12ユーロだった!」と話し、大騒ぎしたので、それ以後ジェラートの店を見るたび、皆さんの注目を浴びた。今となっては良い思い出。 ニョリーア広場からドゥオーモまで歩く。凄い観光客。 左にサン・ジョバンニ礼拝堂、前方にジョットの鐘楼 ドゥオーモのファザード 白、ピンク、グリーンの大理石の幾何学模様で飾られている。 左にあるサン・ジョバンニ礼拝堂 東側にミケランジェロが命名した「天国の門」があり、旧約聖書の物語が描かれている。1452年に完成。 ドゥオーモの巨大なクーポラ(円蓋)が間近に、あまりに巨大な為、作るのに難儀したそうだ。 自転車が試走していた。 大昔の建物をそのまま使ってレストランにしている。 昔の街並みがそのまま残されている。 この店で昼食。 きしめんみたいなパスタ ポークのソテー 馬車の馬が上手に餌を食べていた。 サンタ・マリア・ノヴェッラ駅校内 午後は次の町シエナに。トスカーナ州シエーナ県の県都。トスカーナの丘陵地帯の中心、3つの丘の上にある約5万人の町。昔は蚊を媒体とする病気ペストが伝染したので、水たまりができにくい丘に街を作ったのだと、添乗員さんが話していた。そうでなければ、苦労して丘を登ることはなかっただろう。 シエナは中世ヨーロッパにおける金融の中心地として栄えた。13〜14世紀の最盛期には、同じく金融業で財を成したフィレンツェと並ぶほどの勢いを見せたという。 この城壁の門を潜り抜けてシエナの町に 地区に分かれて行われる競馬の旗。 シエナの町を有名にしているのが、毎年7月と8月に13世紀から行われているパリオ。コントラーダと呼ばれる地区にわかれて行われる裸馬競馬で、このイタリアで最も美しいとされるカンポ広場で開催さる。 ご本人が言うには、自分の欠点は、その負けず嫌いなことがアダとなって、接待マージャンなど、上手に負けることが出来ず、本気になってしまうことだそうだ。が、そうはいっても大変な優秀な添乗員であることは間違いない。また是非ご一緒したいものだ。40人からいる人数確認も、名前を呼ばず、見ただけで分かるのも驚いた。 中世の街並みが残るシエナの市街地 コントラーダにはそれぞれマスコットがあって、この地区はカメ。 このコントラーダはドラゴン。 美しい焼き物のお店 なんて美しいドゥオーモ。中が見られなくて残念!(まあ見ても他のと大差ないのだけれど) ドゥオーモ広場では大道芸が行われていた。チップをあげて撮影させて貰う。 鐘楼を見上げる。 ドゥオーモの向かって右わきから下る。 こんなお店があったりして下りて行くと おおビューティフル!「世界で一番美しい広場」と称されるカンポ広場。 イタリアではツアーは、日本語は話せなくても良いから、ガイドをつけなければならない。ガイドのおばあさん。 パリオの説明をしている模様。 自由時間で街を散策すると 私が買ったのはポストカード、6ユーロ位だったかな? 額縁に入れてもなかなか美しい! 帰り道にあったお店、フルーツが美味しそう! ポストカードになりそうな本屋さん。 いやいや、シエナは良い所だった。一番好きかもしれない。 ホテルで夕食、コックさんが「美味しいか?」と聞いて回るので 「美味しい〜」と答えた、まずまず食べられた。 モモパパは、すっかり仲良くなった方々と、ワインをシェアーしてたくさん飲んだ。 |
2013/9/22(日) |
今日は晴れ。観光4日目。 今日はFローマ、Gバチカンの観光。 こじんまりした可愛いホテル。 先ずはバチカン市国へ 「サン・ピエトロ大聖堂」 2度の火災の後1506年より120年間掛けて、ミケランジェロやラファエロらの手により竣工したのが今のサン・ピエトロ大聖堂である。1929年ローマ教皇とイタリア政府間で「ラテラノ条約」が締結され、バチカン(ヴァチカン)市国が独立。法王庁は国務長官、行政は行政長官が執行責任者。 スイス衛兵 柱廊上部に立つ聖人像は140体。17〜18世紀の芸術家達によるもので、像の高さは3.20m。 サン・ピエトロ広場 朝一番に到着したので、スムーズに入場できた。出るころには長い列が出来ていた。 大聖堂への5つの扉の中央「フィラレーテの扉」 聖ペテロの殉教の場面を表現。 その上部 サン・ピエトロ大聖堂内部。 「ピエタ」 ミケランジェロ(1499年作) 大聖堂の中でも最重要作品の一つ。 見事な細工のクーポラ 「バダッキーノ」 ベルニーニ作(1633年作) 中央の大クーポラはミケランジェロの設計。 「フォロ・ロマーノ」 「コンスタンティヌスの凱旋門」 315年建造 「コロッセオ」 人々を熱狂させた死闘の数々も、5世紀に入ってホノリウス帝によって闘技会は全面禁止され、その後ローマ帝国が崩壊すると、コロッセオも忘れられ、中世にはコロッセオに使用されていた大理石が建築資材として持ち去られ荒廃するも、19世紀に発掘調査が始まり、歴史的価値が認められ、保護されるようになった。 「サンタ・マリア・イン・アラコエリ教会」 再びコロッセオ ここでバスを降りて見学。 「トレヴィの泉」 「泉に背を向けてコインを1枚投げるとローマ再訪がかなう」と有名な言い伝えがあるが、確かに叶った。 当たり前だが、コインはちゃんと集めるとテレビの番組で話していた。 古代遺跡があちこちに 誰を警備しているのか? 「スペイン広場」 17世紀にスペイン大使館があったのでこの名前がついた。 凄い人! 記念に写真をパチリ! 我が家のフォトスタンドに納まる。 ベルニーニの父作の「バルカッチャの泉」がある。 ああ暑い! サンバイザーをバスに忘れた。 坂の上から見下ろす。遠くサンピエトロ大聖堂が見える。 坂の上にあるトリニタ・ディ・モンティ教会 そのふもとで、同じツアーの方と、ひと休み、ひと休み。 教会前を右折してお昼のレストランへ 初めて口に合う食事が お魚のトマトソース煮も美味しく頂いた。 ヨーグルトだったかな? 期せずしてローマの街並みを見ることになった。街路樹はオレンジの木(食べられない)。 つまるところ、運転手の電話番号の聞き間違えだった。 教会だらけのローマには、こんな素敵な教会も! ローマ三越に到着。 三越のそばにある、サンタ・マリア・デランジェリエ・ディマルティー聖堂 と、ここでローマ観光はお終い。今日の宿ナポリまで、約230キロメートル、バスで走る。 「アッピア旧街道」 向こうにヴェスヴィオ火山が見える。 フレッシュサラダ、生野菜はここイタリアでは高級食材だそうだ。 出来たてのピザ ふちは硬かったがまあまあ美味しかった。 プリンのデザート |
2013/9/23(月) |
今日は晴れ。観光最終日で5日目。 今日はHのナポリから、Iのカプリ島に渡って、Jのアマルフィーに行く。 バスの中から見たナポリの街並み 「ヌオーヴォー城」 13世紀にアンジュラー家が起工し、その後アラゴン家アルフォンソ1世によって全面改修され現在の姿に。 船に乗り、ナポリの町を眺める。 後方右手にヴェスヴィオ火山を望む。 船の大きさはこんな感じ。約50分乗船。 カプリ島が間近に 港「マリーナグランテ」に到着! 海はそんなに荒れてなかったのだが 「青の洞窟」には波が高すぎていけないというではないか! ばかな! ちなみに「青の洞窟」はこんなところだそうだ。(写真を拝借) 自由時間が沢山出来てしまったので、ケーブルカーに乗って島の上に行ってみることになった。 おお、素晴らしい景色! 右手にイタリア本土ヴェスヴィオ火山が見える。 観光の島らしく、島の上部にもたくさんのお洒落な建物があって あまりにもガッカリされていた奥さんのワーさんご夫婦と一緒にカフェでコーヒーを頂いた。 カフェからの眺望 島の反対側にきれいな場所があると聞いたので、行ってみるがそれらしいところはない。 「あれ〜道を間違った! ごめんなさい。」と引き返す。 カフェの横にある細い路地が、その道だった。分かりにくいわ〜 するとパッと開けた場所に出て、展望台があった。 おお、なんてビューティフル! 確かに海が青い! そうはゆっくりしてはいられない、戻らなくっちゃ。 雰囲気の良い道を通って あらこんなところに 美味しそうなパンとお菓子のお店が・・・ ワーさんのご主人が急いで買ってきてくださって、頂いてみると、それはまあ美味しい! 元の広場に戻ってきて ケーブルカーで麓まで降りる。 40人の皆さんは全員時間通りに戻ってきて、帰りの船に乗った。 カプリ島を後にする。もう一度青の洞窟にチャレンジしたいな〜 ナポリの街が見えてきた。ナポリも観光したかったなあ〜 卵城 昼食はここナポリで、大変繁盛しているお店だった。 スープと ボンゴレ 疲れたのか?写真を一枚撮り忘れたような? ここからバスに乗ってアマルフィ海岸へ向かう。道が狭い為、小さなバス2台に乗り換える。 道が狭い為、大型の観光バスは入れなくなった上に、道も一方通行に規制されて、混雑が緩和されたのだそうだ。 海岸線が見下ろせるポジターノで下車し、記念撮影をする。 アマルフィ海岸ドライブ観光だった為、ポジターノでは15分下りたのみ。 ポジターノの土産物店の前に放し飼いされていたワンコ イタリアのワンコは「お手!」をするのか?試してみたが、しなかった。 匂ってみたが、カラッとした気候のせいか?臭くなかった。 美味しそうなフルーツ、イタリアはフルーツが美味しい! この地は陶器が有名で、教会も陶器で作られている。 その陶器のお店に立ち寄る。過去の経験を生かし、その地の特産品は買わないことにしている。 お店の看板 そろそろ海岸線とはお別れ。 そりゃあ恐ろしい程の「いろは坂」を登って戻って行く。(来た道は通れない為) 戻る道すがらの美しい夕日。 私は疲れ果て、モモパパ撮影。 ベスヴィオ火山を後ろに ホテルに着いたときは真っ暗になっていた。イタリア観光はこれでお終い。 リゾットに、魚料理があったが、撮り忘れた。 デザート イタリアはデザートは一応に美味しかった。 今日一日ほとんどご一緒したワーさんご夫婦と、最後の「カンパ〜イ!」 |
2013/9/24(火) |
今日は晴れ。 さて、今日で帰国。朝一番まだ暗いうちに起きて、ホテルの作ってくれたサンドイッチのお弁当を持ってバスに乗った。ナポリからローマのレオナルド・ダビンチ空港までは約230q。格安ツアーというのは、こういう早い便を使うから安いのだと実感。渋滞も予想され何時間かかるか分からないと脅かされたが、思いの外スムーズに空港に到着した。残念!、お弁当の写真を撮り忘れた。 途中のドライブインで、皆さん買い残したお土産を買ったり、コーヒーを飲んだりした。 レオナルド・ダビンチ空港内 いざ帰国! 空港内免税店付近で自由時間があった。 広い空港内をモノレールで移動。 良い天気!イタリア滞在中ずっと天候に恵まれた。 アリタリア航空で、飛行時間は約12時間ちょっと。 イタリアンの機内食 いやはや、イタリアではチーズを沢山頂いた。 和食の機内食 朝食 |
2013/9/25(水) |
今日は晴れ。 成田には午前7時前の到着で、いったん成田エキスプレスで我が家に戻ってナナを迎えに行く。 今度の旅はまず添乗員さんに恵まれた。ベテランのクーさんと、同行した新入社員の企画室の女の子のコーさんも可愛かった。なんといっても40人にもなったツアー客が皆仲良くなって、和気あいあいと旅が出来た。嫌なことが一つとしてなかった。お蔭で、楽しいばかりであまり疲れを感じなかった。さて今度の旅は来年の春の予定、何処に行こうかな〜 (行けると良いが) モモパパが一番印象に残ったのはベネチアだそうだ。 私が一番息をのんだのはピサだった。 |