2014/10/10(金)

 

今日は曇り。

 今日から「【ターキッシュエアラインズ利用】クロアチア・スロベニア・アルバニア・ボスニア・モンテネグロ 10日間」に出かける。クロアチア方面は利用航空会社の関係上、入った空港に戻って帰国するコースが多く、地理的に往復する無駄が多い中、このコースは成田からトルコのイスタンブールで乗り継ぎ、アルバニアのティラナに到着する。なぜみんなこのコースにしないかと思われるが、簡単にそうは出来ない理由があることをこの後知ることになる。  













 初めから乗る飛行機が分かっていて(格安ツアーは直前になるまで飛行機が分からないうえに、早朝の便が多くドキドキする。)わりかしゆっくり目に家を出た。今日は金曜日の平日で、ラッシュの時間帯の為、それと数日前にモモパパがぎっくり腰になって、治って日が浅い為に、大きいほうのスーツケースは宅配便で成田空港に送り、電車は成田エキスプレスという豪華版になった。








 今回は海外は初めての「クラブツーリズム」。一昨日電話が掛かってきた添乗員は思いの外態度が大柄(オオヘイ)で、実は体も大柄だったのだが、随分怖そうな人だなあ〜と想像してしたところ、思ったほどでもないことが分かり安心する。しかしながらこの添乗員はキャリアが豊富な為、良い面と良くない面と、後々客の中で話題になった。








 クロアチア方面は彼方此方紛争地帯が近く、縫うように飛行する為、飛行時間が予定より長くなるので、出発が15分ほど早くなった。(後から分かった。)そしてそれでも起きた遅れが、思いもよらないことになるのだった、しょっぱなから。








 ターキッシュエアラインズは「エアラインランキング2013/総合満足度ランキング4位」で、期待を膨らませ搭乗する。エコノミー席でも、スリッパや歯ブラシ、耳栓、アイマスクなどサービスも良かった。








メニューがある航空会社は初めてだった。







先ずおつまみに、飲み物の(アルコールもあり)サービスがあった。







メニューがあったにもかかわらず、格安切符には選ぶ権利がないのか? 魚は嫌だったのに。
何故かサラダが2種類。デザートのシュークリームは美味しかった。







 着いたら夜で寝なければならないので、飛行機の中では映画を2本見て起きていたら、お腹が空いた。(魚を食べなかったのがいけなかった。)サンドイッチやおにぎりをセルフサービスで頂ける、もちろん飲み物も。








いっぱいいっぱい乗ったのに、まだこんなところ。(成田〜イスタンブールは約13時間)







もう一本映画を見ながら、2度目の食事。こちらは1種類のみだが美味しかった! しばらくお米とはお別れ。






時間差7時間で夕方6時半くらいに乗り継ぎのイスタンブールに到着!

 飛行機は到着が遅れ、同じターキッシュエアラインズなのに、「間に合わない〜」と、イスタンブール空港内を全速力で走らされる。言っちゃあなんだが、客は総勢25名、皆年長者ばかりで一番若い人で40代。ついて来れなくなっては大変と、皆口々に声を掛けあい、背の高い者は手を掲げ、場所を知らせる。ああ走った走った!








 全速力で走って間に合ったが、イスタンブールからアルバニア行きの飛行機内はそれこそトルコ人らしき人ばかりで、「なんだ、こいつらのせいで出発が遅れたのか?」と白い目でじろっと睨まれた。アルバニアの首都ティラナまでは約1時間40分ではあったが一応国際線ということで、軽い食事が出たが、さっき食べたばかりの私は食欲もなく、モモパパがビールと共に頂いた模様。








 イスタンブールとティアナの時間差は1時間。日本との時間差は8時間。沢山飛行機の乗って、やっと目的地に到着。いつもながら、この長い飛行がなければ、もっと気楽にヨーロッパに来れるのに。ビジネスクラスに乗れば、ツアー代金は倍になって、2回行けるとなると、やっぱりエコノミーで良いか?という話になる。

 このツアーで3人ほどが、プレミアムエコノミーということで、ビジネスクラスほどではないが、少し広い座席で来られていた。後で聞けば12万円増しだそうで、価値があるかどうか?迷うところである。

 これも帰りに聞いた話だが、実は行にこのプレミアムエコノミーの席に空きがあって、自分たちで交換してもらった2人組が居たのだが、一人37,000円だったそうで、この差額はいったい何なのか? まあ、時間がギリギリだったから値段も安かったのかもしれない。が、このことが添乗員の知るところとなり、ターキッシュエアラインズのカウンターのお姉さんはたいそうこの添乗員に叱られていたそうで、それを見ていた2人組は、戻る時は決して座席を換えることはしなかった。私たちは行きに通路側に変更して貰ったが、叱られなかった。







午後8時くらいにアルバニアのティアナに到着! 当たり前だが真っ暗。







 色んな経緯から1980年代には、欧州一の最貧国とまで言われた国だからか?一歩街を離れると道の舗装も満足にされてなく、ボコボコ道。それを大きなバスが揺れながら着いたホテルは、まずまず綺麗な室内。







添乗員が、初めの人が沢山湯を使うとなくなってしまうといったのは、このタンクの話。












 2014/10/11(土)

 

今日は快晴。  






今日は第1日目の@アルバニアの首都「ティラナ」とAモンテネグロの「コトル」。
 








アルバニアの国旗
 


 バルカン半島の南西部に位置する共和制国家。ソ連と袂を分かつ一方で中ソ対立によりソ連と対立していた中華人民共和国に接近して各種援助を受けたものの、近隣諸国とはほぼ鎖国状態のままであり、経済状況は次第に悪化した。また1967年に中国のプロレタリア文化大革命に刺激されて「無神国家(英語版)」を宣言、一切の宗教活動を禁止した。1976年に毛沢東主席の死によって中国で文化大革命が収束し、1978年にケ小平が改革開放路線に転換すると中国を批判。当時の経済状況から決して多くなかった中国の援助もなくなり、1980年代には、欧州一の最貧国とまで揶揄されるに至った。それまで外交関係がなかった日本国との国交を1981年に樹立している。








朝食は旅行を通してホテルのアメリカンスタイルで、ホテルのクラスによってフルーツなどつく。
 








朝一番、日の出前にホテルのテラスでティラナの街を眺める。
 








ホテルの正面玄関








アルバニアで一番のティラナ大学
 








ティラナ大学から街を望む
 








お役所
 








スカンデベルグ広場にある中世の英雄スカンデルベク像
 








国立歴史博物館

さまざまな時代にわたる衣装を身にまとい、手に武器を持ったアルバニア人が描かれている。








エザム・ベイ・モスク

 19世紀に建設された、スカンデルベルク広場に面した美しいモスク(イスラム寺院)。オスマン帝国領時代にキリスト教からイスラム教への改宗が行われた。その後宗教を禁じたが、このモスクは奇跡的に残ったと言われる。日光を見て分かるようにまだ早い時間。隣に見えるのは時計台。








外壁は美しい草花のフレスコ画が描かれている。




 ティラナ土曜日の早朝ということもあってか?ほとんど人通りもなく、ひっそりとしたたたずまいの町、ここが首都なの?と疑いたくなる感じ。アルバニアに来たのだから一応観光しておくか?レベルのところだった。世界遺産もない。急いで町を出る。








一歩街を出るとこんな感じで、道路の舗装もしっかりとされていない。
 








長閑な農業地帯を行く。
 








お昼を頂くために立ち寄ったレストラン前のワンコ、この旅の初ワンコ。
 








パプリカ、ナス、ズッキーニのスープ。見た目はイマイチだが味は美味しかった。
 








生野菜のサラダ 酢とオリーブオイルと塩で自分で味をつける。
 








川魚の揚げたものを煮たの、これも食べられた。
 








デザートのリンゴのカットしたもの。
 








レストランの前に、近所のスーパーも兼ねる小さな土産物屋があった。
 








レストランのすぐそばに検問所。アルバニアとモンテネグロの国境を越える。


 いやいやこんな話は聞いてなかった。貧しい国のアルバニアからモンテネグロへの国境は検問が厳しく、日本人観光客なら、すんなり通れても、前にアルバニア人をたくさん乗せたバスが数台居ようものなら、3時間くらい待たされることがあるそうで、その間トイレも使わせてもらえない。写真を撮っているところを見つかると大変だというので、隠し撮り。(笑)

 今日は、やはりバスが1台止まっていて1時間待ち。「こっちを先にしろよ〜」って融通はつかないらしいが、順番が来た時の袖の下は効果があるらしい。添乗員が何やら袖の下をあげていた。こんな時間が読めないコースどうするの? 秋は比較的道路は空いているが、夏は大変だったらしい。このコース、夏はないなと思った。








モンテネグロの国旗


   セルビア・モンテネグロを構成する2つの共和国のうちのひとつであったが、2006年6月3日に独立を宣言した。通貨はユーロ。





A世界遺産のコトル旧市街地に到着。

 
 アドリア海沿岸の入り組んだ湾の最奥にある港町のコトルは複雑な海岸線と険しい山々に囲まれている上、背後の山に沿って城壁が築かれ、堅固な要塞都市として栄えた。旧市街は「コトルの自然と文化ー歴史地域」として、1979年世界遺産に登録された。







城壁の入り口から入る。
 








 








コトル旧市街地図
 








ピアッツァ広場の時計台








ピアッツァ広場
 








「聖トリフォン教会」

 
  コトルは土地柄、ローマ・カトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にあり、町には両方の境界が建つが、この大聖堂はローマ・カトリックに属する。建物は塔以外、1160年の創建当時の姿をとどめる。








可愛いお嬢ちゃん
 








ジェラートのお店
 








レストランの店先
 








何て素敵なお店でしょう!
 








セルビア正教会の「聖ルカ教会」
 








路地
 








 








総延長4.5kmの長さをほこる古代の城壁の登り口
 








ツアー客25名のうち登ったのは7名
 








4.5キロ登るのは無理なので、途中景色の良い所まで
 








 








絶景! 城壁から眺めるコトルの街並みとコトル港 登った甲斐があった。
 








記念写真
 








コトルの町を上から望む
 








大事な観光地だから道路を修復していた。
 








下りてきても良い景色。



コトルの観光を終え、今日の宿泊地ドブロヴニクに向かう。








湾に沿って走るとたいそう時間が掛かる為、フェリーに乗る。
 








日本にも住んだことがあるという、日本びいきのブラジル人男性に撮って貰う。




モンテネグロからクロアチアの国境はすんなり超えて宿に着いた。宿はドブロヴニク近くのお洒落なリゾートホテル。






EUに入っているクロアチアだが、通貨はクーナで、1クーナ18円強
 








ホテルの室内 夕食は美味しくないビュッフェだったので写真がない。
 








 2014/10/12(日)

 

今日も快晴。  






今日は第2日目のクロアチアはB「ドブロヴニク」。
 






クロアチアの国旗





 


昨日の夕食バイキングはイマイチだったが、そこはリゾートレストラン、雰囲気は素敵!
 




 


今日もアメリカンスタイルの朝食。食べすぎてはいけない、控えめに。ゆで卵の味はどこも同じ。
 




 


「部屋から海が見えるはず!」と、ベランダに出てみたら海が見えた。
 




 


コテージもある大きなホテル内を散策する。海水浴ができるビーチがあった。
 




 


「HOTEL ASTAREA」 綺麗なホテルだった。
 




 


バス人りこむ前にミーちゃんに遭遇。餌を貰っている。
 




 


海沿いを走らせるとドブロヴニクが見えてきた。天気も最高!
 




 


先ずはロープウェイでスルジ山に登る。
 


 ベテランの添乗員は、今までの経験から行動に無駄がない。このドブロヴニクを一望できる標高412mのスジル山へのロープウェイも、後れを取ると、沢山並んでなかなか上がれないということで、開始前に並び、グループでは一番乗り! この後、すべからくこんな調子。


 


このあたりの山は石灰岩でできているので、木が育ちにくい。
 




 


おお、見えてきた、見えてきた! 
 




 


テレビでもよく見ていた「ドブロヴニク旧市街」が一望! ベテラン添乗員は写真も上手。





 


アップ!


 ドブロヴニクは15〜16世紀に海運都市として発展、自治を許された小さな共和国だった。紺碧のアドリア海と、街を守るために建設された全長約2キロの城壁の白、富が築き上げた建物群の赤い屋根が鮮やかなコントラストを見せ、「アドリア海の真珠」と呼ばれている。




 
 


ナポレオンが贈ったという白い十字架。(建てなおされたもの)
 




 


 このロープウェイは、1991年のクロアチア独立戦争の際に旧ユーゴスラビア連邦軍によって破壊されるも、2010年に再開された。つい最近の話。ロープウェイがない時は、徒歩やバスで登っていたのだそうだ。その当時の写真。  







さていよいよドブロヴニク旧市街地へ!





 


ロープウェイ乗り場から歩いて(43)北のプジャ門から入る。
 




 


下るように狭い路地を歩く。
 




 


おっ、ここにもワンコが! クランバー・スパニエルか?イングリッシュ・セッターか?
 




 


先ず集合したのが1438年に造られた(4)「オノフリオの大噴水」

天然の湧水を味わうことが出来るそうだが飲まなかった。
 




 


(6)「プラツァ通り」を東に見る。


 旧市街の(2)ピレ門から中心部の(7)ルジャ広場まで続く200m余の目抜き通り。銀行、お土産物屋カフェなどが並ぶ。




 


西に見る。10月に入って人通りは少ないという。
 




 


(37)「セルビア正教会」
 




 


(13)「総督邸」


 総督邸はかつてラグーサ共和国の総督の住居であると同時に行政をつかさどる機関が集まったドブロヴニクの心臓部であったが、今は文化歴史博物館として使われている。1667年の大地震により被害を受け、その後修復された。(大地震で残ったのは(8)スポンザ宮殿のみ)




 


オウ! 可愛いお嬢ちゃん!
 




 


(15)「大聖堂」 1192年の建てられたものだが、17世紀にバロック様式で再建された。中は撮影禁止。




 


ギリシャの医学の神「アスクレピオス」が掘られた柱頭
 




 


(11)「聖ヴラボ教会」とルジャ広場

聖ヴラボはドブロヴニクの守護聖人。18世紀に建てられたバロック様式。







祭壇 







 




 


「レポグラヴァ・パグ島・フヴァル島のレース」

 伝統工芸品のレースは針を使って編むのが特徴で、ユネスコの無形文化遺産に登録されているだけあって、大変高価なもの。 本物は全然手が届かない。  




 


ドブロヴニク旧市街地も旧ユーゴスラビア連邦軍によって攻撃され、その犠牲者を悼む部屋。


 この添乗員はクロアチア近辺に対する思いが深いのか、このような人が訪れない(私たち以外誰もいない)ところも案内される。キレイキレイで終わらせず、訪れる国の内情まで深く説明してくれるので、大変勉強になった。 




 


 




 


(42)の城壁の遊歩道入り口から入る。
 




 


まあそれにしても良い天気! 先週はずっと雨が続いて寒かったというが、暑くて上着も必要ない。
 




 


(31)要塞ミンチェタから見た街並み。向こうに見えるのはロクルム島。
 




 


(31)ミンチェタ要塞
 




 


全部歩けばいいのだが時間も限られるので、全行程の半分(3)で降りる。
 




 


日陰の路地は意外に涼しい。
 




 


(7)ルジャ広場 


 10日間の旅は意外にゆっくりで、今日はドブロヴニク旧市街地観光だけ。午前中それほど広くないところを行ったり来たり。10月で異例のこの暑さだが、7、8月の暑さはいかばかりだろう? 添乗員の話によると、日陰を探してさまよい歩くのだそうだ。ドブロヴニクがツアーの最終日のコースでは、疲れ果てた観光客から、「歩きたくないからどこかに移動してくれ。」という声を聴くこともあったそうな。ゆっくりカフェにでも入ればいいのだが、言葉の通じない私たちは難しい。これなら遊歩道を全部回ればよかった。




 


(14)旧港近くのお店でランチ 店内が暗くて写真がボケる。
 




 


リゾットが美味しかった。
 




 


店構え


 客が飲み物の清算をするが、店員が「おつりがないからみんなでそろえて出せ。」とビックリするようなことを言った。この辺りでは細かいおつりはチップにする習慣だそうだが、私たちは知らなかったし、おかしな話。観光客が押し寄せるドブロヴニクならではの強気な姿勢が感じられる。




 


 さあここからがベテラン添乗員の腕の見せ所! 時間つぶしに午後からボートを1隻チャーターして、旧港からロクルム島あたりまで船観光! 自由参加だったが25名皆が参加した。値段はそんなに高くなかったと思う。1人3,000円位だったかな?




 


レモンビールなどのサービス付
 




 


ボートから旧市街の城壁を望む。
 




 


約700m沖合にあるロクルム島


 ロクルム島は無人島ながら、3つの美しいビーチを持つリゾートアイランド。夏の間だけボートの定期便がある。ヌーディストもいるらしい。




 


洞窟があった
 




 


小一時間ぐらい乗っただろうか? 船酔いすることもなく戻ってきた。
 




 


こんな感じのボート
 




 


バスの集合まで時間があったので散策する。ローマのスペイン坂のよう。ドブロヴニクは坂の町。
 




 


階段の上の(44)聖イグナチオ教会
 




 


 石造りの祭壇が見事な聖イグナチオ教会は、1699〜1725年にローマの聖イグナチオ教会をモデルに。バロック様式で建てられた。天井にはシチリア出身の画家、ガエタナ・ガルシアフレスコ画一面に描かれている。とっても美しい!




 


 




 


色彩が鮮やか!
 




 


可愛すぎる天使。
 




 


スペイン坂(当地ではこう呼ぶらしい)から見下ろす。正面にロープウェイの展望台が見える。
 




 


(39)レヴェリン要塞の砲台
 




 


砲台からの眺め、旧港が良く見える。
 




 


(40)東のプロチェ門
 




 


で、集合時間(4時だったかな?)が近くなり、反対にある(2)西のピレ門に急ぐ。
 




 


ピレ門を出て、(30)ボカール要塞を眺める。


次の町、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都C「モスタル」へ移動  



 ボスニア・ヘルツェゴビナは他国より消費税が安いからここで買い物しなさいと言われた店でお土産をたくさん買う人がいた。(我が家も買った) がしかし考えてみれば、ホテルの近所のスーパーで買った方が絶対安いわけで、スーパーがあるかどうか? スーパーにお土産物が売っているかどうか? ちょっとした賭けなので、絶対買っておかねばならないものは買っておかねばならない。




 


 ホテルは格調高く素敵だったが、添乗員が危惧したように、トイレの水が止まらず、流れっぱなしで直してもらう。「ノープロブレム!」と言われたが、怖くて朝まで水は流さなかった。  




 


ハムとチーズの前菜
 




 


生キャベツのサラダ
 




 


骨付き牛肉だったが、口に合わなかった。
 




 


それは甘いデザート




ここで寝ると思いきや  



 


まだ就寝時間には早いので、希望者と町を散策する。
 




 


ライトアップされたモスク
 




 


明日行く、ライトアップされた世界遺産の「スタリ・モスト」(石橋)
 




 


あったあった、スーパーがあった! 
しかしボスニアの貨幣はもっていない! 値段は安かったので、カードで買う人もいた。
 







 2014/10/13(月)

 

今日も快晴。  






今日は第3日目 ボスニア・ヘルツェゴビナのC「モスタル」。
 





ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗



 イタリアと共通する要素が強いアドリア海岸に比べ、長い間オスマントルコの支配下にあったボスニア・ヘルツェゴビナは、トルコの文化的影響が色濃く残っている。地理的に近い分だけ、お隣のクロアチアとの文化的違いが際立つ。

 ボスニア・ヘルツェゴビナ、首都はサラエヴォ。ユーゴスラビアからの独立時、独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った悲しい過去がある。  




 


朝食は、アメリカンで美味しく頂く。チーズが美味しい!
 




 


ホテルの前の商店
 




 


部屋の窓から見える道を挟んだ家は
 




 


ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の銃弾跡がまだ残っている。
 




 


中はクラッシックだったが、割と近代的で綺麗なホテル。
 




 


ホテルは観光地のすぐそばで、歩いて行く。
 




 


ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の残骸
 


 街のあちこちに紛争の残骸が残されている。持ち主が他の地に避難して戻ってこない場合もあるそうだ。持ち主の許可がないと触れないのでそのままになっているらしい。帰って来たくても、他の人が勝手に住んでいて取り返せない場合もあると添乗員が話していた。




 


トルコ風の食べ物
 




 


トルココーヒーを飲む人
 




 


 




 


世界遺産 「スタリ・モスト」



 1556年、オスマ支配下の時代に建てられた橋。ボスニア語で「橋の守り人」の意味を持つモスタルを象徴す売る建築物。橋台を用いず両岸からアーチ状に掛かる橋は造形的な美しさで、当時の建築技術の高さがうかがえる。    




 


旧市街地は土産物屋が軒を連ね、伝統的工芸細工などを販売している。
 




 


 




 


東側より橋を渡る。(橋の西側の風景)
 




 


橋の上から北の方を望む。イスラム寺院の塔の上から、この後、橋を撮影する。
 




 


振り向いて写す。(橋の東側の風景)
 




 


 モスタルは東西に分断され、西側はクロアチア勢力が、東側はボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の軍が集まりそれぞれ支配することになった。1993年11月9日には両勢力の対峙により、クロアチア勢力側によりスタリ・モストは破壊されている。 が後に修復され世界遺産に登録された。




 


生まれて間もない可愛い子猫!
 




 


お洒落なカフェ・レストラン
 




 


小さな橋もあった。
 




 


「トルコ人の家」



   




 


ネレトヴァ川沿いに建つ、17世紀建てられたオスマントルコ時代の伝統家屋。
 




 


 




 


屋内には、当時使われていた生活家具がそのまま展示されている。
 




 


2階にある応接間は川に張り出すように設計されている。
 




 


急な階段を下りる。
 




 


中庭
 




 


「コスキ・メフィット・パナシ・ジャミーヤ」 1618年に建てられたイスラム寺院。
 




 


寺院入口
 




 


「スタリ・モスト」の川沿い北側にある塔の上に上がると景色が素晴らしいというので登ってみる。
 




 
 


寺院内は意外に質素。
 




 


おお絶景! 登ったのは私だけ。
 




 


パノラマで撮って見る。
 




 


 




 


 




 


庭は「スタリ・モスト」の撮影のベストポイントになっているが、最近はお金を取るらしい。
 




 


昼食はモスタルの市街地で
 




 


前菜も美味しかった。
 




 


他の日本人はソーセージに、ジャガイモの付け合せに普通のパンだったが、
 




 


ベテラン添乗員の采配で、私達はソーセージをパンで挟んで頂く郷土料理(名前は忘れた)になった。
この赤いケチャップみたいなソースが美味しい!
 




 


まだ日も高いが、次の町Dトロギールに着いた。
 




 


ここに2連泊


  このホテルはトロギール旧市街地からちょっと離れたチオヴォ島にある。
海水浴客の為のホテルで安価な感じ。




 


しかしながら、景色は最高!
 




 


日没
 




 


対岸がDトロギールにつながる海岸線
 




 


水上飛行機が飛んでいた。
 




 


セレブな客が乗っているのかな?
 




 


夕食は生野菜と
 




 


 







 2014/10/14(火)

 

今日も快晴。  






今日は第4日目 D「トロギール」とE「スプリット」。
   




 


今日もトロギール2連泊。クロアチアのあちこちにあるスーパー。
 




 


海岸のすぐそばにあるホテル。
 




 


いかにも海水浴場向けのホテルという玄関。
 




 


ここにも可愛い子猫が居た。
 




 


先ずはトロギールの市場を見物する。
 




 


クロアチアの人はお花が好きだそうで、プレゼント用の花がたくさん売られている。
 




 


魚市場
 


 トロギールは紀元前3世紀に出来たギリシャ人植民都市が町の始まり。11世紀には司教区が出来、ハンガリー王の支配下にはいるが、自治権を持つ都市として繁栄した。その後は1420年から1797年までヴェネツィア、19世紀にはハプスブルク家に支配された。

 それほど大きくないトロギールの中心部は城壁で囲まれた小さな島で、城、塔、住居、宮殿など、ロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロックといったさまざまな時代の建物が保存されている。中でも聖ロヴロ聖堂はクロアチアを代表する教会で、1997年には世界遺産に登録された。




 


島というが、後から運河を作って島にしたと、添乗員が言っていたような気がするが、どうだっただろう?
 




 


北門を入る。
 




 


小さな島なので、入ったらすぐ聖ロヴロ聖堂。
 




 


時計塔
 




 


市庁舎のなかに入って行くと
 




 


こんな感じだった。
 




 


時計塔の脇にはステージのようなところがあって
 




 


美しい彫刻が施されている。
 




 


ここで、男声合唱のクラバ(アカペラのコーラス)のパフォーマンスが行われ、CDを売っていた。
素晴らしい歌声に聞きほれたが、何人かCDを買ってくださって安心する。
 




 


南門から城壁の外に出る。いやいや、良い天気になった。
 




 


遠く先に見えるのはカメルレンゴの砦
 




 
 


聖ニコラ修道院
 




 


聖ロヴロ聖堂を脇から見る。
 


 聖ロヴロ聖堂建設開始は13世紀初頭だが、完成したのは17世紀になってのこと。その為教会内は様々な建築様式が組み合わされている。鐘楼の窓を見ると階層ごとに異なる様式になっている。




 


聖ロヴロ聖堂の鐘楼の上に登ると、町が一望できる。
 




 


高い所がお好きでないモモパパは下から撮影。
 




 
 


内部
 




 


 




 


 




 


入り口は見事な彫刻で飾られている。
 




 


 




 


この辺りの名産はイチジクで、イチジク好きの私は干しイチジクを頂いた。
 




 


昼食のレストラン
 




 


生野菜のサラダ
 




 


イカの揚げたものに美味しい味付けがされていた。
 




 


午後からはEスプリットの見物をする。
 


 アドリア海沿岸最大の街、クロアチアの第二の都市スプリットは、293年にディオクレティアヌス帝が神殿を建てたところの近くにあった主要都市サロナが、ローマ帝国が滅亡したことによる異民族の侵入によって放棄され、市民が宮殿の周囲に移住してきたのが町の始まり。

 人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築する形で街を築いて行ったため、古代と中世の建物が複雑に絡み合うような独自の街並みが生まれることになった。その後、12〜14世紀には自治都市として繁栄し、その後ヴェネツィアの支配下に入った。




 
 


古代のディオクレティアヌス宮殿
 




 


海側「青銅の門」からディオクレティアヌス宮殿に入る。
 




 


宮殿の地下入り口にはお土産物屋が軒を並べる。
 


 ディオクレティアヌス宮殿に南半分は皇帝の私邸として使われたが、その地下には巨大な空間が広がっている。宮殿の上部を支えるため、地下と上部は同じ造りになっている。地下を見れば当時の宮殿の形が分かる。




 


中世に住んだ人たちは、この地下をゴミ捨て場にしていたようだ。
 




 


その他、倉庫としてや、ワインやオリーブオイル造りにも用いられた。



上に上がってくる
 




 


床に細工が施されている。
 




 


「八角形の大聖堂と鐘楼」を望む。
 




 


ディオクレティアヌス宮殿の上部には中世に造られた住居がのっかている。何と不思議な感じ。
 




 


「前庭」
 


 青銅の門から北に向かうと、まず地下を通り、その後円形の形をした広間に抜ける。この広間が前庭で、皇帝の私邸の玄関の役割をしていた場所。現在は天井に穴が開いている。壁のくぼみには彫刻が置かれていた。




 


ここでもアカペラのコーラスが行われCDを売っていた。
 




 


「大聖堂の鐘楼」
 




 


大聖堂はもともとはディオクレティアヌスの霊廟として建てられたが、
後にキリスト教の教会として利用されるようになった。
 




 


旧市街地の中心部ペリスティル広場、個々の北が兵舎、南が私邸となっている。
 




 


西の「鉄の門」から出るとナロドニィ広場が広がる。
 




 


可愛いワンコが放し飼い。看板犬!
 




 


親指に触れると幸運が訪れる「グルグール・ニンスキの象」は修理中。
 




 


城壁の外に出て
 




 


スプリットが一望できる丘に登る。

 添乗員が説明したのに、自分は行ったこともないし、今まで客は誰も行ったことがないという。私が是非行きたいと言ったら、入り口まで案内してくれた、案外良い人。仲間も増えた。




 


登ってみたらこんな絶景! 何故みんな行かなかったのか? 時間が少なかったのか?
 




 


同行の74歳の淑女が、ベンチに登って撮影してくれた。
 




 


 




 


下ってきて、南側の船着き場を散策。
 




 


おお、またまたワンコが自由にお散歩中。
 




 


疲れた疲れた、旧市街地に戻ってきてアイスクリームでも食べようという話になった。
 




 

中心部ペリスティル広場まで戻ってきて
カフェではアイスだけでは椅子に座れないというので、アイスの食べられるこの席で頂く。
店員と話が通じず、アイスが2個ほど多く持ってこられ、皆でシェアーして頂いた。良い思い出。
 




 


まだ時間があったので八角形の聖堂に入ってみると、中は思いの外質素だった。
 




 


新しい街並みも散策する。建物の壁にはお洒落な地図があった。
 




 


「映してよ〜」とゼスチャーするのでパチリ! 中には「はにかみ屋さん」も、可愛いね〜
注目すべきは、日本と同じで、若い子は皆パツパツのパンツをはいている。世界的流行らしい。
 




 


シェパードも散歩中。(ワンコの写真が多いね)
 




 


南の青銅の門に戻って来る。
 




 


皆さんとの集合地に戻ったら、時間前だったのに、私たち待ちだった。
 




 


夕食は生野菜のサラダと
 




 


ちょっと甘めの牛肉
 




 


アイスクリームのデザートがついた。
 




 


お洒落なレストランだった。
 







 2014/10/15(水)

 

今日は曇り後雨。  






今日は第5日目 FシベニクとGザダール。





 
 


トロギールの2日目の朝食。
 


 2連泊したこのホテルは、今思えば最低のホテルだった。格安ツアーだから中日の記憶に残りにくい4、5日目に安いホテルを使うのだろうが、枕銭もそのままだったので、シーツも取り替えてないし、タオルもそのままだったようだし。水の水洗が止められ、出てきたのが熱湯だったので、「嫌がらせ?」かと疑ったぐらいだった。まあこんなところもあるだろう。




 


さてバスは一路北西方面に走る。次の町まではそんなに遠くなく、バスで1時間半のシベニクだが、
 




 


途中バスから降りて、こんな綺麗な風景のところで記念撮影をする。
 




 


「シベニク」


 クルカ川の河口に開けた漁港。要塞のある小さな漁村だったが、クロアチア王クレシミル4世により、シベニクと名付けられて以降、アドリア海の貿易港として発展していった。12世紀にはヴェネツィアやハンガリー領になったが、一時的には独立も回復した。

 




 


世界遺産 「聖ヤコブ大聖堂」


 建築には1431年から1535年と100年以上かかっており、途中何度も建築責任者が変わっている。その為、当初はゴシック様式で建築が進められたが、途中からルネッサンスの様式にされ、屋根の部分はルネッサンスの半円形になっている。  




 


 




 


入り口の美しい彫刻
 




 


大聖堂の前には名前を忘れたが人物の彫刻があった。
 




 


大聖堂は石材だけを用いて建てられいる。
 




 


 




 


 




 


 




 


 




 


教会の南東部の階段を下りたところに洗礼室。
天井部には天使の像や模様が精巧に掘られ美しい。
 




 


洗礼台も見事。
 




 


 




 


教会の東側には71人もの人間の頭部の彫刻が施されている。
 




 


建築当時のシベニクの市民の有力者をモデルにしている言われている。
 




 


大聖堂と向かい合って建っているのが「市庁舎」
 




 


 




 


大聖堂のドームをアップ!(新しいカメラはズームが綺麗)
 




 


「聖イヴァン教会」
 




 


細い路地が、中世の街並みを色濃く残す。
 




 


ここで添乗員お勧めのお店で、タピオカのジェラートを頂く、美味しい!
「GROM」、戻って調べたらイタリアにもある名店だった。「グロム」は日本にもある。
 




 


 




 


シベニクの地図

 シベニクの役所は、企業のお金を用いて高速道路をひいて観光を盛んにしようと考えているが、市民は暮らしが変わってしまうと反対しているのだそうだ。だから観光客は少ない、というか日本人は私たちだけだった。豊かになればいいという考えでない所が興味深い。午前中シベニクを見物し、バスで1時間半、次の街ザダールへ。




 
 


ザダールは「ノヴァ門」から入る。





 


   紀元前9世紀にはイリュリア人の街で、ローマ時代にはアドリア海沿岸の中心都市と栄えた。その後、いろんな国が争って領置したが、第2次世界大戦で連合軍の爆撃を受け。市街地の半分は焦土と化した。よって近代化された街並みになっている。  




 


昼食は、ツナとパンのサラダ
 




 


なんと! メインはアンコウだって!
 




 


「聖ドナト教会」 9世紀に建てられたプレ・ロマネスク様式の円形教会で、ザダールのシンボル。
 


 


「聖ストシャ大聖堂」 12世紀に建てられたダルマチア地方最大の大聖堂。
 




 


 




 


内部
 




 


「恥の柱」 犯罪者がこの上に縛られた。
 




 


向こうに見いえるのが「聖マリア教会・修道院」
 




 


旧市街地北西部
 




 


期待しなかったが、おもしろかったのが、「シーオルガン」で風が吹き込み
 




 


地面に埋められた装置が反応してメロディーを奏でる。
 




 


人懐こすぎた、変わった柄のボーダーホリー
 




 


ソーラーで出来た、光の装置。
 




 


これは何だ?
 




 


聖ドナト教会は9世紀に建てられたが、古代の神殿から石材を転用して造られている部分がある。。
 




 


添乗員はこの街にはトイレはないというのでお勧めのカフェでお茶して借りる。
トイレだけでもお金を払えば借りられた。 が、実際には彼方此方あった。では添乗員は何故嘘をついたか? 
謎だが、トイレの番の人の質が悪かったのかもしれない。トイレはどこでもお金が必要で60円位。
 




 


入った時と同じ門からザダール旧市街地を後にする。  




 明日見物するプリトヴィッツェ近くまでバスで約3時間走る。





 


添乗員によると、昔は10月は空いていたプリトヴィッツェだが、アジアからの客でプリトヴィツェ近くのホテルが満員で
少し離れているが、素敵なホテル「ホテル ミルニ クータク」に宿泊。
 




 


美しい室内
 




 


 




 


食事も何やら本格的な感じ。
 




 


野菜のスープ
 




 


生野菜のサラダ
 




 


マッシュポテト添えの豚肉だったと思う。
 




 


フワフワで美味しいドーナツ
 




 


恐らく結婚式の披露宴なども行われていると思われる。
 


 明日はプリトヴィッツエ湖群国立公園で一日歩きだというのに何やら雨が降ってきて、明日も雨かも知れないという。「晴れ女」の私としては最大の力を発揮せねばならない。雨だけは絶対に避けたい。







 2014/10/16(木)

 

今日は晴。  






今日は第6日目 Eプリトヴィツェ湖群国立公園を見物。
   




 


 昨晩、滝のような雨で、今日のプリトヴィッツェ湖群国立公園の見物は絶望視されていたが、起きてみたら月が見えた。(真っ暗、なんて早い出発なんだろう!)




 


ホテルのバルコニーから見える景色は牧歌的。
 




 


早朝未だお日様も登らぬうちにホテルを出発!
 




 


お日様が昇ってきた。
 




 


他の観光客がまだ見当たらない。一番乗りだ!
 




 


 プリトヴィッツェ湖群国立公園は16個の湖があるクロアチアを代表する景勝地。総面積が200平方qの国立公園。深い森に映えるエメラルドグリーンの湖と、湖と湖を結ぶ滝が最大の見どころ。標高が最も高い地点で1280m、最低で380mの高低差がある為、ヨーロッパでは珍しいダイナミックな瀑布で知られる。

 1951年には国立公園に指定され、1979年に世界遺産に登録されたが、90年代に起きたユーゴの内戦の影響で危機遺産(危機にさらされている世界遺産)リストに載せられたが、現在は解除され、ネイチャーウォッチングやトレッキングを楽しむ客でにぎわう。公園内はハイキングコースが完備され、エコロジーバスが公園内を巡回している。




 


同じようなところをグルグルしたので、何処を歩いたのかよく分かってない。
 




 


恐らくこのコースをたどり、ST3から最後はP2まで歩き、P1まで遊覧船に乗った模様。
 




 


公園内に入ってすぐ見える「プリトビッツェ滝」は見事! 一同「お〜」っと驚く。
 




 


若い女性のガイドさん(日本語が達者)を先頭に進む。水しぶきが当たると言われ、皆カッパを着る。
 




 


小さな滝も美しい。
 




 


エメラルドグリーン
 




 


ほらね、まだ誰も歩いてないので、良い感じ!
 




 


きれいな水に小さな魚が泳いでいる。
 




 


昨日の大雨で凄い水流!
 




 


今はここら辺。
 




 


歩道を覆う水流で、靴の中まで濡れる。この旅はこの靴しか持って来てない。あら〜
 




 


一番のハイライト 「プリトビッツェ滝」の麓までたどり着く。見事!
 




 


凄い水量!
 




 


整備された歩道を歩くのが楽しい。
 




 


 




 


鴨の夫婦
 




 


「ミルカ・トルニナ滝」
 


 クロアチア出身のソプラノ歌手、ミルカトルニナの愛した滝。 ミラノヴァツ湖からカヴァノヴァツ湖へ、階段のように段々と流れ落ちる様子が美しい。 付近にはミルカトルニナの記念碑がある。



 
 


ここも見どころの滝。
 




 


 




 


「ミルカトルニナの記念碑」
 




 


ここまで来た。
 




 


 




 


 




 


 




 


P3のジャック湖遊覧船船着き場に到着。
 




 


遊覧船に乗る。
 




 


紅葉の時期だというが、日本に様に綺麗な赤や秋色には色づかない。
 




 


ジャック湖はかなり大きな湖で30分の乗船となる。
 




 


小さな滝が湖にも流れ落ちる。
 




 


さあ、上湖群を歩くぞ!
 




 


 




 


上湖群は坂がさらに急になる。
 




 


 




 


と、ここまで登ってきた。
 




 


おお、見事!
 




 


 




 


どうやら反対側に回ったらしい。立札を写しておかないと、今自分が何処にいるか? 把握しにくい。
 




 


おお、ネイチャーウォッチング!
 




 


プリトヴィッツェ湖群国立公園のおよそ半分のところまで来て下って行く。
 




 


滝とはここでお別れ
 




 


P2地点から遊覧船に乗り、P1地点に戻る。
 




 


入り口2に向かう。
 


 ここでまた興味深い話がある。見ても分かる通り太めの添乗員は食いしん坊。午前中にプリトヴィッツェの見物は終え、昼食になるのだが、ツアー上では自由で、食事がついてない。ここで昼食と言われても、値段はそこそこするが不味いバイキングか、サンドイッチなどの軽食しかないという。では皆さんで美味しい昼食を食べませんか? ということで飲み物まで付いて1人20ユーロのランチの案が提示された。

 ほぼほぼこの辺りで添乗員を信用していた私たち夫婦は、「20ユーロか〜 ちょっと高いな〜」と思いながら期待は裏切らないだろうと話しに乗った。前日にサンドイッチを買って準備している人もいたが、話に乗らないご夫婦は2組。どうやらお金の問題ではないらしい。(なぜならお金持ちそうだから) 添乗員の上手い話に乗ってなるものか! バックマージンでも取っているのではないか? と疑っているのかもしれない。

 25名中19名が、添乗員の勧める美味しいカツレツを頂きに一寸離れたレストランまで行った。もちろん6名はあとで迎えに行く。




 


着いたレストランは、な〜んだ、ツアー御用達の店か〜とちょっとガッカリしたが
 




 


サラダもスープもついて
 




 


本当に手間のかかった美味しいカツレツで、満足!(一般のツアー客の物とは異なっていた)
 




 


美味しいアップルパイ
来てよかった。こんなところでケチっても仕方がない。旅で一番美味しかった。
 




 


実はレストランで羊の丸焼きを焼いていた。(可愛そうなので載せてない)この羊ちゃん達なのね〜
 




 


ツアーバス
 




 


ここで添乗員の熱心さがうかがえる。資料を回してユーゴ内戦を説明する。(旅の間中何度も何度も)
 




 


昔は無料だったという「ラストケ村」をちょっと止まってバスの中から見る。
 

 ラストケ村とは. プリトヴィツェ国立湖群公園から約30キロ北部に位置するスルニという自治体に属し、スルンチツァ川とコラナ川の合流点にあるとても珍しい地形の村。文化遺産指定。




 


次の宿、スロベニアのリュブリアーナの途中に、内戦博物館なるものが建設中で見物する。
 




 


 




 


 




 


牧歌的な景色
 




 


今夜の宿「AUSTRIA TREND HOTEL LJUBLJANA」 スーペリアクラスで一番豪華!
 




 


さすがスーペリアクラス
 




 


しかし洗面台の配水が閉まっていて、開きからが分からず、教えて貰う。
 




 


室内から見える景色
 




 


夕食はホテルで
 




 


 




 


 




 


 







 2014/10/17(金)

 

今日は曇り後晴。  






今日は第7日目Jブレッド湖とKポストイナ鍾乳洞を見物。
 




 



スロベニアの国旗
 




 
 


アメリカンスタイルのバイキングの朝食。
 




 アルプス山系東端に位置するブレッド湖は宝石のように美しいと形容される。スロベニア屈指の保養地。昔ユーゴスラビアの大統領チトーも愛していたという。湖には小島があって、可愛い教会が建っている。10メートルの断崖の上に立っているブレッド城も観光名所である。
 


 小舟に乗って小島を目指す。
 




 


小舟は不安定で、左右バランスよく、乗り降りは船頭の指示を仰いで。
 




 


ブレット城は徒歩か馬車で行けるそうだが、今回は行かない。
 




 


憧れの島が近づくわ〜
 




 


個人で行くと12ユーロ掛かるらしい。
 




 


旅行の前にNHKのBS「世界で一番美しい時」で放送していて、この旅で一番期待していた。
 




 


 ブレッド湖のシンボルとも言える小島に教会が出来たのは8〜9世紀。17世紀に現在の白い塔も持つバロック式の教会に改築された。




 


教会内の祭壇には聖マリア像が、両脇には11世紀の領主ヘンリック2世とその妻グニグンダの肖像が飾られている。
 




 


鐘につながる紐が下がっていて、この鐘を鳴らすと願いがかなうと言われている。教会内では聞こえないが。
 




 


祭壇の反対側には可愛いパイプオルガンがある。
 




 


 




 


鐘楼は1534年に建てられた。夫を亡くした女性が、彼の蘇生を願って鐘を湖に投げたという。
 




 


しかし願いはかなわず、彼女はその後尼僧になって修道院で一生を終える。
 




 


時のローマ法王は、人々の願いを永遠に響かせるため、教会に鐘を寄贈したと言われる。
 




 


 




 


小島を後にする。
 




 


絵になる
 




 


美しい!
 




 


天気が良ければ、まるでポスターのようだ。
 




 


 




 


2時間バスに乗って100q
 




 


ポストイナ鍾乳洞に着いた。
 




 


右側にあるのが昼食のレストラン。
 




 


 




 


旅を通して食事があまり美味しくないので、小食。
 




 


 スロベニアは石灰岩の台地が広がっており、この石灰岩をビフカ川の流れが10万年かけて浸食したことによって形成された。全長27kmにも及ぶ鍾乳洞は、ヨーロッパで最大、世界でも第3位のスケール。鍾乳洞内の気温は季節に関わらず約8度地一定で寒い。




 


ここが入り口
 




 


ガイドさんがつく
 




 


黄色いトロッコに乗って2km走る。寒い寒い!
 




 


下車後1.7キロを90分かけてハイライト部分を見物する。
 




 


鍾乳石は洞窟の高さや広さによって色を見妙に変化させる。
 




 


 




 


 




 


 




 


明るく撮れているが、実際は暗い。
 




 


ビュ〜ンとトロッコに乗って戻ってくる。
 




 


鍾乳洞内には地下水が流れる。
 




 


出発の駅とと着の駅は異なる。
 




 


外に出てみると、90分の間に雨が降っていた模様。7日間雨に降られることなく観光できた。
 




 


今日の宿ザグレブに向かう。
 




 


ザグレブの中心地、何の建物かは分からない。
 




 


本来このツアーにはザグレブの観光はなかったが、時間が出来たので聖母被昇天大聖堂を観光できた。
 




 


ザグレブの中心地 「イェラチッチ広場」
 




 


クロアチア独立運動家イェラチッチの像が建っている。
 




 


夕日に映える「聖母被昇天大聖堂」 内部はミサ中で撮影禁止。


 13〜18世紀にかけた建てられたネオゴシック様式の大聖堂。 100mを超える二つの尖塔は、市内のいたる所から見えるザグレブのシンボル。 内部にはオスマン王朝と戦ったクロアチアの勇者の墓石が安置されている。現在の外観は1880年の地震の後に修復されたもの。  




 


聖母被昇天大聖堂前の広場
 




 


 




 


 




 


聖母被昇天大聖堂の美しい入り口の彫刻。
 




 


 




 


ここのトイレは自分で便座を洗って綺麗にするのに驚いた! ウィ〜ンと回る。
 




 


さすがクロアチアの首都、歴史を感じさせる街並み。
 







 2014/10/18(土)

 

今日は晴。

   今日で「【ターキッシュエアラインズ利用】クロアチア・スロベニア・アルバニア・ボスニア・モンテネグロ 10日間」の旅も終わり。ザグレブを後にし、トルコのイスタンブールで乗り換え、日本に戻る。




 


ザグレブでのホテルは「HOTEL PANORAMA」
 




 


ホテルの窓からの景色。
 


 スロベニアとクロアチアはたいして違いがないだろうと思っていたが、行ってみたら大違い! スロベニアは、14世紀以降、後の神聖ローマ帝国(現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家)に編入されたため、同様に神聖ローマ帝国領となった現在のチェコともども西方文化とカトリック教会の影響を強く受け、他の南スラヴ人地域とは文化が異なる。だから洗練されお洒落な感じがするのだ。(街並みも)お隣なのに興味深い。同じスーペリアクラスのホテルなのに、垢抜け方や、設備も違う。スロベニアの方が豊かなのだろう。




 


11時の飛行機でなのでわりとゆっくり。
 




 


デューティーフリーで、残ったクーナを使ってしまわねば! ユーロはまた使うチャンスもあるだろう。


 と、ここで大変驚いたことがあった。デューティーフリーのレジでお金をごまかされた気がするのだ。大金じゃない。クーナを使い切ってしまおうと考えて使ったが、カードで1,000円分くらい払ったことになった(足りないのはカードで支払ったから)恐らく200円か300円ごまかされた感じ。はっきりしてないから合っているのかもしれないが。

 こういう話は他にもあって、やはりカード払いで、カードの支払の紙は貰ったが、レシートを貰わなかった人がいた。これでは何を買っていくらだったか分からない。極めつけはクロアチアで有名なネクタイショップの店員が、一度支払いをした後、お金が足りなかったと言って追いかけてきて、3,000円以上追加で支払わされたという話。バーコードでレジに打ち込むのに。こんなことが起こるだろうか? 一人は少しずつ、気が付かない程度にごまかし、自分のポケットに入れているのではないかと疑われても仕方がない。 

 こんな話があるだろうか?と、私たちの話を添乗員にしたところ、なんと!この添乗員はレジ係の女性に文句を言いに行ってくれた。ごまかされた金額はおよそ250円位だったことも分かり、「直ぐ言わず時間も経っていることだし、良い勉強になったからもう良いです。」と話を収めて貰った。お金は戻ってこなかった。最後の最後でクロアチアのイメージがイマイチになったのが残念だ。




 


イスタンブールに向かう飛行機に乗る。
 




 


 




 


約2時間の搭乗時間だが、軽食も出る。
 




 


イスタンブール空港
 




 


イスタンブールの空港内のショップ
 




 


成田までは約11時間15分の搭乗時間。2回機内食が出るが、寝ていて1回しか頂かなかった。



 隣の席はフランスの女子高校の美人修学旅行生で、フランスから日本に修学旅行なんて、こんな時代になったんだなあ〜と驚いた。「これと同じ服ありますか?」など、ショッピングに必要な文が掛かれた紙を見せて貰った。 







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 2014/10/19(日)

 

今日は晴。

 朝10時半ぐらいに成田に帰国する。疲れたのでナナのお迎えは明日。


 


10日の旅はたいそう疲れたので、帰りも成田エキスプレスで帰った。


 【旅のまとめ】

@ 私は晴れ女なのか?今回の旅も天候に恵まれ、ここぞという場所で雨に会うことがなかった。しかもこの時期には考えられない程の暖かさで、いや暑いくらいで、助かった。もっとも持って行った服の着回しに苦労した。

A クロアチアは夏は押すな押すなの混雑で、国境を越えるのにも時間が掛かり、気候も暑い。行くならこの季節、秋が良かった。

B 今までは8日間の旅で、今回は10日だったが、たった2日ながいだけで疲れを感じた。いっぺんに回らず、一度の旅は8日位が丁度良いかとモモパパと話した。

C 今回モモパパは、最近飲み始めた薬の為蕁麻疹が出て(帰国して薬と判明)、アレルギーの薬を飲みながらの旅になった。大ごとになったのは帰国後で、旅行中大した症状でなくて良かった。

D 侵略したりされたりの歴史の国だから、だまされる方が悪いといった傾向が感じられる旅になった。日本人はカモになりやすい。

E 一緒に行った人の年齢層が高く、若い人がいなかったこと。この方面は渋い旅といえる。

F 更年期障害があって、今までは海外旅行から戻ると1週間は疲れ果ててしまっていた。が、ゆうちゃんが生まれてから、気を張って体を動かすことが多くなったからか? 元気!