2014/3/19(水)

 

今日は晴れ。

 今日から22日まで、韓国は釜山に行く。釜山まで飛行機で2時間30分で、成田まで行く方が時間が掛かったりする。LCCのエアプサンで、成田13時55分発、釜山16時15分着。今回はHISで行った。、自分で搭乗手続きをして、関係者に会ったのは釜山でツアーガイドが初めてだったが、特に不安もなかった。











エアプサン機





2時間半であっという間に着いた感じ。





LCCながら機内食があって、なかなか美味しく頂いた。





釜山空港  日本ではプサンというが、韓国ではブサンというらしい。

















慶州にバスを走らせ先ずは夕食を





「参鶏湯」を頂く。あまり美味しくない。





モモパパはマッコリを美味しく頂く。日本人向けの店で、1,000円とは高い。(本当は300円位だそうだ)





最初の観光は慶州にある @「雁鴨池(アナプチ)」。



 雁鴨池は、新羅の文武大王が三国統一を達成した後、宮城内に造成した池。新羅の宮廷である半月城の東に位置し、当時は月池と呼ばれたが、朝鮮時代以降雁鴨池と呼ばれた。半月城から歩いて5分の距離にある雁鴨地は、統一新羅時代の王族たちの宴会、会議場及び貴賓の接待場所として使われた所。王子が住む東宮としても知られており、文武王19年に宮廷を華麗に創建された。雁鴨池は哀荘王、文聖王、景文王の時に臨海殿を改築され、3個の島と12個の峰を造って珍しい動物を飼い、美しい花と木を植えた新羅原地の代表的なもの。池には舟を浮かべて風流を楽しんだと言われている。






夜景が有名で美しい。





模型





アップライトされた庭園



    



 2014/3/20(木)

 

今日は晴れ時々雪。いよいよ今日から本格的に観光が始まる。

 





今日は、A海印寺、B大邱薬令韓医薬博物館、C石窟庵、D仏国寺の観光









今日から2泊のホテルのロビーに可愛いクマ君がいた。





ホテルの隣にある食堂で、アワビ粥を頂く。おかずは何処でもお代わり自由。



 今日は午後から天気が悪くなるかもしれないということで、予定を変更して先ずA海印寺へ行く。地図で見たら近いのかと思ったが、結構時間が掛かって到着!





海印寺は山中にあった。


 バスや車を止める駐車場から海印寺までは、緩やかな散歩道を通って徒歩20分ほど。自然いっぱいの散歩道になっているので、ゆっくり見物しながら歩いていく。





お寺がある伽耶山自体が公園となっていて、お寺観光だけでなく、壮大な景色も楽しめるようになっている。



 新羅第40代哀荘王3年(802年)に新羅王室の寄進を受けて、順応と利貞という2人の僧によって立てられた寺院が海印寺の始まり。その後、何度かの火災に遭い、創建当事のもので残っているものは三重石塔など数えるほどしかなくなり、現在の建造物は李氏朝鮮時代の末期(1818年ごろ)に再建されたもの。自然あふれる伽耶山の中腹に建っているお寺なのに、なぜ海という漢字が使われているのか?というと、「静かな 海に万物の形象が映る世界のように、心には万物の心理も同じように映し出される」という華厳経の海印三昧から引用し、名前がつけられたといわれている。こちらには世界遺産に登録されている八万大蔵経や蔵経板殿をはじめ、数多くの文化財が収められている。





海印寺見とり地図





A 「一柱門」


 こちらの門から海印寺に入ることができ、「世の中のあらゆる煩悩と分別心を振り払って、清浄無垢の心で仏様の世界へ入る第一門」という意を込めた門になっている。また、この門から蔵経板殿までの総階段数が108階段になっている。





C 「鳳凰門」





F 「解脱門」 右手に「局司壇」





L 総合観光館





K 「庭中三層石塔」





J 「窮玄堂」





Q 「大寂光殿」





P 「冥府殿」ではお勤め中





Q 大寂光殿 を右から見る。





最後の階段を上がって





S 世界遺産「大蔵経板殿」


 海印寺が法宝寺刹と呼ばれているのは、この八万大蔵経が納められている寺だから。仏教の力を借りて国の難を克服しようと祈願したもので、1236年から16年かけて作ったのが八万大蔵経。この八万大蔵経の正式名所は高麗大蔵経というが、経板の枚数が8万1258枚あることから、八万と呼ばれるようになったといわれている。また、お釈迦様の教えを集大成したものであり、現存している木版の大蔵経の中では世界最古。700年以上もの長い時間を経た現在でも、完璧な木板として保存されているだけでなく、誤字や脱字がほとんどなく、神様が書いたものではないかと称されるほど。

 大蔵経板殿は1488年に完工したと伝えられており、板殿としては世界最古級。直射日光が差し込まないような配置がとられ、床部には塩・炭と石灰・砂を敷くことで最適な湿度を維持。こうした自然条件を見極めた科学的な技術が、世界遺産選定の理由ともなった。観光客の見物も、直接殿の中に入れず、外の格子から見るのみ。撮影も不可。





Q 大寂光殿 を左から見る。





I 「梵鐘閣」の前で「海印図回り」


 庭に迷路のように石で図が描かれている。新羅時代の義湘僧侶が創案した図案で、八万大蔵経の真理を示しているんだとか。この図を合掌しながら一回りすると、大きな巧徳を積むことができるといわれている。回る回数は自分の自由だそうだ。





昼食は山菜ビビンバ





店構え





田舎な風情



今日は雪が降るかも知れないということで、最初に海印寺に行き、その後B大邱市にある「大邱薬令市」の「薬令市韓医薬博物館」を見学する。幾ら忙しいとは言っても、大邱までバスを走らせ、ここしか見学しないっていうのもどんなもんだろう?

 大邱薬令市は、1658年から春と秋の2度、1か月ずつ周期的に韓薬材を取引した伝統韓薬市。韓国全域はもちろん、満州、モンゴル、アラビア、日本、ベトナム、遠くはドイツ、英国、ロシアなど色々な国に韓薬材供給することによって、国際的な韓薬物流流通の拠点となった。





「薬令門」



 


薬令市韓医薬博物館の隣にある第一教会

 大邱地域で初めてキリスト教文化を受け入れたことを象徴する建物で、建築学、宗教文化的な価値が認められている。





「薬令市韓医薬博物館」





昔のこの辺りの様子のジオラマが展示されている。良く出来ていて感心した。





























四象体質


  四象医学とは、十九世紀の終わりごろ朝鮮の医学者、李済馬先生により創設された。患者の体質と性格により、同じ病気でも症状は異なり、薬物に対する反応も違う事から患者を一律に見るのではなく、人それぞれの体質、内臓の状態、精神状態、性格、食性などによりそれぞれ違う治療法が必要だと説いた。このような経験に基づき、人の体質を「太陽人型」、「少陽人型」、「太陰人型」、「少陰人型」の4つの型に分け、新しい体系を打ち出し薬物治療と予防法を適用する独特な「四象医学」説を提唱した。

 私はここで調べたところによると、日本人では少ない「少陽人型」だそうで、食べてはいけないものが描かれてあったので、写しておいた。





回ったバス



 雲行きがだんだんおかしくなってきて、次に行ったのが、世界遺産の4石窟庵とD仏国寺。新羅文化の黄金期ともいえる8世紀の半ば、仏教文化の傑作と評される仏国寺と石窟庵が誕生した。慶州吐含山の中腹にある仏国寺と石窟庵は、新羅の人々が心に描いていた仏の国を現実の世界に再現した寺院。

 仏教の経典である法華経に基づいて作られた仏国寺は釈迦の国を、人工の洞窟を作って円形の主室の中央に祭られた高さ350cmの石窟庵の仏像は、絶対的な悟りを得た瞬間の微笑を再現している。新羅の人々は、目に見えない宗教の世界を独特な建築技術と美しい彫刻品で形象化することで、理想の世界を現実の世界に造りだした。





バスから降りたら、ああ、雪まで降ってきた。さむ〜い!



 


準備万端の私は、このいでたちで見学。



 


石窟庵は写真に撮れないので



 


お借りした写真を載せて



 


記念写真



 


参道入り口の門



 次に訪れたのが、石窟庵にほど近い「仏国寺」。慶州の吐含山の麓にある仏国寺は石窟庵と共に、護国の念願を達するために新羅第35代景徳王10年(751年)、当時宰相である金大成によって設計、創建されたお寺。世界文化遺産に指定されている仏国寺は、現在もスケールの大きな寺院だが、最盛期の8世紀には総2000間の60余棟の木造建物に成り立った壮大なスケールを誇っていたという。

   





山門 (一柱門)

 お寺の入口である一柱門は、柱が一字の形で並んでいる門という意味。一柱門は世の中の煩悩の濁りを払って一心で仏法の世界に向かうという意味もあり、どんな人に対しても出入の制限はない。それが門に扉のない理由らしい。



 


案内図



 


「天王門」

 天王門は、欲界六天の最下天にいる四天王のこと。四天王を奉安した門で、寺刹守護の機能を担当する四天王が彫刻されており、朝鮮後期の手法をよく表している。東方−持国天王(琵琶を持ち)、南方−増長天王(剣を持ち)、西方−広目天王(竜を持ち)、北方−多聞天王は宝塔を持っている。  















 


「青雲橋・白雲橋」

 基壇の中央に勢いよく伸びている石段があって、上の方の16石段が白雲橋、その下の17石段が青雲橋。共に33段ある二つの橋は仏教でいう33天を意味し、この石段を登ってをくぐると、そこはお釈迦様の彼岸世界である仏の国を表現する仏国寺の境内内に足を踏み入れる。



   




 これが世界遺産か?と疑りたくなるほど人がまばら。同じツアーの方で、昨年11月にも来た人がいらしたが、その時は押すな押すなの大混雑で、写真を撮るのもままならなかったそうで、やはり平日だし、天候が怪しかったから空いていたのだろうという話になった。  





人がいないから、ガイドブックのような綺麗な写真が撮れた。良かった!



 


「青雲橋・白雲橋」 の上から望む。



 


右方向を望む。



 


仏国寺の本殿 「大雄殿」

 壬辰の乱(文縁の役)の際に焼失した後、(つまり日本人が焼いたわけ) 1695年に再建されたもので、基壇は新羅時代のそのまま。何度かの考証を通じて新羅時代の原型を比較的よく維持している。この大雄殿は全面五間取り、側面四間取りで、内部には中央全面に釈迦三尊仏が安置されているが、撮影は禁止。





「多宝塔」

 多宝塔は「常住証明」といい、多宝如来が釈迦世尊の説法を賛嘆して、これを真理であることを証明するのを象徴している。  





「釈迦塔」は修理中。



 


「回廊」



 


「舎利塔」 高麗時代初期に建てられたものと推定される古いもの。

 



触ると幸せになれる豚だったかな〜?



 


記念写真



 


「解脱橋」を渡って戻る。



 その後、お決まりのお土産物屋 「高麗焼き物」の窯元に連れて行かれる。今回はそんなに土産物屋にはいかなかった。  





焼き方を流ちょうな日本語で説明してくれるご年配の女性。



 


店で買うより高いってどういう事なの???



 


とここで夕食のプルコギ(すき焼きに似た焼肉)を頂く。食べれなくはないが大したこともなし。



 


店構え



 


大きく立派なホテル(コモドホテル慶州朝鮮)で、記念にパチリ!



         



 2014/3/21(金)

 

今日は晴れ。

 





今日は慶州観光、E慶州良洞村、古墳公園とF釜山市内観光






今日の朝食はホテルのバイキング。昨日買った韓国で有名な飲み物を飲んでみる。バナナ味、普通の味だった。





チャン・ドンゴン&ウォンビンも宿泊した特1級ホテル!とうたわれている「コモドホテル慶州朝鮮」






ホテル前には美しい湖が





ここでハプニング発生!

 元気はつらつで明るい方が入院騒動。聞けば、同じツアーのおじさん5人組が、隣の部屋で夜中の3時まで飲んで騒いで眠れなかった。旅行の疲れもあって気持ちが悪くなり、HISの医療通訳が来るのを待って病院へ。私たちは一足早く観光へ向かった。





「慶州良洞村」



 良洞村は、大韓民国慶尚北道慶州市江東面にある伝統民俗村。慶州市中心部から北へ約25kmのところに位置し、安東河回村とならんで両班の村として知られる。 村全体が重要民俗文化財に指定されており、また、2010年7月31日に河回村とともにユネスコの世界遺産に登録された。











観光案内書に入る。





「良洞村は雪蒼山を主峰として「勿」の字形で走る三つの丘陵と谷川にある。」と説明。
 





良く出来たジオラマ。「無忝堂」



 李彦迪(イ・オンジョク)の父であり、自身も成均館成員とエリートだった李蕃(イ・ボン)の暮らした屋敷、無忝堂(ムチョムダン)。1460年ごろ建てられた驪江李氏の宗家で、サランチェの別棟です。オンドル部屋、板の間、高床からなり、円柱と四角柱の2種類の柱が使われているのが特徴。欄干や礎石は華やかだが、全体的に慎ましい雰囲気でまとまっており、洗練された高度な別棟建築技術が反映されている。当時は主に祭事や応接空間、読書空間、憩いの場として使用された。





「観稼亭」

 観稼亭(クァンカジョン)は、朝鮮時代の名臣・孫仲暾(ソン・ジュンドン、1463-1529)が住んでいた屋敷。平面構造が4角形で、中央の庭を取り囲むようにサランチェ(家長の男性が暮らす部屋兼応接間)とアンチェ(母屋)がある。格式を重んじながらも慎ましい構造から、当時の住宅建築としても高い評価を得ている。垣根は1980年代に建物保護のために作られたもの。「観稼亭」とは、穀物が育つのを見るように子孫たちの成長を見守るという意味。高台にあり、村の中で最も見晴らしの良い場所とされてる。





村人の暮らしの様子。







 雪蒼山の麓に広がる、「良洞村」。いつ頃から人が住み始めたのか正確には判明していないが、驪江李氏(ヨガン・イシ)と月城孫氏(ウォルソン・ソンシ)という2つの名家が500年以上共存してきた、同姓集落としては珍しい歴史を持ち、韓国にある民俗村の中でも由緒深い名門集落に数えられる。



 良洞村には2009年12月末現在、150世帯・478棟の建物に人口371人(男188、女183)が暮らしており、両班の家屋は高台にあり、低い地帯には、下人の住宅が両班の家屋を囲んでる。ムチョン堂や香壇、観稼亭を始め、多くの昔の建物が貴重な文化財に指定されているが、個人の持ち物で中には入れないところも多く、撮影もできない。





「香壇」

 村の入口からもっとも目立つ場所に位置する香壇。朝鮮時代の東方五賢の1人として王の信任厚かった文臣・李彦迪(イ・オンジョク)が慶尚道の観察使として赴任する際、王・中宗(1488-1544)が彼が母親の看病をできるようにとこの地に建てたもので、立派な瓦屋根と美しい家屋で構成されている。当時は「興」の字形という特徴的な平面構造をもつ99間の大屋敷だったが、一部が焼失し、1976年に56間で縮小復元された。





「下人の住宅」 今でも人が住んでいて、収入も沢山あると、添乗員が話していた。









番犬がつながれている。遠足の高校生の女の子が入って行く。



















暮らしを感じさせる自転車。









良く手入れされている。









記念写真

 幼く見えたが、釜山から遠足で来ていた女子高校生(韓国は男女別)が、日本語で話しかけてきてくれた。ニュースで言うほど韓国人は日本人が嫌いではなさそうな印象だった。日本に好きなアイドルでもいるのかな? 




バスを走らせモモパパがこの旅で最も行きたかった慶州市内の古墳公園へ





古墳公園「大陵苑正門」。 古墳群の中で最も大きい規模、23基の古墳が保存されている。



 慶州の皇南洞にある大陵苑は古墳群の中で最も大きい規模で。およそ12万5,400坪の敷地に23基の古墳が保存されている。昔、園内には180余棟の民家が住んでいたが1970年代浄化作業後、いまのようにきれいに整備された。被葬者がわかっているのは新羅第13代味鄒王陵(在位262年〜284年)の古墳だけ。古墳はどれも大きく、新羅時代の王様もしくは王族の古墳と見られている。





「皇南大塚」

 皇南大塚は慶州市内でも最大規模の古墳。通常の古墳が円形であるのに対し、この古墳はふたつの古墳がくっついた瓢箪形をしているのが特徴。瓢箪形の古墳は夫婦がいっしょに埋葬されていることを意味している。発掘調査の結果、北側から「夫人帯」と書かれた銀製の帯金具が発見され、女性が埋葬されていることがわかった。埋葬されている人物が誰かははっきりわかっていないが、5世紀ごろの王と王妃だろうと推定されている。南側が男性、北側が女性の墓。





「天馬塚」

 天馬塚という名前はこの古墳から天馬を描いた馬の泥よけが出土したことに由来。  内部には発掘された遺物を直接展示されているがこれはレプリカ。中は撮影禁止!





道を隔てたお店で昼食を頂く。









「サムパプ」

 葉野菜でご飯を包んで食べる料理。サムは包むという単語の名詞形。パプはごはんの意。サンチュやゴマの葉などの葉野菜にごはんを乗せ、サムジャンと呼ばれる味噌や、コチュジャンなどを乗せて包んで食べる。まあ食べれるの味。





店構え



バスを走らせ釜山に 






釜山ではギネスブックにも載ったという大きな規模のショッピング街「センタムシティ」に行った。









私は韓国ドラマでもよく見る「大きなマグカップ」が欲しかったので探した。









4つほど買ったが、右端のコレールの陶器のカップは、日本では売っていない日本製で、笑った。









次に行ったのは、車窓からの見学の「龍頭山公園」。






有名なチャガルチ市場に、 韓国人はフルーツ好きか? 美味しそうなイチゴが山盛り。市場で700円とは安くない。





夕方4時のチャガルチ市場に未だこんなに沢山の魚が売っている。売れ残ったらどうするのか?






韓国人は太刀魚が好きなのか? 沢山とれるのか?





記念撮影





ドラマでよく見た釜山の市場、イメージとは全然違った。












2006年に完成した新しいビルは、362億ウォンかけて作られ、地下2階、地上7階の超近代的なビルとなって再登場!






1階内部、美味しそうな海産物が沢山!






ほとんど生きている模様。






大きな道を隔てた「国際市場」へ 









情報では革製品が格安とのことだったが、昨今の韓国は物価も上がり、全然安くないので買わずに帰る。









明日朝ご飯が用意されてないので「キムパプ」を購入したが、









これまた高い、2本で500円! 数年前に行ったときは300円位だったと記憶している。





土地の狭い韓国は7割の人が高層アパートに住むという。しかも高額所得者が、へ〜 日本と違う。






晩御飯は「海鮮鍋」 日本人専門の店に連れて行かれ、韓国人向けの店で300円のマッコリを1000円で売られる。






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 2014/3/22(土)

 

今日は晴れ。

 午前10時55分発の飛行機で日本で戻る。





釜山のホテルは「ホテル農心」

温泉があって、私は入っていないが、温泉健康ランドでモモパパだけ湯につかった。






高層超高級アパート






添乗員の方と記念写真。






病院に行かれた方はその日の内にホテルで合流され、一緒に日本に帰ることが出来、良かった。






釜山の空港はこじんまりしていて、手続きが終わった後、何か良いお土産がないか探している。






元気に釜山を後にする。






帰りの機内食も美味しく頂いた。






釜山でも雪にあったが、日本も寒かったらしく、山に雪が降っていた。






午後1時に帰国し、まだ早いので京急の特急に乗って






ナナを迎えに行った。




 釜山旅行のおさらい

今度のツアーは、HISの「6ヶ所の世界遺産と7回の食事付き! 韓国世界遺産紀行4日間」だった。古墳好きのモモパパの希望で行ったが、若い観光客は全然いなかった。値段がお安かったからこんなものだろう。以前のように写真を売りつけるカメラマンも乗り込まないので、無駄な出費もなく、土産物屋もそんなに連れて行かれなかった。

 ツアー全般の特徴で、一か所に時間をかけない為、サラ〜っと見て回った印象は否めない。経済が急成長中の韓国は物価もうなぎ上りで、以前のように買い物もお得感がない。一度行けばまあ良いかって感じ。