2012/9/8(土)

 

今日は晴れ。トラピックスによる「新・決定版スペイン8日間」の旅出発!

 円高で1ユーロ100円以下という何ともラッキーなこの時期、以前では考えられない金額のツアー。モモパパと、格安のツアーの為、ツアーの添乗員は期待できないと話していた。昨年の中央ヨーロッパではJTB系列の同じ格安ツアー「旅物語」ながら、かなり優秀な添乗員で満足だったが、いつもそういう訳にはいくまい。そんな不安が的中するような旅だった。





 旅の直前のメール便で、「通路側など、ご希望のある方は早めにお越しください」と書かれてあったので、11時35分集合なのに、奮発して成田エキスプレスの1本早い便で成田に向かう。今回は、ナナはご近所のターさんに出発前にお預かり。 






 早く着いたは良いが、ツアーカウンターの受付がなかなか始まらない。それなのに飛行機の搭乗手続きは始まってしまった。これで希望の席が取れるのだろうか?やっと受付をして、搭乗手続きをしたところ、通路側を希望していたにもかかわらず、同じツアーでは一番乗りだったのに、どうやら席は予め決まっていたようで、満席で他に空きはない。いったいどうしたことか? 後で気が付いたが、添乗員がこの時に勝手に決めていた模様。




 


 私はお年がらトイレが気になるし、腰痛持ちのモモパパはやはり通路側が希望だった。「満席じゃあ仕方ないか〜」と諦めかけたとき、搭乗手続きの係員が、「最後の搭乗の時にキャンセルがあるかもしれないから再度チャレンジしてみてください!」「お金を払えば15,000円プラスでプレミアムエコノミーに変更できます。7,000円プラスで非常口のところのお席も取れます。」というではないか。しかし、格安ツアーで二人で1万4千円や3万円プラスは痛い。

 せっかく早く来たのにおかしな話だ!と私はプンプンするし、10時間以上の長旅にモモパパもちょっと不安。搭乗口で再確認したところ、やはりキャンセルはない。しかしこの時モモパパは気が付いた。非常口の席は前が空いているのではないか? それならプレミアムより広いし、価値はあるかも。で、「英語は大学受験程度しか話せませんよ。」(非常口は非難のお手伝いをするため、英語が話せなくっちゃいけない)と確認したところ、オランダ航空は、安全より収益重視か?「はいそれで結構です。」というので、思い切って7,000円プラスの席をゲットする。




 


 トイレは近いし、前には何もない。本当に楽チンだった。いつもこの手を使いたいものだとモモパパと話す程だった。(ただ難点は、荷物を離れた棚に置かなきゃならなず、いちいち動かなくっちゃならないので面倒)




 


 オランダ航空は機内食のお味はまずまずと聞いていた通り、量は少なめながら美味しかった。私はパスタ。(しかしこのトマトジュースがえらく不味かった。きっとセロリが入っているに違いないと思わせるトマトジュースだった。)




 


 モモパパはカキフライだったかな?(ワインは悪酔いするので、ビール専門)





   

 日中の移動にもかかわらず、機内の窓は閉じられ外は見えない。私は映画を3本見て、到着ちょっと前に2度目の機内食が出た。




 


 乗り換えのオランダはアムステルダム空港へはあと僅か。楽チンな席だったので早く着いた気もする。11時間半で、現地時間18時過ぎに到着。




 


アムステルダム空港では球根のお店があった。





 


 アムステルダムで乗り換えた、バルセロナ行きの飛行機は小さ目で、モニターもない。飛行時間は2時間ちょっとで、軽食が出た。味はなかなか美味しいサンドイッチだったが、玄麦の粒で顎を軽く捻挫する。




 


バルセロナ空港に23時頃到着。さあ明日から観光だ!








 2012/9/9(日)

 

今日は晴れ。

 今日からスペイン8日間の観光が、@バルセロナからスタート!





ポイントは「スペインが誇る超特急AVE乗車!7つの世界遺産と3つの美術館巡り!!」





格安ツアーにしては結構きれいな、普通のホテル。





「カタルーニャ音楽堂」



 


  バルセロナといえば「サグラダ・ファミリア」で有名なアントニオ・ガウディ。先ずは同世代の建築家ドメネク・イ・モンタネールの最高傑作のカタルーニャ音楽堂を見学。1905〜1908年に建設され、現在も使われているコンサートホール。建物の角にあるのは有名彫刻家ミケル・ブライによって制作される。世界遺産に登録。





モザイクタイルで飾られた柱が美しい。





昔使われていたチケット売り場。色合いもお洒落だねえ〜





内部のステンドグラスが豪華。





街のパン屋さん、スペインのパンはそれは硬い。





なるほどね、町のレストラン、お値段はピザ1枚900円弱で思いの外安くない。





さて、この旅のメインエベント、「サグラダ・ファミリア」が見えてきた。





サグラダ・ファミリア (聖家族教会)





 1882年に建築家フランシスコ・デ・ビヤールが着工し、アントニオ・ガウディが引き継いだが、彼の死(1962年)後、いまだ建築が続く未完の教会。完成は50〜100年後といわれる。彼の生誕200年の2052年までに完成したいと、スペインの国だったか、関係者だったかがいっているそうだが、先立つお金が足りないらしい。(129年たった今でも建築費は寄付金と入場料のみで賄われているのだ。国が助成すればもっと早く建って、観光客も沢山訪れるだろうに)

 完成すればイエスと聖母をあらわす2本の塔を中心に、イエスの「生誕」「受難」「栄光」からなる3つのファサード(建築物の正面部分)と、それぞれに4本ずつの塔、福音書家に捧げる4本の塔、合計18本の鐘楼が建てられることになっている。





「生誕のファザード」
ガウディー自ら指揮を執って最初に完成させたかった部分。全面キリストの誕生にかかわる彫刻で飾られている。

 なんと!主任彫刻家は日本人だそうだ。ガウディはサグラダ・ファミリアに「石で聖書刻む」という構想を持ち、弟子たちに託した。その石による装飾は2人の彫刻家が取りまとめていて、入り口にあたる「生誕のファザード」は現在この教会の主任建築家の外尾悦郎(テレビで見たことある)が手掛けている。外尾が掘った「ハーブを奏でる天使」と(天使の合唱隊」が美しい!





聖堂内部





聖堂内部は十字架の形になっており、ゴシック様式の厳格な雰囲気を取り除くため、全体を森に見立て、





全36本ある柱は、ドーム型の天井を支えられるよう枝分かれした木をモチーフにしている。





内部の天井の完成は、ついこの前の2010年。ローマ法王を招いたのだそうだ。





  向こう側が北東で「誕生のファザード」手前(南西)が「受難のファザード」、右手(南東)は今からこしらえる「栄光のファザード」





「受難のファザード」

 サグラダ・ファミリアを取りまとめているもう一人、「受難のファザード」を担当しているのは地元の彫刻家スビラックスで、彼は機械をもって彫刻をつくり、ガウディーの構想とは全く異なる超現代的なものを設置している。それに対し、「生誕のファザード」は外尾悦郎氏が、昔ながらの手仕事と作風を重視し、日本人でありながらガウディーそのものと言われる彫刻群を石で掘り続けている。作品重視が?スピード重視か?





 イエスの最後の日々を綴った彫刻群で、聖なる晩餐からイエスの埋葬までを表現。上・中・下の三層に分かれて入り、左下からS字を描くように見ていくと一つの物語が完成するように出来ている。





未だ手つかずの「栄光のファザード」側。

 夢にまで見た「サグラダ・ファミリア」。しかし想像してよりは小ぶりな感じ。教会ならこんなものだろうが、勝手に大きな建物だろうと想像していた。私が生きているうちは無理だろうが、完成したら素晴らしいに違いない。聖堂内部も2010年に完成したなんて、随分若い教会だなあ〜 しかし立派な世界遺産だ!



 


続いてバルセロナ出身の画家である「ミロ美術館」へ





現代美術のミロだから、私にはどこが良いのかさっぱり。室内は撮影禁止。





ミロ美術館屋上から、おそらくバルセロナ市街を望む。





「カサ・バトリョ」(バトリョ邸) 画面右側の建物

 ガウディーの後期代表作のひとつ。富豪バトリョ氏の依頼を行けて1904年から1906年にかけて住居の改築を行う。海のイメージだそうだ。バスの中からで、しかも反対側で、全然見えなかった。かろうじてモモパパが撮影。





そうこうしている間に「グエル公園」に到着。

 グエル公園は、1900〜1914年、ガウディーのパトロンであり良き理解者でもあったグエル伯爵と組み、田園住宅として建設されたが、市街地から離れていた為か?住宅が2戸しか売れず失敗に終わる。1922年に公園として開放され、バルセロナ市民の憩いの場になっている。





土地の高低により3つの柱廊あり、車も通れる広さ。






1925年に、ガウディーがサグラダ・ファミリアに引っ越すまで暮らしていた家。





「列柱ホール」





建設された当時は市場になる予定だった。86本もの柱で建造されたホール。






「バラの装飾」
 天井に4つある円形の破砕タイル装飾は、ガウディーの右腕だったジョセップ・マリア・ジュジョールの作品で四季をあらわしているのだそうだ。





列柱ホールより下方を望めば、遠くはバルセロナ市街が見える。
お菓子の家のように見えるのは、入り口の門番小屋と管理事務所、かわいか〜





ドラゴンとして知られる公園のシンボル。





明るい太陽に照らされ





色とりどりのタイルが美しい!





粉砕タイルが、パッチワークにも似て





私にはお気に入りの場所になった。





列柱ホールの上にはギリシャ劇場になる予定だった広大なテラスがあって、上れば
なんと!サグラダファミリアが見えるではないか!





お昼は有名人も来るという、海に近いちょっと美味しレストランで





ナスの炒め物や (炭酸水を注文)





お魚の豆添え





名物のデザート、プディングを頂く。





バルセロナの海岸は海水浴客でにぎやか!





そしてAのタラゴナは世界遺産の「ラス・ファレラス水道橋」に立ち寄る。

 バルセロナから南に90kmの海沿いの町で、紀元前218年にイベリア半島で最初にローマ帝国の植民地になる。ローマ人により築かれた水道橋。





貴重なローマ遺跡を見学できる。





水路を横から見る。





こぎれいなホテルの室内(パテルナ泊)






 2012/9/10(月)

 

今日は晴天。



Bのラ・マンチャ地方、ドン・キホーテゆかりの地(Campo de Criptana)に向かう。
1日バス移動544qで、本日の見学はここだけ。



 





ホテルを出発!





結構大きなバスにお客が31人だったかな?結構席が空いてゆったりとしていた。





今日行くのはラマンチャの風車だが、スペインには沢山の風車が並んでいた。





長いバスの旅、途中休憩を取って、お土産など購入する。





260kmバスに乗り、ラ・マンチャ地方、おそらくは「Campo de Criptana」という町に到着!
射すような日差し。地図で見たら最終都市マドリッドの近くまで来ていた。





白い風車のおじいさんのワンコに出会う。





「おいで、おいで」 と手を出すも





近寄るどころか、激しく吠えられ、追っ払われる。





ラ・マンチャの白い風車

 1605年セルバンテス文豪により発表された小説「ドン・キホーテ」の舞台。物語中で、ドン・キホーテが戦いを挑んだとされる白い円筒状の建物に黒い三角屋根が印象的な風車が立ち並ぶ。





ガイドブックにもラ・マンチャ地方というだけで名前はなかったが、「Campo de Criptana」という町だろう。





このような鋳金のお店を見ていたら





中を覗いて話をしていたおじさんが、撮影のために避けてくれたが
「一緒に写ってくださいな!」とボディー・ラングエージで話し





一緒に写真に納まる。スペイン人は皆親切で優しい。





ちょっと離れた土産物屋に連れて行かれ、サフランを購入する。
この辺りはサフランが名産で、日本と比べると信じられないくらい安いので、良いお土産になった。





暑い日中だからか?人影はほとんどなかった。





このような白い風車の集まっている場所は一か所ではなく、沢山ある模様。
バスの窓から撮影





趣のあるレストランに到着!





中庭にはドン・キホーテと





セルバンテスも乗せたか?馬車が





昼食に「ドン・キホーテメニュー」なるものを頂く。





恐らくチキンだったと思うが、味はお口に合わなかった。





レストランを出ると、街の教会があった。





町中、いたるところドン・キホーテだらけ





そして284kmバスに乗り、明日の観光地C「グラナダ」に到着。





早い時間に到着したので、グラナダの町を散策。
小さな専門店が沢山あって、昔の日本の様な感じ。





ゆうちゃんのお土産にと子供服のお店に入り、夏物の洋服を購入。





ヨーロッパは石畳が多い為か?ベビーカーの車輪が大きい。





安価で良質なお土産を探しに、大きなスーパーを訪れるが、上階はデパートだった。





スーパーのお魚売り場。





夕食はホテルのバイキングで、フルーツ入りのワイン「サングリア」を頂いてみる。






 2012/9/11(火)

 

今日は晴天。



今日はCのグラナダをとDミハスを観光!



     アンダルシア地方の中心地グラナダは、スペイン最後のイスラム王朝、ナスル王国が築かれた町。13世紀初めから1492年にキリスト教徒に奪還されるまでの250年の間ナスル王朝の政治、経済、文化の都として繁栄を極めた。イベリア半島最後のイスラム王朝が栄えた町。  





 そのグラナダは、アルハンブラ宮殿を訪れる。グラナダの町を見下ろす丘の上に建つアルハンブラ宮殿は、総面積14,000uもの広さを誇るり、宮殿内で最も古い城塞部分であるアルカサバ、王の住居であった王宮、夏の離宮へネラリフェ庭園と、敷地内は大きく3つに分けられる。





さあ、アルハンブラ宮殿入場!





@ サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会  
モスクのあったところに西洋建築の教会が建てられたもの





A カルロス5世宮殿の外観



 


B カルロス5世宮殿の内部

 ここは王宮ではなく、王宮の隣に立つルネッサンス様式の宮殿。レコンキスタ (イスラム教徒に占領されたイベリア半島をキリスト教徒の手に奪回する運動。711年のイスラム侵入後から、1492年のグラナダ開城まで続いた。この過程でポルトガル・スペイン両国家が成立した。国土回復戦争。)完了後、スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)が建造を開始したが、資金不足により未完。)





C アルカサバ

 王宮の西側に立つアルカサバは、勢力を増してきたレコンキスタに備えて13世紀中ごろに建てられた城塞で、「赤い城」といわれる所以となった。9世紀後半に造られた要塞をもとに建築されたもので、宮殿の中で最も古い建物。





D 王宮入り口





E メスアールの間

 政庁を意味するメスアールでは、かつて執務や裁判が行われていた。王宮の中で最も古いが、度重なる改築で当初の姿は見られない。





 キリスト教王の支配下になると、礼拝堂へと改築。木製の欄干は聖歌隊席の名残。












F メスアールの中庭 

中央に大理石の丸い噴水がある中庭。(広角のレンズでないので全体を写すのに苦労する) 南側はコマレス宮のファサードで、壁面は色鮮やかなタイルと漆喰の浮き彫りで埋め尽くされている。





G 大使の間

 宮殿最大、121uの広さを誇る。諸外国大使たちによる王への謁見やレセプションなどの公式行事が行われていた。高い天井は8,000ピースの木片が組み合わされたアラベスク模様のドーム。





漆喰細工が施された壁面にはアラビア語の装飾文字が施されている。
 





美しい色使いのタイル





床も豪華な装飾で彩られている。





H 大浴場

イスラム教徒にとって、浴場は祈りの前に身を清める為に欠かすことのできない施設だった。





I アラヤネスの中庭から大使の間を望む。





J 反対に大使の間からアラヤネスの中庭を見る。





K アベンセラヘスの間

 当時力のあった貴族アベンセラヘス家の陰謀に怒った王は、この部屋で一族の男たちを皆殺しにしたといわれる。





L ライオンの中庭





 中庭を含むライオン宮は王の住居。楽園を再現した中庭には水路が配され、124本の大理石の列柱が取り囲む。中央には。口から水を噴き出す12頭のライオン像の噴水がある。





M 二姉妹の間

 蜂の巣のように見えるのは、鍾乳石飾りと呼ばれる緻密な装飾。抽象的な模様の反復と調和はイスラム芸術の特徴。





N 王宮よりグラナダの町を配下に望む。





O ベネラリフェ

1319年に建てられた王族の夏の別荘で、離宮と庭園からなる。アルハンブラ宮殿から谷を隔た丘の上に立つ。



 


P 緑に囲まれた安らぎの空間





Q バラなど花々が咲き癒される。





ベネラリフェより王宮を望む。





R アセキアの中庭





グラナダの土産物店に連れて行かれる。お値段は左が640ユーロで右が485ユーロ。(1ユーロ約100円)

 スペインといえば「リヤドロ」の置物。値段統制で何処で買っても同じという。一つは欲しかったリヤドロ、寄木細工も売っていたが目もくれず、安くて可愛いのがないか?時間がない中、一生懸命探す。(よって撮影はモモパパ)





それで我が家に来てくれたのがこの子。細工が細かくないので安価。日本で買う半額!





D 約152qバスで移動し、ミハスに到着!





可愛いレストランで昼食を頂く。夏野菜の冷スープ





仔牛のシチューとポテトフライ





アンダルシア地方はとても日差しが強く、暑いので、冷たい飲み物がすすむ。ビール2ユーロだったかな?





ミハス山麓に広がり、地中海を見渡す白い村。





「アンダルシアのエッセンス」といわれ、白壁の家が続く美しい街並み。





坂道や階段が多く名物のロバタクシーが観光客の足代わり。





街の教会





街のお祭り





ミハスから地中海を望む。
曇り空ばかりのイギリスから、お日様求めて別荘を購入する人が多いそうだ。





観光も終わり、今日のお宿はセビーリャ。移動途中のドライブインの入り口で、気持ちよさそうに寝るワンコ発見!





約200q移動し、セビーリャのホテルに到着。わりかし立派。





ホテル前のマンション群の真ん中にある広場

 9月11日の秋口、日が早く沈むと思いきや。ヨーロッパ西の外れのスペインはなかなか日が沈まず、何時までも暑い。日が暮れてやっと涼しくなった夕方、子供達が待っていたように外に出て、遊びだす。






 2012/9/12(木)

 

今日は晴れ。

 





早やスペイン滞在5日目。Eセビーリャ、Fコルドバ観光!



   セビーリャは人口約70万人を抱えるスペイン第4の都市。オペラ「カルメン」や「フィガロの結婚」の舞台になった町。大航海時代には新大陸発見とともに交易港として栄える。アンダルシア地方の中心をなし、闘牛やフラメンコの本場。レコンキスタ(国土回復運動)により、グラナダより約200年も早い13世紀半ばにはカトリック勢力により再征服された。コロンブスのアメリカ大陸発見の後、新大陸との貿易の富により15世紀から16世紀にかけて最も栄えた。





スペイン広場

 かつてサン・テルモ宮殿の一部だったマリア・ルイサ公園内にある。1929年のイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られたもので、半円形の広場を囲む建物には市庁舎や軍部が置かれている。











セビリアをはじめアンダルシア地方の典型的な建築様式であるムデハル様式を取り入れたもの。





アーチの下に並ぶベンチを飾るのは、スペイン各地方の58の歴史を描いた絵タイル。





両翼に半円形に延びる回廊





サンタ・クルス地区
 
 15世紀頃までユダヤ人たちが居住していたエリア。レコンキスタ以後は追放されたユダヤ人に変わって貴族などが住んでいたという。





風通しの良い中庭





壁のタイルもお洒落だねえ〜





細く曲がりくねった白壁の家々が並ぶ街並み。





お洒落な「バル」 バー(Bar)のスペイン語読みで、街角にある気軽な立ち飲み酒場。





セビーリャのカテドラル

スペイン最大のカテドラルで、世界でも3番目の規模を誇る。15世紀にモスクの跡地に建てられたもの。





カテドラル 前の街並みも趣がある。





「ヒラルダの塔」 ヒラルダとは「風見」の意味。
美しさのあまりキリスト教徒も壊せなかったのがヒラルダの塔。塔へは大聖堂の中の通路から行くことができる。





ゴシック様式の建物が美しい。





「容赦の門 」











主祭壇





礼拝堂





美しいステンドグラス





この中に聖歌隊の席がある。





大きなパイプオルガン





スペインの4人の王様がコロンブスの棺をかついでいる「コロンブスの墓」
露出調整で明るく見えるが、実際はもっと暗い。





木製主祭壇の飾り壁は只今修理中。印刷されたカーテンで覆われていて見ることが出来ず、残念!





ヒラルダの塔には階段がない。昔この塔を造った王様が、馬に乗って上れるようにという注文を付けたからだそうだ。
この狭い通路を20回以上グルグルと回ると、ようやく頂上の到着!





ヒラルダの塔、高さ70メートルの展望台からの景色。大きなビルもなく美しい景観。なんて良い天気!





眼下に闘牛場が見える。





展望台の上部には 大小28の鐘が並んでいる。





アルカサル

 残念ながら今回は時間がなく行けなかったが、カテドラルの隣に立つ、イスラム時代の王宮を1248年にキリスト教徒のフェルナンド王が セビリアを奪還後に改築した宮殿。





ヒラルダの塔展望台から見えた闘牛場。



 さて、ここでセビーリャを後にし、137q走り、バスで一路コルドバへ。コルドバは、紀元前2世紀、ローマ帝国の植民地から発展し、8世紀半ばから11世紀初めはイスラム教、後ウマイヤ朝時代の都として栄華を極めた古都。





ローマ橋



 


ローマ橋を渡って、観光地の中心となる旧市街に。いやいや、暑い!暑すぎる。





旧市街は今でも城壁に囲まれている。ここを潜って入る。





ここで昼食を頂く。サラダ





タパスメニューというもの。





「オレンジの中庭」
グラナダといえば「メスキータ」。スペイン語でイスラム寺院のこと。 





 後ウマイヤ王朝の創始者アブド・アッラーフマーン1世の命により785年に建てられる。4回拡張され、数万人を収容できる巨大モスクになった。しかし13世紀キリスト教統治時代に、内部にカテドラルが作られ、イスラム教とキリスト教の2つが共存する珍しい建物になった。





「円柱の森」

薄暗い建物の中で、赤茶と白の馬蹄形のアーチが美しい。(実際はかなり暗い)





中央礼拝堂付近











カトリック教会で行われる聖体賛美式の際に用いる聖体を顕示するための容器「せいたいけんじだい 」。





「こう書くのだよ。」とガイドが教えてくれた。





「マクスラとミブラブ」
 
 ミブラブは、イスラム教とが祈りを捧げるメッカ方向を示すくぼみ。金色のモザイク飾られており、コーランの一説が刻まれている。マクスラはミフラブを強調?する空間。

















「中央礼拝堂」

 メスキータの中央部分にあり、キリスト教王が1766年に建てた荘厳な雰囲気の礼拝堂。中央はゴシック様式の楕円形ドームになっている。祭壇飾りには、バロックの巨匠バロミーノの絵画が飾られ、地元の紅大理石が使われ美しい。





「聖歌隊」
席圧巻なのは、マホガニー材で緻密に掘られた109の聖歌隊席。












旧市街の「花の小道」 





こうして一日沢山の見どころがあった観光も終わり、今晩の宿泊地マドリッドへ
ちょっとお高いツアーだったので、コルドバからマドリッドまではスペインの新幹線「AVE」で移動。





2等車ながら、なかなかゆったりした乗り心地で、モニターでは映画をやっていた。(スペイン語で分からない)





約345キロを約1時間45分乗車でマドリッドに到着。絶対「AVE」がおすすめ。



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ご一緒した80歳のおばあちゃん。(おばあちゃんと呼んで、「誰のことでしょう?」と返事をされた。アイタタタ・・・ )





最後の宿マドリッドは「ジュニアスイートルームに2連泊」と書かれてあったが





古いうえに、むやみに広く、今までのホテルでよかったとモモパパと話す。






 2012/9/13(木)

 

今日は晴れ。





最終日はGマドリッド市内観光、Hトレド観光に出発。



 


ホテル前

 恐らくユーロ圏内では時差はないだろうから、西の端のスペインは朝なかなか日が昇らず、何時までも沈まないので何時までも暑い。8時出発でも明け方のような暗さ。






ホテルのロビーに飾られていたモーモーさんのお頭、恐らく闘牛。







「スペイン広場」

 スペイン文学の傑作「ドン・キホーテ」の原作者セルバンテスの没後300年を記念して作られた広場。







「ドン・キホーテの象」







「王宮」 残念ながらバスからチラッと見るだけ。







 10世紀頃イスラム教徒によって建てられ、16世紀にはハプスブルク家の居城であったが、1734年に全焼その後ブルボン家のフェリペ5世により再建される。約150m四方の建物には2,800もの部屋があり、現在も公式行事に使われている。






マドリッド市街地(バスの中から)







スペイン特産イベリコ豚(ドングリを食す)のハムの店か?







スペインが誇る、世界3大美術館の一つといわれる「プラド美術館」







「女官たち(ラス・メニーナス)」 ベラスケス作 (1656年)

 BS放送でも沢山取り上げられ、プラド美術館の代表作品。館内は撮影禁止の為以下画像は貰ってきたもの。ベラスケスは17世紀スペインバロック期に最も活躍した宮廷画家。美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇し、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えていた。生涯の大半を宮廷画家として首都マドリッドで過ごした。

 モデルの可愛い王女の大きくなった時の絵をウィーン美術史美術館で見たが、将来の花嫁の姿を描いて送っていたのだそうだ。去年と話がつながった。左で絵を描いているのがベラスケス。






「裸のマハ」 ゴヤ作(1797−1800年)

 ゴヤは1746年生に生まれた、ベラスケスとともに、スペイン最大の画家。ベラスケス同様、ヌード画が世間を騒がせ、モデルは誰か?注文主は誰か?問題になったのだそうだ。






「着衣のマハ」 ゴヤ作(1797−1803年)







「カルロス4世の家族」 ゴヤ作 (1800-1801年)

 「裸のマハ」があまりにも有名だが、1799年にゴヤが宮廷の首席画家へ任命された翌年(1800年)から1年近くかけてスペイン国王「カルロス4世」一家の集団肖像画を描いている。左奥の薄暗いところにいるのがゴヤだそうだ。ベラスケスの「女官たち(ラス・メニーナス)」を意識して描かれているという。確かに構図が似ている。何故だか?私はこの絵がお気に入り。






「胸に手を置く騎士の肖像」 エル・グレコ作

 これまたスペインといったらエル・グレコ。暗い色調はお好きでないが、もともと現在のギリシア領クレタ島、イラクリオン出身で、流れ流れてスペインに辿り着いたのだそうだ。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称なんだそうだ。有名な名前もそんな風につけられてるなんて面白い。






「無原罪の御宿り」 ムリーリョ作 (1678年頃) 

宗教画の中でも、青い衣をまとったマリア像は「無原罪の御宿り」なのだそうだ。







「無原罪の御宿り」 同じくムリーリョ作 

 若々しい聖母マリアの姿。「本作の主題『無原罪の御宿り』とは神の子イエスの母である聖母マリアが、マリアの母(イエスの祖母)アンナの胎内に宿った瞬間、神の恩寵により原罪から免れたとする教理で、天からアンナの胎内へ御宿りの観念を示すことから、聖母マリアは少女(子供)の姿で表現されている。」のだそうだ。

 この広いプラド美術館を走りぬけるように見学した為、(しかも撮影は出来ない) いったい何を見たのやらよく覚えていないのが大変残念。「ああ、あの絵が〜 ああこの絵が〜」といいながら有名絵画の前を過ぎ去った。






プラド美術館脇の教会







と、ここで土産店(プラド美術館前にある)連れて行かれる。このお菓子は有名なお菓子だそうだ。
ブランド品を買う人もいたが、教えて貰ったスペインで有名なチョコ「カカオサンパカ」を購入する。







さて次は「ソフィア王妃芸術センター」に行ったのだが、この絵しか見てない。







ピカソ作 「ゲルニカ」 (1937年)

 現地ガイドの「としこさん」(年齢は60歳以上)が熱く語ってくれた。『スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。史上初めての都市無差別空爆と言われる。滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させる。』

 日本に戻って、「ソフィア王妃芸術センターに行ったのに、ゲルニカしか見なかった。」とプールの人に話したところ、この絵ぐらいしか見るものはないそうで、プラド美術館とは違っていた。ソフィア王妃芸術センターは20世紀の近現代美術を中心に展示されている。






「ソフィア王妃芸術センター」正面玄関







昨日到着した「マドリード・プエルタ・デ・アトーチャ駅」







内部はこんな感じ。(撮影してないので、Wikipediaから拝借)







何の建物だったか?忘れた。







お昼はちょっとお洒落なレストランで頂く。







本格的パエリアが







ほっぺが落ちる程美味しかった。(この旅で一番)







デザートのケーキ







ここにもドングリで育った豚のハムが







店の名前は分からないが流行っていた。







マドリッドから次に行くトレドの途中で寄ったドライブインで、近所の人に頼まれていたお皿をやっと購入できた。
調べたところ、スペインの焼き物の中の、タラベラ焼き(トレド近郊の村発祥)だった。今分かった。







「もしスペインに1日しか滞在しないなら、迷わずトレドに行け!」といわれるトレドの町

 マドリッドから南西に約70q位置するトレドは、16世紀のマドリッド遷都まで都として栄えた。紀元前2世紀に、ローマに征服されて以降、さまざまな民族に支配され、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教が混在する独自の文化が育まれてきた。

 中世の偉大な宗教画家エル・グレコ(本当は宮廷画家になりたかったが、当時の王フェリペ2世に気に入られることが出来なかったので、やむなく宗教画家になったと聞いた。)が半生を過ごしたことでも有名。






町の三方をかわ川に囲まれているトレドの西側に掛かる「サン・マルティン橋」







トレドの旧市街地





















「トレド大聖堂」

 世界のローマカトリック教会中、4番目の大きさを誇る、ムデハル様式(レコンキスタの後、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイル)の建物。1226年、カスティーリャ王フェルナンド3世時代に建設が始まり、カトリック両王時代の1493年に完成した。






大聖堂のファザード 建物東側の「免罪の門」







ステンドグラスは約770枚もあるそうだ。暗い教会内に光を届ける。







天井はこんな感じ。














トレド大聖堂の「聖体顕示台」も細工が見事!
年に1度、聖体祭の日だけ大聖堂の外に運び出され聖体行列でお披露目される。







沢山の宝石が散りばめられた宝物。







パイプオルガン







合唱団席







合唱団席上部







高さ30mの主祭壇、見事だねえ〜
大聖堂自体はルネッサンス様式だが、主祭壇はゴシック様式。







何故だか?もう一つパイプオルガンがあった。







明り取りの窓があって







この上部に日がさすよう出来ているのだそうだ。誰が作ったんだっけね〜







下部の細工も見事!







中央祭壇



 さて、トレド大聖堂を後にし、次に向かったのがサント・トメ教会。(残念ながらモモパパも私も写真を撮ってなかった)ここにはエル・グレコの大作





「オルガス伯爵の埋葬」を展示している。(撮影禁止で借り物の画像) としこガイドがここでも熱く説明してくれた。







敵に攻め入れられない為か?街の道は細く、それはクネクネ曲がっている。







車1台がやっと通れる道ばかり。(それ以下も沢山ある)







ユダヤのマーク







と、トレドの町を後にする。(車中よりモモパパ撮影)







さて、スペイン最後の晩はフラメンコ鑑賞! マドリッドの街に繰り出す。







フラメンコのライブが行われているレストランを「タブラオ」という。







フラメンコといえばダンスだが、ギターも聞かせるし、







歌も素晴らしい! 不可解なリズムが心地良い。







ダンサーを乗せてこそ良いダンスがみられるというものだ。

 関西のツアーが盛り上げてくれたが、関東のツアーは大人しくつまらない。私は一生懸命盛り上げた。としこさんが、「フラメンコのダンサーは膝をやられる。」と話したもんだから、フラメンコを見るたびに膝痛に悩んでいるんだろうなあ〜と考えてしまう。百聞は一見にしかず、見てよかった、素晴らしかった!






 













2時間のフラメンコショーが終わって

 右が現地ガイドのとしこさん。熱のこもった素晴らしいガイドだった。正しくプロだった。左の添乗員は、イマイチだったねえ〜






「アルカラ門」 (車中よりモモパパ撮影)

 マドリッドの入り口を管理するために建てられた門。カルロス3世の命を帯び、イタリアずン建築家サバティーニにより建築が進められ、1778年に完成。







 2012/9/14(金)

 

今日は晴れ。

 今日でスペインとはお別れ、13時の飛行機に乗り、アムステルダムへ。





朝ホテルの近所を散歩する。なんと危なっかしいビルがあった。





 


スペインは日差しが強い為、窓にはひさしがついている。





 


マドリッドのバラハス国際空港





 


スペイン植わっているのは、オリーブとアーモンドの木ばかり。





 


それは乾いた、乾いた大地だった。





  


オランダはアムステルダム空港で乗り換える。





 


オランダに入った途端、緑にあふれていた。


   アムステルダム空港で、予定では十分な時間があったにもかかわらず、なんやかんやでバタバタと時間が無くなり、写真を撮る暇も、チューリップの球根を買う暇も、欲しかったバックを買う暇もなかった、残念。




 


アムステルダムからの飛行機では、ディズニーのアニメ「アリス」を見て





 


機内食を頂いて





 


日本に戻ったら朝なので寝なければならないので、睡眠導入剤を飲んだところ





 


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 2012/9/15(土)

 

今日は晴れ。

 今日は成田に戻る。





目が覚めたら2度目の機内食だった。





 


茨城の海岸線を望む。





 


「霞ヶ浦」





 


無事成田に戻ってきた。8日間のスペイン旅行はお終い。



 備忘録

今回のスペイン旅行は、去年の中央ヨーロッパに比べて建物の立派さがそれ程でもなかったので、回っている最中は「スペインって大したことなかったね〜」とモモパパと話していたのだが、家に戻って、旅行記を書くに当たり、調べ物をしていると、やはりそこは歴史のある国、あとからあとから思い出されて、良い所だった。

 最近のツアーはイヤホンをして無線でガイドを聞くスタイルで、それは良いのだが、私の様に、後から写真を撮りながらついて行っていると、何の説明をしているのかわからず、聞き逃すことも多かった。それで、帰国してからスペインを理解するなんてことになってしまった。今度からは写真を撮りながらも先頭を切っていきたい。

 娘さんとご両親が2組、夫婦だけが新旧を取り混ぜて数組、女の子の一人旅が一人、女子だけの組み合わせも新旧を取り混ぜて数組。中には80歳のおばあちゃんを含んだ息子さん夫婦とお孫さんの男の子の一家がおられた。腰が曲がって杖をついての旅だったが、皆に迷惑が掛からぬようそれこそ先頭を切って歩かれ、頭が下がった。皆おばあちゃんを邪険にすることなく、むしろ気を遣い、尊敬の念を持って接していたのが良かった。

 もう一組、結婚指輪をしていたので、結婚しているとばかり思っていたカップルが、実は「一緒に暮らし始めて5年です。」(男性のカミヤ君曰く)の大変興味深いカップルで、理系で思ったことしか言えず、融通も利かず、ちょっと困ったこともあったが、なかなか素直なカミヤ君がいじり甲斐があって(彼女のみゆきちゃんのお許しを頂いたうえで)、楽しかった。

 飛行機で寝る長旅は体力がいるので、あと10年が限度だろう。さて次はどちらに行こうか? インドが良いかな?とモモパパと話している。