2017/1/14(土)

 
今日晴れ。

今日から4泊5日で台湾をぐるっと一周する。台湾は近くて料金も4泊5日で、全食事つきで5万円しない。国内旅行よりずっと安価だ。ただ成田まで行くのが遠いしお金がかかる。今回は出発が遅く集合時間が午後12時35分なので、朝方ナナを近所(歩いて行けるところ)の預かって頂けるところに預けてから家を出た。





いつもの成田エキスプレス。この料金がバカにならない。





今回の旅は途中列車にも乗るが、台湾をぐるっとバスに乗ってばかりの旅になる。





到着が遅れたので、出発も30分くらい遅くなった。





今回は初めての第2ターミナル。新しいので綺麗。





機内食はまあまあ











約4時間のフライトなので急いで映画を見なければ。今話題の「君の名は」は言うほど面白くなかった。
★★★☆☆





映画1本観終わったところで、こんなに近くまで来ている。ヨーロッパとはえらい違い。





で、途中になっても、帰りに続きを観れば良いわと「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」を観る。
こちらは★★★★☆





夕刻、台北は桃園空港に到着。





空港内





空港内





ここから一気にA台中市まで行く。途中夕食を頂く





朝食を除いて毎回こんな感じの中華料理。





今度の旅は少しホテルが良いコースにしたので、ホテルもこざっぱりしている。








 2017/1/15(日)

 
今日曇り時々晴れ。

 今日から本格的に台湾観光が始まる。今日が一番忙しい日。まずA台中市の市内観光。台湾は世界遺産が一つも登録されていないので、歴史的に見ごたえのあるものは期待できない。











朝食は毎日ホテルでビュッフェスタイル。どんなものがあるのかな?





おかゆ(おかゆが嫌いなのを忘れていた)や、麺、中華料理が多い。





「成旅晶賛飯店」はネットでも高評価のホテルだったが、なかなか立派。





ホテル付近





先ず行ったのが宝覚寺

1927年まだ台湾が日本統治時代であった時に建立されたお寺。
見上げるばかりの大きさの金色の大仏様がいらっしゃる。





なでると金運や開運のご利益があるとも言われるその頭やお腹は、皆になでられてツルツルになっている。





「宝覚寺」はたくさんの日本人が眠る場所





フリーの第一台湾ワンコ発見!





もともとの本堂は木造部分だが、老朽化も進んだ為、外側に本堂の保護も兼ねた大きな石造りの本堂部分が増築された。





内部



次に向かったのがB彰化。





高さ21.6メートルの彰化大仏





風景地区にあり、小高い丘のにあり、周囲は公園になっている。





最初のバス。なかなかどのバスも派手!





その次に連れて行かれたのが、お決まりのショッピング。マットレスを売っていたが買う人がいた。





お昼は飲茶料理を頂くが、10年物の紹興酒は珍しく注文する人がいた。



































お味はすごく美味しいとは言わないが、食べられないものはなかった。





お次は有名なC「日月潭」に向かう。





 日月潭は、台湾3大観光地の1つで、最大の淡水湖。水深23.5m、標高749mのところにある深緑色の湖の美しさは、国内外から多くの人を魅了している。陽射しの具合で、翡翠色や紺碧に見えることもあるそうだ。









文神と武神が祀られた香港最古の道教のお寺、「文武廟」に向かう。





 日月潭北側の山に位置する文武廟は日月潭の開拓と深いかかわりがある。1932年、日月潭の水をダムに引くことになったが、これによって水没の危機に瀕した湖畔の龍鳳廟と益化堂が文武廟として現在の位置に移設再建された。工事は4年の歳月をかけて1938年に完成した。その後1969年から1975年にかけて全面修築が行われた。





台湾はお正月の前、来年の干支の酉が飾られている。





振り向くと立派な門がある。



























































新しものだが見事な細工がなされている。





可愛いトイプードルもいた。





暖かい国だからランの花が展示されていた。





商売らしい。





日月潭のほとり



 ああ忙しい、次に向かったのがD台南市





「赤かん楼」

 1652年にオランダ人に創設されたもので、もとはプロビンティア城(オランダ語で永遠の意味)と言われていたが、のちに中国人に「赤かん城」、「番仔楼」、「赤毛楼」などと呼ばれるようになった。明代、清代、日本統治時代と長い歳月を経ている。

 時が経ち、人による破壊とずさんな管理により次第に倒壊していった。オランダ風の建物に中国風建築が加えられ、観音菩薩などの神明が奉られていた時期もあった。日本統治時代には陸軍の衛戍病院として利用され、改築や修繕の手が加えられた。台湾が主権を取り戻してからは木製だった建物が鉄筋コンクリート構造に変えられ、主な入り口の方向も変更されて、現在の様子を呈している。





もとのプロビンティア城の模型





赤かん城から見下ろす





こんなのが祭られている





台南市の街の様子。バイクが沢山は知っているが日本製は多くない。



台湾第二の都市、E高雄市に向かう。





夕方になって暗くなってきた「蓮池潭」



 高雄市の郊外にある有名な観光地で、孔子廟や啓明堂、龍虎塔、中国の宮殿を彷彿させる「春秋閣」がある。





「龍虎塔

 龍の口が入口、虎の口が出口になった龍虎塔は、1976年、春秋閣から約700 メートルのところに建てられた塔。外観は生き生きと躍動感にあふれ、塔内には龍塔の方に中国人が親孝行の模範と認める「二十四孝子」や悪人が地獄で受ける「閻魔大王審罰刑図」などの絵が、虎塔の方に「十二賢士」や天国の世界を描いた「十殿玉皇大帝三十六宮将図」などの絵が飾られている。





内部





夕昏は、ライトが湖面に映り美しい。





高雄は寿山公園の夜景 港方面
高雄市西部の万寿山中腹にあるり、高雄港全景を一望する夜景が美しいのでデートスポットとしても有名。





町方面を望む





デートスポットらしいモニュメント





夕食のお店





柔らかなシナチク















































台湾で有名な「春水堂」のタピオカミルクティーもコースに含まれている。
タピオカを初めて食べる人は「これはいったい何ぞや?」って感じだが、美味しかった。
トウダイグサ科のキャッサバの根茎から製造したデンプンからできているそうだ。





1人2000円のオプションで「六合夜市」を散策する。二人だけでは怖いからね〜





新鮮な海産物や





美味しいフルーツが売られている。
 緑色の「釈迦頭」というフルーツ、(お釈迦様の頭にいているから名づけられた) 森のアイスクリームと言われている。その釈迦頭」をガイドは一生懸命探した。が少なかった。1個日本円で370円位。ここにあるのは「釈迦頭」と「チェリモヤ」を掛け合わせた「アテモヤ」。後のお店買ってホテルまで持ち帰った。





有名な壺焼き「胡椒餅」約150円。





こんな風に焼いている。 食べてみたが、苦手な八角の味が濃く口に合わなかった。





水餃子のお店





ガイドさんが買って食べさせてくれた。こちらは美味しかった!





フルーツジュースのお店。パパイヤと牛乳のジュース、美味しかった!





「バックインバック」を約400円でお買い上げ。





衣料品店の猫





50分ぐらいぶらついて、バスでホテルに戻った。
台湾はお正月前なので、にぎやかなお正月飾りがされている。





今日のホテルは華王大飯店 (ホテルキングダム) まずまず綺麗。





これが「釈迦頭」種が多く甘いが、酸味が少ない。確かにアイスクリームのようでもあった。








 2017/1/16(月)

 
今日曇り時々晴れ。

 今日はE高雄からF台中市を経てGの花蓮までの大移動! 天気予報では雨続きだったが、晴れ女の面目躍如。雨に降られることもなし。(実はパラっと位は降った)













華王大飯店 (ホテルキングダム)の朝食。





結構立派なホテルだった。





そして、怪しげなお土産物店に連れて行かれる。





 体に良い石で造られた腕輪はなんと1万円以上のお値段。写真は撮れなかったが、昨晩餃子を取るガイドの腕にはめられている。分からん機械で、はめる前、はめた後の何やらの数値が大きく変化すると見せてくれる。怪しい、特にこの石が日本の東北地方(場所は忘れた)でとれたものという。それなら日本で買った方が安かろう。帰りの飛行機で4万円の腕輪を買ったという、ほかのツアーの人がいた。買うも自由、買わぬも自由。





結構内外時間拘束されるので、その間、お店を抜け出し近所のセブンイレブンで





お買い物  セブンイレブンがそこここにある。





今日の最初の観光は「美麗島駅」





 「美麗島駅」は世界最大のステンドグラスアートである「光之穹頂(光のドーム)」があり、「世界で最も美しい駅」第2位にも選ばれた。もっときれいな駅は沢山あるに違いない。











 興味深いのは、高雄の人は乗車運賃も安くないこの電車にあまり乗らないのだそうだ。それでなのか?行きかう人も少なめ。お店を閉じていた売店もあった。





台湾の西側から東側にぬける山道はいろは坂の様で酔う御嬢さんもいた。
途中のトイレ休憩でフルーツ盛り(380円位)を頂く。基本、台湾ではリンゴの皮は向かない。





台湾には少数民族が暮らしていて、その方たちのレストランで昼食を頂く。











お店はこんな感じ





その隣に、前日買った「釈迦頭」ではなく、あいのこの「アテモヤ」を売っているお店があった。





台湾は小さな国だが東西南北気候が異なり、この辺りは抜けるような青空。





F台東市の「水往上流」

 この細い水路の水が地球の引力に逆らって高い方へ向って流れているように見える。水路と脇の道の微妙な傾斜の差による目の錯覚とは分かっていても、どうしても上流に向かって流れているように見えるから不思議。

 と、ここで、道端でおばさんが切って売っていた「釈迦頭」ではなく、あいのこの「アテモヤ」を頂く。それはほっぺが落ちるほどの美味しさだった。ガイドがこの果物は作るのが難しく、日本の農協からつくり方の勉強に来て、何度も試すがうまくいかなかった、台湾でしか食せないと話していた。

 が、もともと原産地は西インド諸島だそうで、日本に帰って調べたら、「パイナップル王国」で売っている。ちょうどテレビでも放送していたが、そのお値段はとてもお高く、1個5,000円位と話していた。確かにパイナップル王国でも1個3,565円で売られている。台湾の約10倍のお値段! 道端で売っていたのからは20倍かも。しかしながら、また台湾に行って食べたくなるほどの美味しさだった。おすすめ。







次に訪れたのがF台東市とG花蓮市の間にある、かつては陸とつながっていたという「三仙台」。





巨大な岩石が3つあり、伝説によると呂洞賓、李鐵拐、何仙姑の3仙人がここに来たということで、三仙台と呼ばれている。





 元は火山岩からなる一つの岬たった。海水の浸食を受けるうち、陸から分かれてしまい離島となったのだそうだ。島まではアーチ橋が架けられ、島一周遊歩道も整備され2時間ほどで一回りでき、海の浸食によって出来たさまざまな地形、珍しい動植物が観察できまる。





パイナップルが自生している。





台湾花蓮県の瑞穂郷と豊浜郷の北回帰線を通る。

(備忘録)
  南回帰線=南緯23度26分22秒 要するに緯度数は地軸の傾きを意味する。
  夏至の日、太陽の南中高度が90度になるところを北回帰線
  冬至の日、太陽の南中高度が90度になるところを南回帰線
  ちなみに、春分秋分の日の正午は、太陽は赤道の真上にある。





今日のオプションで「アミ族の民族舞踊鑑賞」というのがあったが、参加しなかった。





今日は移動が多くお疲れ気味。ホテルは「翰品酒店花蓮」。ガイドがこのツアーで一番良いホテルだと話していた。





夕食もホテルで頂く、味も旅を通して一番おしゃれで美味しかったように思う。






























































 2017/1/17(火)

 
今日曇り時々晴れ。

 今日はH「太魯閣峡谷 」訪れ、G花蓮より電車に乗り@台北に向かう。市内観光し、I十分名物「天燈上げ」を行い、J九分の夜の街並みを散策する。











ホテルのバイキングの朝食、ちょっとリッチ。





疲れが出てきて、麺類が食べやすい。





鮮やかな外壁、ホテル内には可愛いオブジェが置いてあり、売店は価格もリーズナブルで良心的だった。





ホテルの前





ホテルの窓から眺めた花蓮の街並み





H「太魯閣峡谷入口 」

 正式には太魯閣国立公園のこと。太魯閣国立公園は台湾中部、花蓮県の山部にあり、南北に約38Km、東西に約41Km、総面積は9万2000ヘクタールに及ぶ。その昔、コ魯古族人「Taruku」が中央山脈を東に向かって移動している際、高く険しい渓谷の姿を気に入ったためそこに残り、泰雅族(タイヤル族)の人々と一緒に暮らしていた。時が過ぎ日本統治の際、日本人は「Taruku」という音を発音出来なかったため「Taroko」という音に修正し、「大魯閣」という漢字を当てた。この漢字には勇者の開拓精神という意味があるそうだ。その後国民党が台湾に来た後「太魯閣」と漢字を変更し現在に至る。大理石を侵食して形成された渓谷が見どころ。















































「長春祠」

 気軽に太魯閣を観光できるようになったのも「東西横貫公路」があるから。この路は人力で絶壁や断崖を削り、トンネルを掘って作られた。この工事中に212名の方々が亡くなり、この方々の霊を弔うため1958年に長春祠が建てられた。





次に行ったのがお決まりのショッピング。大理石工場ののどかなワンコ





工場内部を見学











ホテルなどの洗面台に使われる大理石





片言の日本語で説明してくれるおじいさん。内部の撮影は禁止、何も買わなかった。





G花蓮駅より@台北駅まで特急列車に乗る。花蓮駅





440元 1元が3.8円位だから1670円。





車体にキティーちゃんが描かれていた。世界中で愛されているんだね〜





今見たらおいしそうな駅弁だけど、食欲もなく全然食べられなかった、残念。











台北駅に到着!





さすが台湾の首都、大都会!



  台湾の歴史をお勉強

 18世紀頃までの台湾は、中国本土の支配を受けた他、オランダやスペインの植民地であった。以前より、中国大陸から漢人が入植したが、清の時代になると、政府の政策もあり中国本土からの移住が一段と進んだ。もともと台湾に居住していた先住民族(台湾では原住民と呼ぶ)は10民族あまりだが、いずれも少数民族であるため、人口の大半は漢人が占めるようになった。台湾に渡った漢人の出身地は福建省が多く、福建地方の言葉が、現在は台湾語と呼ばれ、広く使われている。

 19世紀末、日本は日清戦争に勝利し、台湾の統治権を得た。これ以後約50年間、台湾は日本の植民地となった。  台湾に対する日本の植民地政策は、道路、鉄道、港湾、上下水道、電気、通信などのインフラの整備や、教育の普及、治安の維持に力を注いだ。しかしながら、台湾人は二等国民とされ、日本人や朝鮮人らと差別された。

 中国大陸では1911年に、現在の台湾のルーツとなる中華民国が成立。太平洋戦争で敗戦した日本は、台湾の領有権を放棄し、戦勝国である中国(中華民国)がその領有権を得て、中華民国の台湾統治が始まった。当時の中華民国は蒋介石が率いる国民党が代表政権だったが、毛沢東率いる共産党との内戦に疲弊していた。台湾に進駐してきた国民党軍も統治意識が低く、略奪や粗暴行為が頻発した。

 台湾人は、統治が日本から中国に移ったことを喜んだが、進駐してきた国民党軍のこのような振る舞いを見て「イヌのかわりにブタが来た」などと揶揄した。日本の旧植民地でありながら、現在、日本に対する国民感情が比較的良いのは、ここに起因すると言われている。(へ〜 そうなんだ)

 共産党との内戦に敗残した国民党は、蒋介石ら多くの政治家、官僚、軍隊が台湾に逃れ、台北を臨時首都とし、中華民国の政権を形成した。政権が蒋介石の息子である蒋経国総統の頃になると、情報化社会や国民の所得水準の向上により、政府が国民の批判を押さえつけることは困難になる。そして1987年に戒厳令が解除され、台湾の自由化が始まりまり今に至る。





台北市内 「行天宮」




 


 行天宮は恩主公廟とも呼ばれ、関聖帝君をまつっている。関聖帝君(162-219年)は中国の歴史上非常に有名な武将。彼は信義を堅く守ったので、武聖と尊ばれ、また理財にも長けていたので、商業の保護神としても尊ばれている。






たくさんの参拝客が訪れている。





お参りの作法が書かれた看板





掛かれたように皆お参りしている。





行天宮はとても霊験があらたかだと思われているので、神に占いを問いに来る人が大勢いる。











時間が余ったので少し外に出てみると、ボーダーコリーちゃんがいた。





おそらく、宝くじのお店だと思う。





I十分に移動中見えた、東アジア一のっぽビル 地下5階、地上101階の「台北101」。






I十分の名物「天燈上げ」

 毎年旧正月に、願い事を書いた天燈をいっせいに夜空に放つ「天燈上げ」の行事があるが、その時期に来ることができなくても、天燈上げはいつでも体験できる。





モモパパは「健康」と書いた。





ご一緒した奥さんは同い年だが、テニス三昧の毎日だそうで「勝利!」と書かれた。





すぐ落ちて来ては縁起が悪い。





高く、





たか〜く上がったのだった。そういちゃあなんだが、十分が一番印象に残った。





十分に来ていたフレンチブルドック





猫もいた





十分は台北駅から台鉄で約1時間半、静かな山間の町。





人が歩いているが、もちろん電車も走っていて、電車が来ると線路の脇に避けるのだそうだ。





沢山のお土産店があって、店番のシェパード





Jあまりにも有名な九分で夕食を頂く。お店は 「九戸茶語」、こちらも有名店らしい。















































お味は悪くないが、全体的に量が少なく、不満を言う方もいた。まあどこで食べてもそんなに変わらない。





細い階段を登るのだが、想像より短く、ちょっとがっかり。凄い人!





「千と千尋の神隠し」のモデルになったといわれる建物。





観光の写真にはこんなのが使われているが、実際には行けない。どこかの家の窓から撮った写真だろう。





時間がたって人も少なくなってきた。

 日本統治時代に金鉱山として台湾有数の栄華を極めた九分。しかし、その後主要鉱物だった金と石炭の生産量が減り続け、1971年に閉山。衰退の時代を迎える。再びスポットライトを浴びたのは1989年。侯孝賢監督の映画「非情城市」の舞台となったことで観光地として注目されることになった。さらに日本では宮崎駿監督が映画「千と千尋の神隠し」の着想を得たという噂が広まって人気が高まり、レトロな街並みに似合う茶芸館やカフェが軒を連ねるようになったということだ。





雨が多いらしい。夜景が見られるとラッキーなんだそうだ。ラッキー!(海を臨む)





今日のホテルは 「麒麟商務会館」。最後のホテルは少し郊外にあった。

 さてこの旅の最大のハプニングはここから
海外旅行に行くとき、必ずその土地のスーパーに行くことにしている。安く買えるし、珍しいものも手に入る。出国前から家で、この地のこのホテルのそばにスーパーがあると下調べしていたのだが、コンビニに行くことはできても、スケジュールが強行でスーパーに行くチャンスが今までなかった。

 最終日の台北は最大の都市だが、ホテルについてみたら町中から外れた寂しいところだった。歩いて20分のところに12時までやっているスーパーがあるらしいが、道が暗い、地図も忘れた。どうしようかと思っていたところ、お誘いした人もいて「じゃあ一緒にホテルからタクシーで行きましょうか。」という話になり、他2夫婦もお誘いして2台で行くことになった。

 フロントで「このスーパーに行きたい!」と地図を見せると、はいはいとタクシーを呼んでくれた。「ビッグスーパーね〜、150元ぐらいね〜」と言われ、フンフンと乗り込んだ。が、歩いて20分の所なのに、行けども行けども着かない。私はどこに連れて行かれるのだろう?とうろたえ、運転手は日本語が通じないと思って「いったいどこに行くんだよ〜! おかしいじゃないの!」と叫んだ。

 そして、何も知らずに別のタクシーに乗ったもう2夫婦も大騒動だったらしい。行先も知らず「歩いて20分と聞いたが、いったい何処に行くんだ!引き返すか?」と大変なことになっていたらしい。 タクシーはどんどん街中に進んでいる模様。着いたたところが確かに24時間営業のビッグスーパーだった。それにタクシー料金も120元でだった。(120×3.8=456円)

 気が動転していた私は、買い物もそぞろではあったが、ご一緒した人に美味しいお茶を教えてもらって安くゲットできた。連れて行かれるお店はそれは馬鹿高いお店ばかりだった。スーパーに行く予定のなかった人は、それぞれもうたくさんのお土産を買っていたらしく、そんなに買い物している様子はなかったが、皆さん楽しげにお買いものされていた。

 で、問題は帰り。ホテルではスーパーのレジの人がタクシーを呼んでくれると言ってホテルの名刺を渡されたが、レジの人は無愛想でおっかなそうで、聞くに聞けない感じ。で、よそのご主人が「流しのタクシーを呼ぼう。」と仰って、止まっていたタクシーに乗り込んで先にホテルに帰って行った。私たち2組も道路でタクシーを止めていた人の真似をしてタクシーを止め、無事ホテルに戻ってこられた。先のタクシーで戻っていた2夫婦も、ご主人が、買ったビールを飲みながら待っていてくれた。本当に良い人たちだった。

 翌日、私と同年代の姉妹二人で来ていた人に昨晩の騒動を話したところ、「私達も行きたかったのよ〜 ガイドさんに聞いたら行く時間がないし、危ないと言われたのよ〜」と仰った。私も意を決して行ったのは、最終日の台北ではガイドは自宅に戻ってホテルにいなかったから。ガイドが居て、聞いたら、そりゃあ止められたことだろう。「お誘いすれば良かったですね。」と、ひとしきりハプニングを話した。





台北中、あちこちに支店を持つスーパー「頂好 wellcome」 都会は24時間営業





内部はこんな感じ。スーパーだから当然安い!

「ああ疲れた。」で、夜は更けた。









 2017/1/18(水)

 
今日曇り時々晴れ。

 最終日の今日は晴れ。午前中@故宮博物院新館を見学し夕方の便で帰国。











ホテルのバイキングの朝食。





ホテルの外観 とても立派!





内部





テレビで今日の天気予報をやっていた。





今日は晴れ!





「故宮博物院」

 故宮博物院は、1925年に北京の紫禁城(故宮)内で歴代皇帝が所有していた美術品を一般公開したのが始まり。1931年、満州事変による戦火を避けるために南京に移され、その後四川省に避難し、太平洋戦争が終わった後、再び北京と南京に戻さた。

 その後、蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党との内戦で、共産党軍が首都南京を脅かすようになると、蒋介石は厳選した貴重な文物)(全体の22%を台湾に移すことに決め、1948年に多くの宝物が海を渡った。台北に着いた宝物は17年間もの間、倉庫に保管されていたが、1965年に故宮博物院が建設され、やっと陽の目を見ることになった。

 ってことは、紫禁城に残されたものは大したものじゃないってことなのかなあ〜











銅器  「西周晩期 毛公鼎」





銅器  「西周晩期 宗周鐘 」





これが有名な「清 翠玉白菜 」 2匹の昆虫キリギリスとイナゴがとまっている。
 一番大好きな奥さんにプレゼントされたものだそうだ。





後ろ姿





こちらの貧相な白菜は、そうでもない奥さんにあげたものだそうだ。

















唐 八世紀前半葉 「三彩天王像」











唐 「三彩馬球仕女俑」
黄、緑、褐色の三色の釉薬を同時に施し、後に「唐三彩」と呼ばれる陶器が発展した。 











宋、金、元時代には磁器の焼造が普及





宋 定窯 「白瓷嬰兒枕」





















































北宋 汝窯 「蓮花型温碗」



































清晩期 彫象牙透花人物套球  幾重にもなっている。











































もう一度ゆっくり来たい。次に行ったのが最後のショッピング。





すべて高い価格設定のお店だった。





昼食を頂く





干しえびの入ったご飯が美味しかった。















































空港でガイドさんと記念撮影。





空港内





出発待合ロビー





機内食











楽々間に合うはずだったが、ギリギリで成田エキスプレス最終に間に合う。





お目当ての微熱山丘の「パイナップルケーキ」をゲットできた!















 台湾旅行を振り返って

一番心に残ったのは、十分の「天燈上げ」だった。商業ベースに乗せられた感もあるし、これだけの数を揚げて自然破壊にはならないか?山火事はどうか?気にならないわけではないが、台湾の風習をじかに感じられた。世界遺産がなかったこの旅ならではの催しだった。






 今回の旅は日本からの添乗員はついてこなかった。格安だから仕方がない。出発前にお土産を調べていたが、パイナップルケーキ以外にめぼしいものがなく、それなら一番美味しいパイナップルケーキを買って帰ろうと、先の「微熱山丘」を買えれば買いたいと思っていた。

 着いてすぐ現地ガイドに「微熱山丘のパイナップルケーキを買いたいんですけど、買えますか?」と聞いたところ、「時間がなく買えない。」という。その上「微熱山丘のパイナップルケーキはポロポロして美味しくない。私はいつも表彰されたお店で買うので紹介します。」という。そうか〜買えないのか〜とちょっとがっかりだった。

 しかし彼女が教えてくれたパイナップルケーキは、お土産物店(値段が高い、倍!)のもので、結局、旅行客を導いて買わせ、自分の成績をアップさせる為のものだった。驚いたことに、所望の微熱山丘のパイナップルケーキは空港の入り口にお店があってすぐに見つけられ(ツアーでご一緒の方が教えてくれた)、出発までは時間がたっぷりある。買えないわけがない。基本人間「性善説」の私はこのガイドに本当にガッカリした。が、世界では当たり前のことなのかもしれない。


 ツアーでご一緒した人の中で「私は手相が良く当たるのよ!」と仰る70前くらいのご婦人がいらして、みんな手相を見てもらった。私は「あなたは生命線が長くて長生きするので、老後の資金を使い果たさないように。」と言われ気を良くした。性格の話も出て、姉妹で来られた二人のお姉さんには人徳があるという話で、妹さんには「あなたは性格が激しいわね。」と厳しく言い、言われた本人も目を白黒。調子に乗った私は「私はどうですか?」と聞いたところ。「あなたはうるさい!」と言われ大笑い。手相を見なくても分かろうってもの。奥さんはうるさいくらい明るい方が家庭円満なのだそうだ。


 この旅の中で若人が2人、2家族ご両親と同行のお嬢さんと坊ちゃん。この坊ちゃんが感心なのが、大学を卒業後、海外青年協力隊で、中南米の「ホンジュラス」に数学を教えに行くと話。自分のことしか眼中にない今時の若者の中、感心しきりで話を聞いた。無理せず、ダメだと思ったら意志を貫徹せずとも良いので、自分の体と心を一番に行動してほしいものだ。

 ああそうそう。フルーツの「アテモヤ」も美味しかった!これを食べるだけのためにでも、もう一度台湾に行きたいと思うくらいだった。食事はバイキングの朝食を除いて全部中華だったので飽きた。今までのツアーではなかった。帰りの飛行時間が2時間半、あっという間。4泊5日、ちょっと高級なホテルで、全食事つき、台湾全土を巡る旅 が約5万円とは格安と言っていいだろう。また是非行きたいものだ。(モモパパはもいいと話しているが)













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