2015/10/27(火)

 
今日は曇り時々晴れ。

 今日からクラブツーリズムの1泊旅行「お一人様5千円を富山県より頂いて実現『往復飛行機利用 海鮮丼とカニ飯付き!富山・五箇山と瑞龍寺 金沢名所めぐり 2日間』」に出かける。





朝10時55分羽田発の飛行機の為、今回はゆっくり。











新幹線開通で飛行機に乗る人も少ないのか?小さ目の飛行機。でも満席だった。





途中富士山が綺麗に見えた。





8月下旬、岡山の旅の飛行機で見て、欲しかったが、断念した腕時計がまた機内販売していた。
これも縁だと思い、買うことにした。えらくお洒落で11,000円也。





「ANA SKY SHOP 9/10」





「ANA SKY SHOP 7/8」 欲しい!と書いている。一応写真は秋風に差し替えられている。





富山湾上空





「富山きときと(新鮮という意味らしい)空港」に到着!





そして、お昼お頂く「新湊きっときと市場」に立ち寄る。











ワンケース400円だそうだ!





紅ズワイガニが1ぱい2,000円は安いのか?高いのか?よく分からない。





昼食はここで海鮮丼(値段にして1,620円だった)を頂く。これは旅行代金に含まれている。
お魚がそんなに好きでもない私も美味しく頂いた。活きが良い。





最初の観光は富山県唯一の国宝指定寺院の「瑞龍寺」 紅葉が始まっている。























「総門」





今日の富山はフェーン現象で、最高気温25度という暖かさ。





「山門」
いやいやなかなか素晴らしいお寺で、名前も知らなかったのが不思議なほど。





今日はラッキーともいうべきか、御住職の弟さんの案内で見て回った。





山門脇の回廊。





山門の上に登る階段





回廊を行くと





「大庫裏」











「大茶堂」脇から山門を望む。





「仏殿」





仏殿内部











「法堂」





右手大茶堂からの階段には「さすれば痛みが治る」という「賓頭盧尊者像」があって、皆さすっていた。





法堂脇の中庭もなかなか良く手入れされている。





弟のお坊さんの説明によれば、法堂の窓からは





遠く立山連峰がよく見えるつくりになっているのだそうだ。





珍しいのは仏様ではなく、二代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置している。





天井も美しい。





右側には





があって





トイレをきれいにすると良いことがあるという「トイレの神様」だそうだ。





左側は模型などが置かれている。





部屋の前面には広縁があり





その前面は左右に細長い土間廊下、こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示している。何故下が開いているのか?











法堂から仏殿の後ろを見る。





帰りにもう一度仏殿内を見る。











参道





「前田利長公之像」





次は高岡駅より氷見線に乗る。





高岡駅より見る立山連峰







 「高岡から富山湾に沿って走る氷見線は、その昔、史跡や風光明媚な雨晴海岸などを経て、氷見へ着く16.5キロのローカル線です。」とある。





氷見市は漫画家・藤子不二雄A氏のふるさとということで、はっとりくんが電車に描かれている。





雨晴海岸





絶景ローカル線と歌っているが





海岸線はほんのちょっとで、これなら湘南でもありそうな











こんな風に見えると素晴らしかっただろう。





30分ぐらいで氷見駅に到着。





道の駅 「万葉の里高岡」に立ち寄る





ネットで申し込んだ人は「ホワイトコロッケ」を頂いた。昆布が入っているそうだがまずまずの味。





今日の宿は「アパホテル〈富山駅前〉」。コンパクトに良く出来ている。





夕食は付いていないので、富山駅前のビル内「だいこくや」で頂く。





富山の名産が色々あって





美味しかった。これで1,580円は安い。








 2015/10/28(水)

 
今日は曇り後晴れ、途中ぱらっと雨。

 今日は大忙し!先ず世界遺産の「五箇山」に行き、「庄川峡」に立ち寄り、金沢に。金沢は「ひがし茶屋街」、「近江町市場」、「長町武家屋敷跡」、「兼六園・金沢城公園」、おまけに「尾山神社」にも行って、夜20時10分富山発の飛行機で帰る。





「アパホテル〈富山駅前〉」は部屋は狭いが、大きなホテルだった。備品は不自由なく揃えてあった。





途中富山城の近くを通る。





富山は風が厳しいのか?大きな家の周りには高い木が植えてある。





「五箇山」に到着。雰囲気の良い霧が立ち込める。







 赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となった。











紅葉も始まったところ。











世界でも有数の豪雪地帯、家を囲む準備が進む。「雪よけ」の他「暖取り」の機能もある。





五箇山の合掌造りの屋根は3層の茅葺で出来ているとタクシーの運転手が話していた。





ここは人が住んでいない模様。











多くは土産物店となっている。





フランスミシュラン社発行の旅行ガイド日本編「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にて
最高峰の3つ星観光地に選ばれた17個のうちの一つというが、それほど素晴らしいか?





異国の人にはそう見えるのだろう。











「庄川峡」
 庄川峡湖上遊覧船が走っている。紅葉の今からが見どころ。





さて金沢にやって来た!かにめしのお弁当がお昼だが、バスの中で食べるしかないというので晩御飯に取っておく。





@の「ひがし茶屋街」にやって来た。





1909年創業の老舗洋食屋 「自由軒」





 浅野川の東岸に位置する「ひがし」は、文政3年(1820)犀川西岸の「にし」とともに公許され、形成された茶屋町。街路に面して、一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして座敷を設ける「茶屋建築」が連なっている。 京都・祇園の茶屋町と並び、これら江戸時代後期から明治初期にかけての茶屋建築がまとまって残されている「ひがし」は、日本の華麗な茶屋文化を今に伝える貴重な町並みとなっている。





金沢の老舗や、有名どころのお店が入っているが、心惹かれる物がなく、何も買わなかった。





昔を偲ばせるたたずまい。





金箔屋さんの豪華な蔵





一本路地を入ると生活の匂いが





イケてる看板

















「浅野川」











A「主計町茶屋街」

 主計町は北国街道が浅野川を渡る地点に架かる浅野川大橋の近くに位置する。茶屋町として明治期から昭和戦前期にかけて栄え、当時の建造物が多く残っている。金沢の茶屋街は東山地区の「ひがし 」と、野町地区の「にし」と、浅野川の近くで「ながれ」とも呼ばれた主計町の3つがある。





「ボンネットバス」が走っていた!





B「近江町市場」





北陸新幹線が開通した当時、毎日のようにテレビで見た市場。





カニも「地方発送するよ〜」と叫んでいた。





もうマツタケの姿もあった。外国産が目についた。まさかトルコからとは驚く!





で、今日のお昼はここ。店から出たおばさんが「美味しくて安かったよ〜」というので





入ってみる





夜は串カツ屋だそうで、昼はこの「海鮮まるひ丼」の松竹梅のみ。たれはゴマ醤油味。





食べ方も説明してあって、なんと美味しかったこと!出汁が絶品だった。





C「長町武家屋敷」 学生時代に来たことがあるのだが、思い出せないくらい変わっていた。





長町界隈は、加賀藩士の中・下級武士の屋敷の跡が残っている。







 「大野庄用水」は灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪などの多目的用水だが、金沢城築城に大きな役割を果たしたと伝えられている。旧宮腰(金石港)から大量の木材を運ぶために造られたことから、御荷川(または鬼川)と呼ばれていた。ちなみに、当時、木倉町には木材集積所や材木蔵があり、ここで資材を荷揚げし貯えていたと思われる。

















「高田家跡」

















「足軽に住んでいた家」





一戸建てで、今の戸建ての原型にもなっているのだそうだ。





加賀藩は足軽でもこんな立派な家(だいたい長屋が多かった)に住んでいたらしい。











自動販売機も景観を損ねない配慮がなされている。





E加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産「兼六園」

 水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきた。金沢市の中心部の高台に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。





@お殿様が金沢の街を見下ろしていたのだろう。











Aこれが雪吊りで有名な「唐崎松」。11月1日から作業が始まるのだそうだ。





B明治紀念之標





C根上松











なるほど、根が美しいわけね。





Dここがなんと!





「金城霊沢」 金沢の名の由来の場所。外れにあって誰も来ない。











その隣にあるE「金沢神社」





 文政3年藩主前田斉広公によって、竹沢御殿の鎮守として創建され、一般の参詣は例祭に婦人童児のみが許された。明治5年村社に列し、兼六園が一般に開放された明治7年金沢神社と改称。





朱色が鮮やかで美しいお社





F「霞ヶ池」 この風景も写真でよく見る。











Gの噴水は霞ヶ池との高低差による自然の水圧で上がっている。水の高さは3.5mで日本最古の噴水。





兼六園と金沢城公園は道を隔てて隣にある。





「石川門」前 可愛い、可愛いお嬢さんが赤い羽根の募金集めをしていたので、早速募金する。





「石川門の菱櫓」

「金沢城公園マップ」

 加賀百万石のシンボルである金沢城は、天正11年(1583年)に前田利家により本格的な建城が行われ、明治2年(1869年)まで加賀藩前田家14代の居城として置かれた。 平成8年(1996年)より金沢城公園として一般公開を開始。 度重なる火災により、石川門と三十間長屋以外の建物は全て消失してしまったが、平成13年(2001年)には、古絵図や古文書などをもとに菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓を出来る限り忠実に復元。 安政の頃の景観を現代に蘇らせた。





「石川門」から入る。





門がもう一つ











「五十間長屋」





「鶴丸倉庫」





「戌亥櫓跡」には本丸跡(山の中)をぐるっと回らねば行けない。





本丸があったところ





「戌亥櫓跡」から見渡す。





「三十間長屋」





「二の丸広場」
造られては焼失した二の丸があったところ。「五十間長屋」 を二の丸跡側から見る。





「橋爪門櫓」





「橋爪門」一の門





「橋爪門」二の門





三の丸跡(広場)に出る。





「菱櫓」











石川門に戻り、写真を撮ってあげた外国の方に私たちも撮って頂く。なかなか上手。





おまけのようにもう一か所「尾山神社」。 明治6年に創建された加賀藩祖前田利家公と正室のお松の方を祀る神社。







 「明治8年に建てられた神門は、和漢洋折衷の3層式で、明治初期に建てられた数少ない擬洋風建築遺構の1つであり現在は、国の重要文化財に指定。3層目には、ギヤマンがはめ込まれ、夕刻のギヤマンが夕日に映える頃や、日没から午後10時までの明かりが点灯する頃は見頃。」と書かれており、正しく見頃の時間の見物になった。





なかなか立派なお社。





内部





これですべて見物が終わって、金沢のイルミネーション輝く街を走行中。





今日のお昼だった「越前かにめし」は、富山空港で夕食として頂く。





なかなか美味! 冷えてなかったらもっと美味しかったに違いない。2日とも結構豪華なお昼だった。



さてこの富山・金沢の旅のハイライトは何処か?






富山は高岡の「瑞龍寺」だった。山門を入った途端、あまりの美しさに思わず感嘆の声が出た。







inserted by FC2 system